見出し画像

福田恆存と三島由紀夫の違い

 福田恆存の思想について知りたくて図書館に行ってきました。三島由紀夫全集の中の対談が載っている巻を取り出し、ぱらぱらと読みました。
 
 福田について知りたくて三島との対談を読んだのは、どうやらその対談で福田の思想が鮮明になりそうだ、と踏んだからでした。
 
 結果から言うと、福田の言わんとする事の理解も深まったとは思いますが、それ以上に、三島由紀夫についても理解が深まった気がします。
 
 福田恆存と三島由紀夫は対談で、色々の事を語っています。日本文化、歌舞伎や、天皇について。両者とも「保守」であり、盟友といっていい仲なので、基本は話が合いますが、ところどころで二人の意見は分かれます。
 
 特に重大と思うのが、天皇制に対する見方で、三島由紀夫は天皇を崇拝していますが、福田は天皇にさほど期待していません。
 
 今、私は「三島由紀夫は天皇を崇拝しています」と書きましたが、実を言うと、私は二人の対談を読んで、(三島由紀夫は心から天皇を崇拝していたわけではなかった)と感じました。
 
 これは別に三島が嘘をついていたとか、三島を非難したいとかいう事ではありません。
 
 ただ、三島の語り口を読みながら私は(インテリとはなんと面倒なものだ)と感じました。頭の良い三島由紀夫は自分が天皇を信じなければならない理由を頭のなかでこねくりだし、それを何度も何度も反芻し、理論武装して、それから先にやっと、天皇を信じようとしているーー私はそう感じました。
 
 信じるという事は、そんな風に理屈づくめでやらなければならないものでしょうか。おそらくもっと無知な民衆は、素朴に何かを信じるのだろうと思います。それが神であろうと天皇であろうと、もっと素朴に、別段、対象を信じなければならない理屈をこしらえなくても、信じるのだと思います。
 
 ですが、賢い三島にはそれはできなかった。とはいえ、彼は何かしらを信じて、それに殉じて死ななければならなかった。努力家の三島由紀夫はそれで、天皇を本気で信じようとしたのだと思います。
 
 ここには三島由紀夫という一個人の悲しい宿命があると私は思います。
 
 二人の対談の中で、核心的なやり取りがあります。三島が天皇制はどうあるべきかを熱心に語り、天皇は世界的な存在になれると熱弁した後、福田は次のように言います。
 
 「ずいぶんあなたは天皇に辛い役割を負わすんだね」
 
 三島が「そのとおりだ」という意味の発言をした後、福田は笑いながら次のように言います。
 
 「あなたなら耐えられるかもしれない。(笑)」
 
 福田の発言には(笑)がついていますが、私としてはどっちかと言えば泣きたい気持ちになりました。
 
 ここでは三島由紀夫は、彼がそう望んだ、彼が自分自身に課した辛い役割を、天皇に対しても同じように負ってもらおうとしています。そこには三島の暗い宿命が覗いており、私は辛い気持ちになりました。
 
 福田はそれを理解していたからこそ「あなたなら耐えられるかもしれない。(笑)」と言ったのでしょう。
 
 言ってみれば、三島はその賢い頭脳をフルに使って、愚かになろうとしていたのではないでしょうか。三島は自分自身の死をどこかに預ける為に、何か大きな信念、信仰が必要だった。ですが、運動する頭脳は全てを懐疑の淵に叩き込みます。それを知っていた彼は、頭脳をフルに使って天皇を信じなければ「ならない」理由を作り出していった。
 
 年齢からすれば年上の福田恆存の方が、天皇を崇拝していないというのは、妙な事に思われるかもしれませんが、私は福田恆存は思想的には三島由紀夫よりも先に歩いていった人だと思っています。
 
 二人の違いを簡単にまとめると、三島由紀夫にとって天皇は神だったが、福田はむしろ、日本における神の不在を問題としていた。そこに違いがあります。
 
 福田はだから、天皇というのが、明治政府が擬似的に作り上げた神であると知っていたものの、それは本物の神、つまり西欧社会の神に該当するものではない、という風に考えていた。西欧は、なんのかんの言っても、キリスト教的な神の解体過程で近代化という現象が現れてきましたが、神なき日本の近代化は一体どうなるのか。そこには絶望しかないのではないか。それが福田の問題意識でした。
 
 一方で、三島は天皇を西欧の神にも負けない存在と考えていたようです。その違いについても、二人は言及しています。
 
 ※
 (以下は図書館で読んだ記憶を頼りに書きます。不正確な点があるかもしれません)
 
 福田は対談で、イギリスのエリザベス女王はウェストミンスター寺院で戴冠式を行っている、という点を強調していました。それが天皇制との違いだと。イギリスの王は日本と違い、宗教・神からその権威を付与されるというスタイルになっています。
 
 それに対して天皇は自分で自分に戴冠しなければならない、ここに日本の辛い点がある、福田はそう見ていました。
 
 一方、三島はそれに反論していましたが、どう反論していたかは覚えていません。
 
 何故、自分が自分に神威を授けるよりも、神から授けられるという儀式を踏んだ方がいいのか。それはおそらくは権利の分離の問題と関わってくるとは思いますが、私もそこまで考えていないので、これ以上は深入りしない事にします。
 
 ただ、福田がイギリスの例を出すあたり、やはり福田にとっての「保守」とはイギリスの保守がモデルになっているのではないか、という気持ちは強まりました。福田が影響を受けたt.s.エリオットはアメリカ人ですが、イギリスに帰化した保守派の文学者です。
 
 イギリスの保守というのが福田にとってのモデルだったかもしれませんが、イギリスには天皇制のような形での人神思想というのはない。ですが、日本においては神=人であるという天皇が最上位の存在となる。この違いを福田は注意深く見ていたように思います。
 
 一方で、三島由紀夫は天皇を強く崇拝していましたし、そこに絶対的なものも見出していました。三島と福田の対談を読んでいると、三島の方が日本という国、天皇という存在に対して信頼があって楽観的であり、一方の福田はより悲観的に感じます。
 
 ですが、悲観的とも見えるような死に方をしたのは三島の方で、日本近代の絶望を語っていた福田は老齢まで生きました。私はここではどちらが正しいかという価値判断をしませんが、二人の生き様ないし死に様というのにも、二人の内奥の哲学がそれぞれ深く関与しているような気がしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?