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112.夢の中

酒に呑まれた体は重く鉛の様である。夏の帰り道、駅前の煌びやかな電飾と喧騒を潜り抜けると一気に暗がりの道が続く。少し街外れのタクシーの溜まり場に辿り着いたが待機する車は無く、己の脚で帰宅する覚悟を決めた。

薄明かりの中、靴の踵に擦られたアスファルトが一定のリズムを奏でる。その上にバラつく呼吸の音が異なるリズムを生み出し、混沌とした多種の律動が頭の中を占領している。夜風が半袖から露出した腕や首にまとわりつく。少し心地が良いが歩けば歩くほど体温が上がりそれを打ち消す。やがてじんわりと汗が滲み出る。

程なくすると国道が見えてきた。橙色にライトアップされた深夜の国道。トラックが力強い速度で往来している。一先ずはそこを目指して歩みを進めていたが、その途中で突然記憶が無くなった。ほのかに覚えているのは真っ暗な視界の中、遠くの方で聞こえる車の音。次に意識が戻った時、私は既に国道沿いを歩いていた。嘘の様な話だがどうやら歩いている途中で寝てしまったらしい。無意識下の判断で寝ながら歩道を歩き自宅方面へ向かっていた。そんな自分自身に驚きつつも流石に危険を感じ、国道を離れ、国道と並走する裏道を歩く事にした。

再び薄暗さが辺りを包む。道沿いに建つ家々のほとんどは消灯し夜の闇に紛れているが、所々明かりを灯している家がある。その灯りを眺めていると人の生活の営みを感じ不思議とノスタルジックな気持ちになる。嫌いじゃない感覚。そんな情緒溢れる感覚に吸い込まれたのだろうか、眠気が身体を包み出した。次に目を覚ました時、目の前に人がいた。若めの男性だろうか。狭い歩道内、相手が道を空ける様に体を捻っている。私が相手に気付かず道を譲らなかったせいだろう。だがそれを理解出来たのは通り過ぎて何歩か進んだ時の事だった。流石に申し訳ないと思い振り返ると遠くでその人もこちらを見ていた。

すまん

なんとか絞り出した寝起きの声。ちゃんと届いただろうか。届いたら良いな。そう願いながら再び歩く。それからしばらくするとまたあの感覚が身を包んだ。真っ暗な視界、遠くの方で聞こえる車の音。だが唐突に

ドンッ

と、おでこを殴られた様な感覚が走り、あまりの衝撃にそのまま倒れた。尻餅をつくように倒れ仰向けになった状態で辺りを伺う。人影は無い。目の前には歩道に植えられた木。どういう事だろうか。体育座りでじっくり思考する。空を見上げると大きく育った木の枝達が折り重なり、空への視界を覆っている。その木々の合間で星達が瞬いていた。そんな風景を眺めるうちにようやく頭が整理され理解できた。殴られたのではなく自ら木に突っ込んだのだと。掃除機ですら勝手に障害物を避ける時代に自ら木に突っ込むスタイル。時代に逆行する反逆児。そんな言葉が頭をよぎる。患部が酷く痛いがそれ以外は問題無い。ゆっくり立ち上がり木に別れを告げると、そのまま何事も無かった様に帰路へ着いた。

煌々とした光と灼熱の気温で目覚める。見慣れた天井。自宅のベッドの上。どうやら無事に帰ってこれたようだ。家の中には乱雑に脱ぎ捨てられた服とタオル、シャワーを浴びた形跡が散見される。覚えが無い事ばかり。刻まれた習慣の凄みを感じる。鏡の前に立ち昨夜ぶつけた頭を確認すると、たんこぶが出来ていた。令和にたんこぶである。まさか昭和、平成、令和という3つの時代でたんこぶを作る事になるとは思いもしなかった。

ソファにもたれて氷嚢袋を額に当てる。目を瞑るとクーラーの音と窓の外から聞こえる蝉の声が耳の中を木霊する。季節の表情を感じ、ゆったりと流れる時間の中

『(人生の全ての物事には意味があると聞いた事があるが今回の件で何を学べば良いのだろうか)』

そんな事を考えていた。

おわり

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