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【図解1944,1945】創作する時は「作品のことだけ」を考える(2024/1/24タイトル変更)

【特殊型】作品とは、作者が受信し解釈した世界を、その人なりに翻訳したもの。

「作者」というフィルターなしに作品は生まれないが、主役はあくまでも作品であり、作者ではない。


【中心型】創作時に作品のことだけを考えるなら作品が主役となり、よい作品を作る過程で自然と自分(作者)らしさも作品に乗ってくる。

しかし自分への意識が強いと、前面に出過ぎた自分の評価や評判への意識が雑味となり、作品の良さを損なってしまう。

創作の主役はあくまで作品。創作する時は、作品のことだけを考えよう。


創作時の意識の持ち方について、感じたことを図解にしたものです。

作品は、作り手がいなくては形を持つことができません。作品にとって、言うまでもなく作者は必要不可欠なものです。

しかし、創作においては主役はあくまでも作品で、作者ではありません。

創作する時、作者の「自分が褒められたい、評価されたい」という感情が前面に出ると、それが雑味となり主役である作品の内容を損なってしまうように感じました。

また、作者として作品を作る以上、意識しなくても自然と「その人らしさ」は作品に乗っていくものです。

そしてそれは、いい作品であればあるほど作品の内容とその人らしさが高いレベルで調和しているものだと思います。

そう考えると、創作する時は「自分のことはわきにおいておく」くらいでちょうどいいのでしょう。


私自身は、図解を描いている時は図解そのものに集中している事が多いです。

ただ、図解の説明文を書いている時は、つい関連エピソードを盛り込みすぎて元の図解から離れすぎてしまい、全体として「ぼんやりとしたnote」になってしまうことがあります。

おそらく、こういう時は「自分はこんなことも知っているんだぞ」という「自分」への意識が前面に出すぎているのでしょうね。

説明文まで一度書き上げた後は少し時間を置いて推敲し、そういう「くさみ」はできるだけ抜いているつもりですが、「創作する時は自分のことはおいておく」は今後も肝に銘じていこうと思いました。

ちなみに「作品」を「伝える内容」に言い換えれば、同じことは日常のコミュニケーションにも当てはまります


●関連リンク

図解の「型」の説明→図解パターンの説明と使用例

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