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童謡事変。

こっとりはとっても歌がすき〜♪
ご機嫌だとつい口にする曲がコレ。

私は童謡が割と好き。
ポップスもロックもアニソンも怪しい発音で洋楽も口ずさむが、童謡も多い。理由は分からん。
歌い易いからだろうか。

しかも、自分の子供時代の曲限定。
息子の幼少期に今時の素敵なニューウェーブな童謡も聞くも、やっぱり純真無垢な時代に身体隅々に行き渡っている昔の童謡の方が、歌うには"しっくり"ときた。

そんな今だに私の心の曲として、古い童謡は現役で活躍しているわけだが、時には出来事と重なり忘れ難い特別な曲となるものがあるのだ。

今回はそんな曲とエピソードを幾つか語りたいと思う。

1.ふしぎなポケット

♪ポケットの中にはビスケットがひとつ〜。

の、あの曲だ。
出会いは保育園。物心ついた時には歌っていた。その頃は覚えた音のままに歌っていたのだから歌詞の意味も分からなかったのだろう。

しかし、そんなただ音を真似るロボットちゃんが、ちょいとおりこうさんになり、歌詞の意味を理解しながら歌う人間に進化した頃の話。

先生がピアノを弾きながら、歌詞についてこれない子の為にも"サンハイ!"と言いながら高らかに一緒に歌い出す。
先生と子供達の歌声。

ごくごく単純な歌詞に歌いながらそれを想像する。

ポケットの中にはビスケットがひとつ。
ポケットをたたくとビスケットがはふたつ。
もひとつたたくとビスケットはみっつ。

一般常識で考える人間に進化した幼児のワタクシ。
……これ、叩いて割れてるから増えてんじゃないの……?

叩いてみるたびビスケットはふえる。

ここで不安な気持ちは最高潮になる。

勿論、この先の歌詞も知っている。
"大丈夫。このポケットは不思議なポケットなのだ。"
そう自分に言い聞かせる。

現実主義なのか想像豊かなのか微妙な保育園児がここに1人。

そして、そんな不安にこんな恐ろしい妄想が頭をよぎる。
 
"もしこのポケットが"不思議なポケット"じゃなかったらどうしよう……!!!"

甘くサクサクの美味しいビスケットが粉砕される。自らの手で。
こんな悲劇はあってはならない事だ。

先生が最後の歌詞の部分の出だしを歌うまで、怖くて私は少し口籠る。

そして続くいつも通りの歌詞に安堵するのだ。

そんなふしぎなポケットがほしい。
そんなふしぎなポケットが欲しい。

不思議でよかった。



毎度、歌う度にそう思っていた。
粉砕ではなく増殖。
歌う度に己の妄想に振り回され、歌ったその日は1割ほど私の精神は無駄に消耗されるのだ。

現在大人になった私。
買い物の帰り道にこの曲がいつもリフレインする。
いくら丁寧にレジバッグに商品を収納しても、移動中にバッグの中で起こる地殻変動。
圧迫された食パンはひしゃげ愉快なフォルムになり、時には惨たらしくタマゴが割れている場合があるのだ。
そして何より、我が家には食べ盛りの高校生男子がいる。ご飯もお菓子も牛乳も彼の体の中へ魔法の様に消えて行く。
エンゲル係数はまだまだ高い。

もうお分かりだろう。
叩いても中身が破損せず、何より増殖するという丈夫で不思議な神の如きポケット。

高級肉を一つ買ったら叩きまくり食べ放題。

今、私は不思議なポケットならぬ、"不思議なエコバッグ"が欲しいと切実に願う大人になっている。
あの頃の純真さのカケラも無い。

"不思議なポケット"はそんな生活密着型の童謡として私に歌われているのだ。

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2.桃太郎

ももたろさん ももたろさん お腰につけた きびだんご ひとつわたしに くださいな

桃太郎の歌はよく出来ている。
なんせ歌詞が物語になっている。

私が就学前頃から小学校低学年頃まで、おばあちゃんが泊まりに来てくれたことが時々あった。
いつもはおばあちゃんの家に行くので、おばあちゃんが来るという状況にワクワクした。

何より、おばあちゃんは私達(私、弟)の部屋で寝てくれるのだが、決まって寝物語で話をしてくれたのが「桃太郎」のお話。
何故かお泊まりに来てくれた時限定。


就学前の4.5歳と言うと本の読み聞かせについてこんな話がある。

「4.5歳頃の子供には"行きて帰し物語"を読んであげましょう。」

基本なんでもその子が読みたいものを読むのがいいのだろうが、4.5歳というのは親の懐から振り返りながらも恐々と離れ、そして戻りを繰り返し安全を確認しながら自己の世界を広げる時期らしい。
子供はその"行きて帰し物語"に自分を重ねる。
最後には無事に帰ってくるその話に子供は親の元に戻ったかの様な安心感を得、自立心や心の成長に繋がるそう。

桃太郎は正に"行きて帰し物語"
私達はよくよく知ったその話に心躍らせる。

しかし何故ここまで期待値が高いかと言うと、おばあちゃんの桃太郎には工夫があって、話を進め、"桃太郎"の話の継ぎ目には絶妙に桃太郎の歌の一部をミュージカルの様に組み込んでくるのだ。聴いていてすごく楽しくなる。

だがしかしだ。
お年寄りは早起き早寝の生き物。我がおばあちゃんも例外では無い。
仲間が揃い、いざ鬼ヶ島へ乗り込む直前あたりで、毎度おばあちゃんは寝落ちした。
毎度、必ずだ。
声を掛けても揺すってもおばあちゃんは起きない。

行きて帰らない。行きっぱなしの桃太郎。


「ちょ…どうなるの?!桃太郎?!」


ストーリーなんて自分で語れるほど知っているのに、私達姉弟の桃太郎欲は止まらない。
しかしそのまま、秒でノンレム睡眠の世界へ容赦なく突入するおばあちゃん。

「おばあちゃん!おばあちゃん!?」
「ももたろう!ももたろうは?!」



私達の叫びは届かない。

そんなうちに私達は大人になり、桃太郎をねだる事はなくなり、おばあちゃんも今はもういない。

私達の中で"おばあちゃんの桃太郎"は、少年漫画の打ち切り連載のラストの様に、鬼ヶ島の対岸で


  「俺たちの戦いはこれからだ!!」 

        完


で、終わっている。

もう、こうでもして無理矢理決着をつけないと収まりが付かないのだ。
因みに私はこの尻切れ桃太郎のおかげで、この曲を口ずさむ時、桃太郎のお供達が家来になり、さて次の攻め入るシーンの歌詞になると「あれ?なんだっけ???」ってなってしまっている。

私の中で桃太郎の冒険活劇はまだ終わっていない。

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3.おばけなんてないさ

昔からある曲なのだがこれは知っている人、知らない人が分かれそうなので歌を貼っておく。

私が小学3年生。弟は1年生。
どこのご家庭にもよくある決まりだと思うが、我が家では学校から帰宅したらすぐに宿題をし、時間割を合わせると言う決まりがあった。

しかしながら友達と放課後に遊ぶ約束をしてしまうと、ついついその決まりよりも、友達との約束を優先し宿題も時間割も後回しにして遊びに出かけてしまう私達がいた。

特に私は勉強が出来ない子だったので、宿題に時間が掛かるので後回しにしがち。
弟は宿題は良いが、時間割を合わせるのが面倒くさいと思うらしく、決まりそっちのけで時間割は寝る前に合わせていた。

冬の寒い夜だった。
夕食を済ませ、2階の子供部屋(小学生の間は弟と一緒の部屋)で私は漫画を読み、弟はクイズの本だかゲームウォッチをやり寛いでいた。

すると、下から鬼が迫る様な足音を鳴らして母が突如部屋に乱入してきた。
そして物凄い形相で「宿題と時間割は?!」と怒鳴った。

母、激おこである。手には箒。その姿は鬼が金棒を持ち立っている姿そのものだった。

「え…まだ。」←私
「…ぼく、宿題はやった。時間割まだ。」←弟

2人でビクつきながら答えると、母は更に烈火の如く怒りだし、手にした金棒…ではなくホウキで私達をつつき出し、1階に追いやり、掃く様にして玄関から外に追い出した。

そして玄関に鍵を掛け、締め出した。
真冬の夜にである。

今なら、通報されてそうな案件だが、昭和の時代、夜はどうかと思うが家の外に締め出すことは結構あることだった。

何故そこまで母がキレていたのか分からない。
余りにも決まりを守らないことに業を煮やしたのかも知れない。

母の突然の激怒に何が起こったのか全然分からなかった。突如自分の全てを拒絶された様な感覚に陥った私はパニックになり、ギャンギャン泣いた。
弟は黙っていた。

私はとにかく恐怖が先行して「ごめんなさい。ごめんなさい。」と締め出された外玄関で泣いた。

何度ごめんなさいと言ったか、喉はゴロゴロ鳴り出し、しゃくりあげ声が上擦り震え、まともに声が出なくなった頃。
泣きすぎて汗をかき、身体も足元もすっかり冷えていることに気づいた。

そんな頃合いを見計らったかの様に、弟が
「ここに居ても寒いだけやし、行こう。」と言って、私の手を取り歩き出した。

冬の夜。突風の様な北風が抜け、ビュウと音を立てた。
昭和の住宅街。街頭もまばらで暗い。
場所によっては点滅している。

弟は黙って私の手を引く。

ネガティブな時はろくな想像しか働かない。
街頭の下に学校で噂の「口裂け女」が居たらどうしようとか、曲がり角にお化けが居たらどうしようとか、そんな事が頭を過ぎる。

「…ぉおばぁけ、ぃいたら、どぉおうしようぉ。」
泣きすぎて上擦る声で弟に言った。

すると、その直後に弟は殴る様な大きな声で


「おばけなんってないさ! 
     おばけなんてうっそさ!」

と、歌い出した。

私はその大きな声と「おばけ」の言葉にビックリして「おばけって言わんといてぇー!!」と、また大泣きした。
弟はそのまま続けて歌った。

「ねぼけたひとが みまちがえたっのさ!!」


結構大きな声で歌っていたが、私の泣き声と共に北風のビュウともゴウともつかない音に半分かき消されていた。

もうどっちが年上で年下か分からない。
それは昔も今もずっと変わらないけれど。

弟が手を引いて連れてきたのは家から200メートルほど離れた公園。
そこの入り口にある電話ボックスに指を刺して「風、マシや。」と言った。

電話ボックスには蛍光灯が点いていて暗い空間にぽっかりと輝いている様に見えた。

ギコリと折れ戸を開け電話ボックスに2人で入る。
下10センチは空いているし、土台はコンクリート。靴も履いていない。
足は冷たかったが風が来ないだけで暖かく感じた。
私は汗をかいていたから尚更だった。
「明るいなぁ。暖かいなぁ。」
それだけで幾分か気持ちが落ち着いてくる。

弟はずっと押し黙っていた。

どの位時間が経っただろうか。
それでもやっぱり身体は冷え始めて何度か「寒いなぁ。」と、言い出したぐらいに遠くから"つっかけ"の音を響かせ、腕を組みながら暗がりから母が現れた。

そして、眉間に皺を寄せて「どこに行ったんかと思ったわ!」と言った。
続けて「ホラ!帰るで!」と、そう言ってまたクルリと踵を返し、家の方角に向かっていった。

どうやら私達は許されるらしい。
私は感情の行き場に戸惑い、複雑な気持ちだったが家に帰れる事にとにかく安心した。

私は弟に「帰ろう。」
そう言って弟の顔を見た直後、今度は弟が大きな声でワンワンと泣き出した。

今度は私が弟の手を引いて母の背中を見ながら、来た道を帰って行った。

弟は私より小さい分、泣きたかったはずなのに、私が死ぬほど泣くもんだから泣けなかったのだと思う。
本当にどっちが年上なのか分からない。

ついでに、私はその時の母の気持ちが分からなかったが、きっと肝を冷やしたと思う。
母はやり過ぎたと思ったのか、以降幾ら怒られる事があっても締め出しは食らっていない。

弟はこの曲が好きなのか、大きくなっても度々口ずさんでいる姿があった。

私は「おばけなんてないさ」を口ずさむ時、この時の理不尽さや不安な気持ちが少し蘇る。
この気持ちはまるで私の中に巣食う"お化け"だ。

でも、この曲はお化けをやっつけようとしたり、友達になろうとしたりする。

そうして最後の締めくくりにはやっぱり冒頭と同じく「おばけなんてないさ おばけなんてうそさ」の歌詞。

最後のこの部分を歌うと、あの時歌う弟の後ろ姿を思い出し、少し勇気が湧くようなそんな気持ちになるのだ。

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4.おわりに

私は今、47歳。
音楽に詳しくはないが、今まで生きてきた中でどれだけの曲を耳にしてきただろう。

あなたの好きな音楽は何ですか。
考えてみるときっと、ひとつに絞りきれない。
中には題名を知らなくても「あの曲が忘れられない」なんてのもあるんじゃないでしょうか。

そんな中にはきっと昔、自分が小さい頃に一生懸命に歌った童謡もあるんじゃないかと思います。

どうか「しゃらくせえ!」なんて思わず、ちょっと思い出してみてください。
案外、いいもんですよ。童謡。

ふしぎなポケット 作詞:まどみちお 作曲:渡辺茂
桃太郎 作詞:不詳 作曲:岡野貞一
おばけなんてないさ 作詞:槇みのり 作曲:峯陽
                  歌詞抜粋






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