ヤブい。
ハロウィンのこの季節になると思い出す。
でもこのお話は日本にハロウィンの習慣が定着する前のおはなし。
そして、このお話は私の話ではなく、私の母と弟の話だ。
うちの母はお医者さんのヒキが悪い。
本人自身、丈夫で医者に縁遠いということもあり、良い医者を選ぶという事に無頓着なのかもしれない。
そして病院を選ぶ事に関して"神のいたずら"並に運が悪いのだ。
母。痛みにも強い。私が小学校高学年位だっただろうか。朝からお腹が痛いとトイレに篭っていた。だが、本人曰く「我慢できないほどの痛みではない。」と、普通に家事をこなしていた。
しかしながら、今までにない痛みの質に流石におかしいと思ったらしく、翌日自分で車を運転して隣町の個人経営の救急もやっているN総合病院へ。
そこそこ大きい病院だし「まぁ、大丈夫でしょ。」と、飛び込んだらしい。
この頃の我が家の近くには小さな外科しかなく、小児科だの内科だのは隣町に行くしかなかった。
診断、虫垂炎(盲腸)。
しかも腹膜炎を起こしかけていた。
即入院、即手術。
医者はかなり痛みがあってもおかしくない状態にもかかわらず「お腹が痛いが、もうトイレに行っても何も出ない。」と、割と普通にやって来た母に驚いたらしい。
無事手術も終わり、祖母と見舞いに行った時、母は「ここから膿を出す為についている」とお腹から飛び出したチューブ(ドレーン)を見せてくれた姿がうっすら記憶にある。
しかし、そこまでは良かったのだが、この個人総合病院。
やらかしまして。
大事には至らなかったのだが病院の過失にて母は入院延長となりまして。
(詳しく書いていいのかどうか分からないので、ボカさせていただく。)
母は入院延長中終始プリプリ怒り、退院した後も「もう、あそこの病院には行かない!」と言っていた事を覚えている。
そして、その数年後、高校2年生になった弟がお腹が痛いと言い出した。
ちょうど10月末、今ごろの季節。
母は経験者の勘で「これは盲腸!」とピンと来たという。
盲腸で酷い目にあった母。
今度もし、夫なり子供なりが盲腸になった時のためにと"この市で盲腸の手術をしてもらうならココ!"と、讃えられるほど有名なU医師の居るU病院(個人病院・隣町)を人から聞きマークしていた。
母は迷わず噂のU病院へ弟を連れて行った。
が。ここ最近、代替わりをし初代のU外科医は引退し、2代目の息子が引き継いだものの、息子は外科医ではなく完全に専門外。建物自体も古い病院を壊し、小洒落た煉瓦造りのクリニックに建て直していた。手術設備も入院施設ももう無いという。
「おかーさん、ちゃんと病院の看板見なさいよ。専門分野書いてあるから。」未だにこの話になると、私はこう突っ込んでいる。
「うちでは診られないので、紹介状書きます。こちらからも連絡します。近いので早急に行ってください。」
そう言って2代目U先生から渡された紹介状の表書きには「N総合病院」。
そう。母が苦渋を舐めさせられたあの病院。
横で苦しむ息子、紹介状、U医師からの直々の連絡。
トリプルリーチを食らった母は、違う病院を探そうかとも一瞬思うも、ひどく痛がる弟の姿を見兼ねて断腸の思いでN総合病院へ向かった。
母の睨んだ通りやはり盲腸。
そして手術となった。
さて、ここからは退院した後の弟から聞いた話。
全裸になり手術準備に入る弟。
手術室に運ばれ局所麻酔をする前に、看護師さんに「お腹の中をいじるので、気持ち悪くなると思います。吐きそうになったら顔の横に膿盆(そら豆型の金属のお皿)を、置いておくのでそこに吐くように。」と、言われる。
初めての手術に緊張する弟。
素直に「分かりました。」と答えた。
約30年前の10月末、今よりずっと寒かった。
裸に手術用ドレープが掛かっているだけだが、空調が効いているらしく寒くはない。
手術室の照明。銀色の棚。心拍計の音。緑の手術着を身に纏うスタッフ。
ドラマでしか観たことのない光景。
そして手術開始。
お腹を切られ、なんだかお腹の中をウニョウニョ触られている感覚があったらしい。不思議な感覚。
案の定、気分が悪くなり吐き気がきた。
こみ上げるブツ。
"吐きたくなったら、顔の横に置かれた膿盆に。"
弟は来るべくして来た緊急事態に膿盆の方に顔を向けた。
そして、我が目を疑ったという。
膿盆が遠い。
弟は「なんでやねん!」という自分を構成する細胞全ての総ツッコミを感じながら、自分史上この上ない早さで、状況判断をしたという。
・幸いこの感じからして、出てくるモノの量は多くはなさそう。
・周りのスタッフは患部の腹を見ていて僕のピンチに気付いていない。
・込み上げてくるモノのせいでヘルプの声が出せない。
弟は一か八かの作戦にでた。
横をを向き、角度を考え膿盆をロックオン。
口をひょっとこの様に尖らせて、リズム感、経験則、集中力、反射神経、自分の持て得る能力を駆使し、込み上げたモノに勢いと自分の全集中力を乗せテッポウウオの様に射出した。
…が。射出物は弧を描きハズレた。
というか、勢いが足らず届かなかった。
口元から膿盆手前まで一直線の痕跡を残す吐瀉物。
自分の無力さと情けなさに打ちひしがれる弟。
泣きそうになり震えていると、ようやくその様子に看護師さんが気付く。
そして事もあろうに、こう言われたらしい。
「あーあー。森(私の旧姓)くん。吐く時は膿盆に吐いてって言ったのに!」
「!!!!」
弟は今まで生きていた17年の中でこれほどまでに理不尽な事はなかったと言った。
そして、心の中で一生分「チキショー!!!」と何度も叫んだとも言っていた。
しかし、今の自分は文字通りまな板の鯉。
手術中、「チキショー!」と、大声を出すことも、動くことも(動けないが)許されない身。
唇を噛みつつ、終わるまで大人しくしている事にした。
所要時間が大体1時間くらいで終わるという急性虫垂炎の手術。
時間的にちょうど折り返し地点にきただろうか。
ちっちゃく"カツン"という音がしたという。
しばらくして、手術医とスタッフが「あれ?空調止まった?」と、言い出した。
その問いに誰か分からないが「最近ここの空調、調子悪いんですよ。」
「流石にもう空調ないと肌寒い時期だね。」
そんな季節感あふれる和やかなスタッフの会話。
しかし、和やかなのはスタッフだけ。
この空間内に条件が著しく違う人物がひとり。
そう。弟だ。
いくら肌寒いと言っても、スタッフさんは手術着の下にシャツも下着も着ているだろう。
しかし弟は全裸。
正直、スタッフが気付く前に「あれ?空調…?」とは思ったらしいが、さっきの精神的ダメージも大きく、自分にはどうも出来ないと早々に思考停止。
全ての事に諦めモードになっていたらしい。
しかし、そうは言っても身体は冷えてくる。
それはそれは、ひとこと「寒い」と簡単な言葉で表せない程に身体は冷えていったという。
手術は無事(?)終わり、手術室から出た所で母が待っていた。うっすら目を開けると母の顔。弟は母に「お母さん…寒い…寒い…。」と訴えた。
病室に戻され暖かい布団を被された時に弟は心の底から"命のありがたさ"を感じ、無性に"ぼくらはみんな生きている"を歌いたくなったと言った。
母は母で心配で手術室の前で待機していた。
予定通りの時間に手術室から出てきた弟。
ほっとしたのも束の間、顔を覗くと弟はガタガタと震えており、顔も唇もそれはひどく青ざめていたという。
そして極め付けに半目で「お母さん、寒い…寒い…。」と弱弱しく訴える弟。
歯の根も合っていない。
母は即座に頭に血が昇り
「やりやがったな!!!」と思ったらしい。
母の言いっぷりからおそらく、"やりやがったな!"の意味は
"やらかしやがったな!"ではなく、
"殺りやがったな!"だと推測される。
そして、術後の説明の為、別室に案内された母は一番に「なぜあんなに震えているのか。何か失敗したのか。」と、スタッフに詰め寄るも「ああ。空調が途中調子悪くて。」とサラッと言われたという。
しかし、母にすれば一度ならず二度までもである。終始、自分でも分かる程、穏やかではない心と鬼の様な顔で説明を聞いていたらしい。
うちのママンはイザという時、キッチリ切れる。
「人間として正しい反応をする人だな。」と、いつも感心する。
30年経った今でも「信じられない!」とご立腹している。
さて、その頃のワタクシ。美術短大一年生。
10月末、文化祭の準備で、てんてこまい。
大学生生活大満喫。
手術の経過を何となく聞き、とりあえず無事だという事を聞いていたので、弟が入院し4日目にして学校帰りにようやく見舞いに寄った。
面会時間ギリギリ。
弟は大部屋の端っこに居り、暇そうに何をする訳でなく上を向いてぼんやりしていた。
私は「よう!」と声を掛け、ベッドの横の丸い椅子に腰をかけた。
詳細はその時知らなかったが、"どうやら大変だったらしい"とは聞いていたので「酷い目にあったらしいな。」と声を掛けると「ここでは言えないから、また退院したら話すわ。」と、弟は少し小声で言った。
確かにこんな事の顛末、他の患者さんのいる大部屋で話せない。不安を撒き散らすだけだ。
そんな事を知らず「ふーん。」と言い、お土産の最新号のジャンプとサンデーを渡すと弟は大変喜んだ。
よく見ると、弟は入院の友達テレビさえレンタルして無かった。
(その病院はテレビをみようと思ったら、テレビ本体をレンタルする仕組みだった。)
「アンタ、テレビも無しで4日間も何してたん?」と聞くと「うーん。一週間位の入院でテレビを借りるのも勿体無いかなぁと思って。」と、聖人の様なセリフを吐く弟。
私なら我儘全開で地団駄踏んで「テレビー!テレビぃいー!」とタダをこねただろう。
「それに隣の人が、テレビ観せてくれてたし。今日退院したけど。」と、ハハハと笑い「だからジャンプとサンデー、助かるわ。」と言った。
そして「ああ。そうだ。今日、姉ちゃんが来るってお母さんが言ってたから。」と横の冷蔵庫にある袋を出す様にいう弟。
袋を開けると、それは白い筋が見事に一本も無くむき上げられたミカン3個が入っていた。
完璧なつるっつる。傷ひとつもない。
それは匠の様な仕事だった。
「…おお?これは…?」と聞くと、隣のテレビのおじさんが退院する際にくれたそうで。
でもまだ線維の多い食べ物は早いので、私にやろうと取っておいてくれたらしい。
「なんでツルツル?」と聞くと、「ただミカンを渡すのも捻りもないし、とにかく暇だったから。」と言った。
…剥かなくていいのに。男子高校生が熱心に剥いたミカン。冷蔵庫で冷えに冷えたミカン。芸術性の高いミカン。食べにくい要素目白押し。しかも3つ。
そんな事を話していると、面会時間終了のアナウンスが流れたので、袋のミカンを受け取り「お腹が減ったから帰るわ。」と弟に言い帰路についた。
帰りのバスの中で、「アイツ凄いな。ベクトル変だけど。」そんな事を思いながら、ひとしきりツルツルとしたミカンを眺めた後に、ひとつ食べた。
筋が全く無いミカンは不思議な食感だった。
数年後、日本で"ハロウィン!ハロウィン!"と騒ぎだした頃、ジャック・オー・ランタンを見て思った。
「あ。あの時のミカンだ。」
以降、この季節の出来事だった事も相まり、毎年の様に街でジャック・オー・ランタンを見掛け、特にミカンが出回り始めると、ヤバいというかヤブ医なこの出来事を思い出すのだ。
因みにその病院はもう無い。
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