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稲盛さんの「心」を読書会で読んだら、読む年代(年齢)によっていろいろ捉え方が変わっていておもしろかった(タイトル長っ(≧▽≦))

最近、いろいろな方の読書会に参加させていただいております。
主催する人によって色が変わる読書会。
そして、主催者が彩った世界にさまざまな光を届ける参加者たち。
その彩と光で読書会の場づくりは完成されます。
参加者の光も重要ですね。

今回参加させていただいている読書会は
参加者全員が大興奮するくらい、情熱的な読書会です。
(全4回で1か月ごとに開催。本日が3回目でした)
主催者の安心安全の場づくり、そして「みんな吐き出していいんだ! 本当の姿を見せてくれ!!」という熱い熱い想いが私たちの心を動かし
世代も性別もバラバラの4人が自分の思いのたけを存分に話すことができるのです。
本を通して、自分の心の奥にある、内なる思いを共有する、この恍惚はどの読書会にもないものだと思います。
本当にすんばらしい読書会♪

さて、そんな会で今回課題となった本は稲盛和夫さんの「心」です。

私は実は、以前から参加させていただいている読書会で「心」が課題本になったことがあったのですが、残念なことに予定が合わず不参加でした。
それでも読破はしていたので、短い期間でありながらも(1年あけず)2回目の読了です。

不思議なことに、その短い期間でも納得できなかった部分が少し理解できました。

44頁付近の「過去の業が消える」話
災害にあったり、病気になったり、自身が許しがたい行為を受けた時
「それは自分自身が引き寄せた」とか、
「災難は喜んで受け止める」とか

とてもうなずける話ではありませんでした。
友だちが、家族が、親戚が阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本地震にて被災したり、命を落としたり。
看護師として多くの患者さんが病気のために苦しんだり命を落としたりされているのを目にして
自分もこれだけ生きていれば、許しがたい、あり得ないような経験もしてきています。

そんな当事者に、そんな言葉をかけられるものか。
自分自身もとても飲み込める言葉ではありませんでした。

私自身、ときおりそんな言葉を他の方々からかけてもらうこともありました。正直な話、内心はよくもそんな言葉をかけてくるものだと思っていました。

けれどその方々が、心から私のことを癒そうとしていたり、なんとか立ち直ってほしいと思ってくれていることを感じるたび、なぜこの人はこんなことを言うのだろうと、少し引っかかるようになっていました。

そんな疑問や(この人がいうのなら)信じてみたいという気持ちもあったのかもしれません。

そして、最近私が伝授していただいた「コミュニティラウンド」の理解からも、この言葉の真意に触れられたような気がするのです。
(コミュニティラウンドは下記の記事で詳しくお話しております)

改めて、もう一度この本を読むことになった奇跡にもありがたいと感じずにはいられませんでした。


仕事に関してを主軸に語られる本ですが
やはり仕事を続けていると、年数によって見え方が変わります。
その視野ごとに響く部分が変わったり、初心に戻れたりする本なのかもしれません。

さらに、この本は稲盛さんの経験してきたうえで感じたことなので
終わった話が多いです。
稲盛さんはすべて整理して語っているのですが
人によってはその過程こそ聞きたい話で、終わってしまったことを聞いても過程が想像できなければ、あまり理解できないのかもしれません。

さらに、昭和初期の希望溢れる時代(←また言ってる((;^ω^)※スマホ脳でも同じこと言うた)の上がり調子にいた世代の成功話は、正直今の世代にとったら、そりゃあね、その時代だったらね、と現実感がないのではと思ってしまいます。稲盛さんが今の時代に生きていても、成功するのかしら・・・
(きっと違う方法で活路を見出したのでしょう・・)

また仏教を信仰されていた稲盛さんならではの視点も私は読みやすかったです(仏教好き)
だからなのか、鬼滅の刃のシーンがたくさん連想されて、それもこらえきれずに話す私。( *´艸`)
83頁付近の心を磨くこと
「すぐれた能力であればあるほど 
それを利他の心、すなわち自分のためではなく
人のために使う」
まさしく煉獄さんではあ~りませんか

心を燃やせ!

はしゃぐ私。(←最年長者)

そういえば、鬼滅の刃、始まりましたね~(∩´∀`)∩

昭和初期の上がり調子の時代の苦難や成功は
私にとっては眺めてきたものなので、話が納得するかしないかは別としても普通に言葉として入ってくるものですが
人によっては理解したり想像するのが難しいものでもあると思いました。

戦争と同じで、だからこそ伝えていくのは大事だと思うし
伝えるって難しいし
なにが価値なのかは時代によっても変わってくるものだから
伝え方も本来変わるべきなのかもしれません。
(でも本はもう出来上がっているし‥)

または、そこからなにを受け取るか
受け取れるように発掘する力も必要なのか

理解しがたい事にもその価値は必ずあるわけで
私のような年代の人間が
敬意をもって若者の考え方を知ろうと努力するのに
少し似ているな、と思いました。

今回、私も読書会の課題本を選定するために本屋に行って
本屋大賞なる賞を受賞された本を購入して読みました。

おもしろくないとは言いませんが、そんなにお勧めする本屋大賞をとるほどのものなのか・・・
自分が乗り切れないのを悔しく感じました。

成瀬自身のターンになった時の、「普通」の表現の仕方から
やはり昭和のスター視点ではなく
「普通」へのリスペクトを感じました。これが今の人の感じ方なのだろうと思います。
また、この本については別の機会で語りたいと思います。

いやあ~、読書会っていいものですね、さよなら、さよなら、さよなら
(これがわかる人、今いるんだろうか…)
おわり

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