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「中小企業診断士とMBAを目指して」その3(受験日当日編)

いざ試験会場へ

集合指定時間は9時30分。私は神戸市営地下鉄「学園都市駅」に8時過ぎに到着し、県立大学に向かった。想像以上に広大なキャンパスに戸惑いながら、試験が行われる棟まで案内を頼りに歩く。

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受験生控え室には既に多くのスーツ姿の受験生が集まっていた。こういうときは、自分以外の受験生は皆優秀に見えるものだ。私はあえて周りをあまり見ず、自分の世界に浸り小論文対策として購入していたマーケティングの本を読み直すことに集中した。 

9時30分を過ぎた頃、案内係の号令で一斉に隣の受験会場に移動した。階段状の広い講義室には80名はいたであろうか。「この中で診断士養成課程に合格できるのは10名もいないのか・・・」と考えると、試験開始を前に気持ちが萎えてきたことを記憶している。
そうこう考えている間に、机上には問題用紙と解答用紙が配布され、試験官が、順番に受験票と顔写真の照合作業を始めていた。

小論文試験開始

午前10時となり、試験官の合図とともに試験が開始された。

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早速「エッ!?」と内心で絶句。課題文書がA3用紙5枚とかなりのボリューム。しかも、想定外のグループ企業に関する経営分析の出題。単体企業に関する経営分析はある程度対応出来る自信があったが、グループ企業全体を捉えての経営分析について準備を全く行っていなかった。
完全に手が止まった・・・。試験時間は2時間あるものの、頭にある知識をフル回転させても経営分析に必要なフレームワークが何なのか思いつかない。

「ファイブフォース、3C・・・・、うーん違うなぁ。そうだ、グループ企業内のキャッシュの動きに着目しよう。」という発想に行き着き、これが正しいのかどうかは分からないが、最終的に経営資源の投資配分を判断するための手法である「PPM分析」を用いた論述構成を行った。

ところであるが、解答用紙はA3の大きさであり字数制限はない。よって何枚使って書いても良いのが県立大学の入試の特徴である。ちなみに私は2つの設問に対しそれぞれ1枚しか書かなかった(実際には書けなかった)が、前席の受験生は1つめの設問に対し3枚も使用(挙手して追加用紙を試験官にもらう)しており、それを見て正直、「もうダメだ・・・」と思ったのは記憶に新しい。

昼休憩そして面接へ

2時間前とは打って変わって、余りに重たすぎる気持ちを引きずりながら学生食堂へ。食欲もなく別に食べる必要も無かったのかも知れないが、ただ何となくカレーをオーダーし、放心状態のまま数分で食べきった。「この食堂で食べるのもこれが最初で最後か・・・」と思いながら。

面接は小論文試験とは別の棟で実施された。ここでも控え室に全員入り、自分の順番が回ってくるまでじっと待つ流れであった。
面接方式は3人の面接官を前に1人(受験生)というスタイルで、恐らく3部屋に別れて行われていたように思う。
面接の開始時間は13時30分からであったが、自分の順番が回ってきたのは15時15分頃だったように記憶している。とにかく、待っている時間が長く、いろんな意味で不安を増幅させる時間でもあった。
例えば午前中の小論文のことを考えたり、これから始まる面接官はどんな人だろうか、厳しい質問をされたら上手く返答できるだろうか・・・等々

面接開始

受験番号が呼ばれ控え室を後にした。廊下を進み一番手前の部屋へ。
ノックして「失礼いたします。」の言葉とともに入室。
早速、「受験番号と氏名をお願いします。」との指示。返答後着席。
その後、志望動機について尋ねられたのだが緊張の余りかはじめ、上手く言葉が発せず焦った。だが暫くすると「何かが乗り移った?」かの如く喋り始める自分がいた。そして、中小企業診断士を目指した背景から今後目指す中小企業診断士像、生涯にわたり地域貢献に携わっていきたいことなど約10分にわたり喋り続けた。本来であればもっと経営理論的な質問をされるはずだったのかも知れないが、その質問を封じ込めたる格好となったようだ。
最後の質問では「養成課程はかなりハードだが体力面は問題ないか?」の質問に対し、「山登りが趣味で今年に入ってから既に570キロほど歩いている。」「健康診断もこの年齢でA判定です。」と言うと、面接官は「ポカーッ」とした表情を浮かべた。

このように面接については終始、和やかなムードで進んだとともに私の兵庫県立大学大学院に入学したいという強い気持ちも十分に面接官には伝わったのではないかと自覚している。

「中小企業診断士とMBAを目指して」その3(受験当日編) おわり

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