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唯一継続できていることの理由を考えてみた -run.01-

 大学4年を最後に、本格的に走ることからは遠ざかっていた。そんな自分が走ることを再開し、まもなく競技会に参加するところまできている。日々のトレーニングを継続してきた中で、「継続できた理由とは何なのか?」、「自分とは一体どんな人間なのか?」といったことについて、自分と真剣に向き合い考えてみた。

1.面倒くさがり、継続力が全くない自分

 そもそも自分は、本当に面倒くさがりで継続力も意志力も弱い。そのことは、私をよく知る大半の人も認知している。見る人から見たら超ダメ人間に違いない。そんな自分が、昨年3月頃から走ることを始めた。それも20数年振りに。そして、それは開始から約1年半たった今でも継続できている。こんな自分にも継続できるものがあったことに驚かされる。それと同時に、こんな疑問が湧いてくる。

「一体なぜ、継続できているんだろう???」

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2.私に芽生えた最初の価値観

 元々、幼少期から走ることだけは得意だった。記憶がある小学生時代から振り返ってみても、運動会や陸上競技記録会があるたびに、クラスメートや両親がとても喜んでくれた。
 「速く走れるだけで、こんなにも喜んでくれる人がいるんだなぁ~」と当時はよく思っていたし、『誰かが喜んでくれる。それがデキる自分がいる』ということが、とても嬉しかった。今振り返ると、これが私に芽生えた最初の価値観だと考えている。そして、当然のように、小学生時代の私に対するレッテル、タグ付けは、”足の速い人”となった。

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 そして、もうひとつ私なりに感じた価値観がある。それは、中学時代の転校を機に、”足が速い”というだけで、すぐに多くの友達が出来たことだ。その時に強く感じたことが、『得意は、人と人との壁を溶かしてくれるものなんだ!』という価値観である。
 しかも、この転校先は当時県内でも非常に荒れていることで有名な学校のひとつで、いわゆる”不良認定”された人達も結構な数いたのを記憶している。日常として、授業中かなりの頻度で火災警報器が鳴ったり、先生方とのイザコザが絶えなかったりと、初めその光景を目の当たりにした時には、衝撃と恐怖と転校してきたことへの後悔を今でもよく覚えている。
 ただ、ここでも早々に”足が速い人”とタグ付けされたおかげで、”認定不良”の人達からも注目を浴び、「お前、スゲーじゃん!!」的な感じで接してもらえるようになった。

『足が速くて本当に良かったなぁ〜』と心底思ったのを記憶している。

 自分はたまたま足が速かっただけ、走ることしか得意でなかったけれど、それによって得したことは多かった。そして、私は思った。

『よし!得意の上にスキルを磨いていこう!!』と。

そこから、自分のやりたいことがより明確になり、高校、大学と本格的に陸上競技に打ち込んでいくことになった。

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3.自分との対話により、でてきた気付きや疑問。

 再び走る”キッカケ”になったのはコロナ。コロナの到来により、リモートワークの増加や仕事時間の調整を自分でコントロールしやすくなったことが大きかった。
 継続の中身は?というと、週に5~6日程、約1Kmの坂道を心肺機能限界まで追い込み、辿り着いた山の頂上にある公園での筋トレ(腕立て、腹筋)、その後50m程度のダッシュを繰り返している。所要時間は、Door to Doorで、Total90分程度の時間を日々割いている。

 正直、走る前から肉体的に辛い、しんどい日も多い。だって40代だもん。それに加え、継続力も意志力も弱いので、坂道を走り出した瞬間から「うわ~、今日はもう走れまシェーン(泣)」とすぐに妥協もしたくなる。

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でもね、私気付いたんです!!
辛くて坂道走ることを途中で止めたくなっても、私のヤル気スイッチが点火し続けていることに。「今日は肉体的に辛い、しんどい・・・。だけど、ヤッたる!!」みたいな自分がそこにいるんです。

『辛いんだけども、なんでヤッたる!と思えるんだろう??』

この感情が不思議で仕方なかった。だからこそ、そこに継続できる私なりの秘訣が隠されているんだと思っていた。

4.記憶によって見出される差分に対し想像力を働かせていく。ここに継続の秘訣が隠されている。

 私の性格として、数値へ意識が向きやすい。しかも、その数値の変化を精度高く予測したいと考えている。仕事に置き換えると「売上実績の着地予測を精度高く読み解きたい」、「KPI(key performance indicator)により数値化させたい」など。走りに置き換えると「昨日と今日で走りの感覚を変えてみたが、記録はどう変化したのか?」といったことについて非常に興味関心がある。

 昨日の感覚と今日の感覚、この記憶によって見出される差分(感覚の違い)から、「なぜ記録に変化が表れたのか?」、「記録にどう影響を与えたのか?」といった問いが生まれてくる。そして、この問いへの答えを探すために、言い換えると”感覚と記録との間に発生したギャップ”を埋めていくために、自分の想像力を膨らませていく。

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 私自身は、”走る”という手段を通じて、この『ギャップ解消プロセス=想像力を膨らませるプロセス』そのものを楽しめているように思う。このプロセスを楽しめているからこそ、辛い日でも継続できているように思う。つまりそれは、辛い日なりの走りの感覚と記録にも興味が持てるからこそ、他の日とのメリハリ(強弱)が付けやすくなるということでもある。
 例えば、「昨日の走りの感覚では記録が思わしくなかったが、今日走りの感覚を変更してみたら記録が格段に向上した!この違いは一体何なのか??」
この問いに対する想像力を含ませていくためにも、体調のいい日ばかりではなく、肉体的に辛い日の感覚と記録との関係性をもしっかりと把握しておく必要がある。しっかりと把握しておくからこそ、ギャップ解消への想像力を働かせていく近道になるはずだと信じている。

5.”感覚の数値化”が私にとっては大事。

「走りの真髄に迫りたい!」、「感覚を研ぎ澄ましたい!」、「自分比での成長を感じたい!」と考えている自分がいる。そのために必要なのが、『感覚の数値化』になる。数値というひとつの指標がリアルタイムで見れることは、私にとって継続していく上でとても重要なことであり、その場での想像力を膨らませていくためにも欠かせない。感覚という記憶が残っているその瞬間だからこそ、記録(数値)という指標を基に、原因分析、課題解決、そして新たな切り口へ向けた想像力をも働かせていける。

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 自分の感覚を人に伝えることは、とても難易度が高い。ただ、自分だけの感覚をまずは自分なりに言語化し、それを自分自身で体感してみる(自分事として引き寄せてみる)。その指標に記録という数値を用いる。そして生まれてくる、この感覚と記録とのギャップに対し、想像力を膨らませながら試行錯誤していく。

 この一連のプロセス(差分を見出し⇒想像力を膨らませる)は、いちビジネスパーソンとしても日常的に行っていることである。私はこの一連のプロセスを繰り返しているうちに、気が付けば、約1年半もの期間、トレーニングが継続できていたし、気付けば競技会に参加できそうなところまで身体も絞れている。継続の途中からは、競技会に出れるんじゃないか?と思えたことで、目標を具体的に絞れたことも、更なるヤル気スイッチの維持に繋がったことは間違いない。

5.最後に

 40代である私が、今継続できているものは、”走ること”くらいしかありません。継続力に長けている人からすれば、わずか1年半程度のことなのかもしれません。ただ、他人と比較すると劣等感しか生まれない中で、「自分比で考えていこう!」、「自分比での成長を実感しよう!!」と思えるようになったことは、今を楽しくイキイキと生きていくうえでとても大事な評価軸だと感じています。

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 1年半前に走ることを始め、まもなく競技会に参加することにもなり、今は、少しずつ”かけっこ楽習”も始めています。幼稚園児から小学生を対象に、特に運動に苦手意識を持つ子供に対し、『デキる喜びを共感したい!デキる喜びを知って欲しい!』との思いをカタチにするために、日々試行錯誤しながら取り組んでいます。
 正直、子供達に伝えること、伝わることの難しさはありますが、知育も織り交ぜながら、『楽しく自分史上最高』をキーワードに少しずつでも成長を実感してもらえればと考えています。また、長年ヘルスケア企業に勤務するいちビジネスパーソンとしての、これまで培ってきた『カイゼン×伝える×健康』といった掛け合わせで、成長の歩みに少しでも関与できることを望んでいます。

 私が幼少期に感じた価値観(私にデキることで、誰かが喜んでくれる)を実現していくためにも。。。

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