見出し画像

弱くなったと言われる若い世代に

最近の若者たちは弱くなったとよく言われます。僕自身ももう10年以上前から部下の新入社員や若手社員たちがほんのちょっとしたことでポキっと折れてしまいそうな感じなのを見て、大変驚くと同時に、彼らを一体どうすれば良いのだろうと悩んできました。

そして結局、悩んでいるうちに定年退職を迎え、解決策も見いだせないままになってしまいました。

自分たちの若かったころを思い出すと、どうしてそんなに傷つきやすく、どうしてそんなに揉めごとを嫌い、どうしてそんなに戦わないのかが不思議でならないのです。

それで2年半ほど前にこんな文章を書きました:

でも、考えてみれば、僕らの先輩たちも僕らのことを同じように見ていたのだと突然思い始めました。彼らもきっと僕らと同じように「最近の若い奴らは弱っちくて」などとかこちながら管理職をやっていたんじゃないかと思うのです。

そして、僕らの先輩たちの先輩たちもまた、僕らの先輩たちの世代を弱い世代だと見ていたのではないでしょうか?

恐らく人間はどんどん弱くなっているのだ、というのが最近の僕の感慨です。

昔は今より遥かに厳しい環境下で、物理的に生きていくこと自体がしんどかったはずで、当然それに打ち勝って生きて行くためにはもっと強い精神の持ち主であることが必要とされていたのではないでしょうか。

でも、世の中はどんどん進歩してきました。その結果、生きて行くのがどんどん楽になるので、世代が進むにつれて人がどんどん弱くなるのは当たり前なのかもしれない、と思うのです。

かつての過酷な環境は少しずつ改善されてきましたが、単に生き延びて行くこと自体は楽になってきたのと引き換えに、世の中自体はどんどん複雑になって別のストレスが増えていることについてはもちろん否定しません。

ただ、強いか弱いかということだけを考えると、人間はどんどん弱くなっているし、弱くなるのが自然の流れのようにも思えるのです。

例えばクロマニヨン人は現代人よりずっと強かったでしょう(笑) いや、そこまで遡らなくても、明治維新のころの日本人は今より遥かに強かったのだろうと思います。

第2次世界大戦中の日本人も、戦時下であるという極めて特殊な状況を割り引いて考えても、やっぱり現代の日本人よりかなり強かったのではないかと思います。いずれももちろん肉体ではなく精神の話です。

あるいは、聞いたり読んだりした昔話ではなく自分自身の体験談で言うと、僕らの若かったころの会社員生活においては、今では明確にパワハラやセクハラと規定されていることが、一日の例外もなく全勤務日に、一日に一回は必ず行われていました。

僕らはそれをひたすら耐え忍び、あるいはそれをうまくかわし、気にせず乗り越え、あるいはたまには逆襲して上司をやりこめたりもしながら生き延びてきました。今の若い人たちだったらきっと、とんでもない屈辱感に塗れ、再起不能なまでに落ち込み、あるいは逆ギレして闇雲な暴力に訴えたりしていたかもしれません。

もちろん僕らも腹が立ったり落ち込んだりもしましたが、でも、ポキっと折れちゃったりする人はめったにいませんでした(折れちゃった人がごくわずかいたのも事実ではありますが)。なぜなら当時はそういう行動にはまだパワハラとかセクハラとかいう名前もなく、単によくある日常だったからではないかと、今ではそんな風に捉えています。

ことほど左様に社会は変化しているのです。そして、そのお蔭で耐えたり跳ねのけたりしなければならない対象が減ってきているわけですから、それに打ち勝つ強さは必要とされなくなり、そして、人は次第に弱くなってきているのではないでしょうか。

ただ、一つだけ言えるのは、僕らだって生まれた時から強かったわけではないということです。自分の人生を振り返ってみると、僕らは小学生の時より高校生のときのほうが、高校時代より社会人になってからのほうが、30代より 40代になってからのほうが強くなっていたということです。

そう、僕らは生きているうちに少しずつではあるけれど、ゆっくりと強さを増して行ったのです。

そして、このことだけは今の若い人たちにも意識してほしいなと思います。君らは別に今のおじさん・おばさんたちの世代と、あるいは僕らのようなおじいさん・おばあさんたちの世代と強さを比べる必要はないのです。だって、生きている環境が変わってきているのだから。

でも、他の世代との比較ではなく、昔の自分との比較においては強くなってほしいなと思うのです。昨日より今日が、今日より明日が──なんてことは言いません。そんな短期的なことではないのです。

でも、10年前、20年前と比べると少し強くなったかな、と自分でも言えるようになってほしいし、そのためには少し無理をしたり頑張ってみたり背伸びしたりしてみてほしいのです。

何故なら人は自らが強くなることによって初めて他者に対して優しくなれるのだから。強くなることによって漸く他者を受け入れることができるようになるのだから。

もし強くなれたらその時には逆に下の世代が弱く見えるかもしれません。そんなときにこの文章を思い出してくれると嬉しいなと思います。

時代とともに人は弱くなっていくのかもしれません。でも、自分自身は少しずつ強く、そして優しくなれないと、人生は決して豊かなものにならない──それがおじいさんになった今の僕の心境です。

この記事を読んでサポートしてあげても良いなと思ってくださった奇特な皆さん。ありがとうございます。銭が取れるような文章でもないのでお気持ちだけで結構です。♡ やシェアをしていただけるだけで充分です。なお、非会員の方でも ♡ は押せますので、よろしくお願いします(笑)