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そうか、君らはもう戦わんのやね

僕は時々会社で、「ここは怒ってもええのとちゃうか」、「ここでしっかり喧嘩売っとこうよ」みたいなことを言ってみるのですが、最近では大体はスルーされてしまいます。

これは多分、最近の若い奴は弱っちいとかだらしないとか、そういう一人ひとりの、言わば“個”の問題なのではなく、世の中全体が、人と人のつきあい方一般が、会社と会社の仕事の進め方の基本が変わってきているんでしょうね、きっと。

そうか、君らはもう戦わんのやね

と思いました。

だから、僕が経理局長の作った紙資料を本人の前でビリビリに引き裂いたことがあるとか、当時提携していた外資系巨大企業のユダヤ人ジェネラル・マネージャーに楯突いたら対面口頭で出入り禁止を言い渡されたとかいう話をしても、本人は武勇伝のつもりでも、聞いているほうは蛮勇愚行録でしかなく、「この人、あぶない」と引かれて終わりみたいです(笑)

でも、じゃあ、仕事の上であまりにもひどい仕打ちを受けたら、彼らはどうするのでしょう?

その場は表面上円満に収めた上で、次回から取引をやめて、他の会社と組む? ──ある意味あっさりしているとも言えます。

労働基準監督署とか公正取引委員会とか消費者センターとか BPO とか、あるいは心の相談室とかに駆け込む? ──それはそれで間違ってはいません。でも、僕らはいきなりそこじゃなかった。

「こんな環境では仕事ができない」と、会社を辞める? ──そうか、君らは辞めてしまうのか。

でも、それじゃ世の中良くならないでしょ? じゃあ、お前が喧嘩すれば世の中良くなるのかい?と言われるかもしれませんが。

若い頃に、親しくしていた某広告代理店の某氏に、「お互いの会社の若手を育てるのも大事な仕事のうちのひとつやろ」と言われて、僕は目から鱗が落ちました。それ以来、取引先の人材を育てるという視点を持って仕事をするようになりました。

だから、取引先の社員で、自分の部下を潰しかねない動きをしている奴とも大喧嘩しました(僕より10歳ぐらい上の奴でしたが)。

そして、社内に目を向けると、やっぱり社内の人材も育てなければならないし、後進に対してだけではなく、上司や先輩に対しても、喧嘩を売るべきときにはしっかり売って、会社を少しでも良くして行くのも自分の仕事だと思うようになりました。

最近は終身雇用制が流行らなくなって、入社しても早ければ2~3年で辞めて行く社員もいます。でも、そんな人に対しても、僕は「その2~3年で少しでも会社を良くするのはきみの仕事だよ」と言いたいです(言う機会はなかなかないんですけどw)。

ある若手社員は、飲食店に入ってとても不味かった際に、お金を払うときに店員から「如何でしたか?」と訊かれたりすると、その場ではにっこり笑って「おいしかったです」と答えておいて、後で食べログで☆1つにしておく、と言っていました。

まあ、飲食店の場合ならそれはそれで良いのかもしれません。でも、会社や取引先はたまに行く飲食店と同じではないのです。

飲食店でわざわざ「不味かったです」と言う必要はないけれど、会社では「それはマズイでしょ?」と言ったほうが良い、という理屈は、もう通じないんでしょうか?

そうか、君らはもう戦わんのやね

多分、君らが悪いんじゃない。世の中という大きな器ごと変わってきているので、その中で君らはうまく抗えないのでしょう。

でも、僕らの時代は「抗う」ことも「働く」ことの1つの要素でした。

僕の頭の中ではいつまでも中島みゆきの『ファイト!』が鳴り響いています。そうか、あの歌は1983年、もう37年も経ってしまったんですね。

全員が戦わないのであれば、それも良いのかもしれません。でも、それなら「戦う」に代わる、何か別のシステムが必要な気がします。

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