見出し画像

仕事って何?

私はかつての自分の部下たちに何度か「人を動かすのが人の仕事でしょ?」と言ってきました。note にもまさにそのタイトルの文章を書いたことがあります。

その意味するところは、ただ思ったことを言い、言いたいことを口にするだけでは仕事にならないよ、ということです。そんな言い方をしても、あなたが自己満足するだけで、聞いた相手を動かすことはできないでしょ、ということです。

15年以上続けている自分のブログにもその主題でいろんな文章を書いており、あらためて漁ってみるといろんなアプローチの論述が見つかりました。それらは私自身が理不尽な労働環境の中で随分悩んだ末に到達した、ある種の境地です。

その中から2篇を選んで、少し手を入れたものをここに転載したいと思います。若い人へのヒントになれば良いなと思って書きます。ほんとにそうなってくれると嬉しいです。

仕事の始まり 【2010年7月 記】 

「私は正しいことを言っているのに、上司が理解してくれない」みたいな相談を受けた。時々受ける相談だ。

それに対して僕は、「しかし、サラリーマンは正しいことを言ってるかどうかで評価されるのではなく、正しく人を動かせているかどうかで評価されるのである」みたいな返しをしてみる。

「えっ、でもでも…」と君は何を措いてもまず自分が正しいことを言っているということを僕に認めてもらおうとする。それがなければスタートできないみたいに。あるいは逆に、それがまるでゴールであるみたいに。

だが、君の言っていることが正解であろうと誤解であろうと、喩えて言うなら風下から走るか風上から走るか、平坦なコースを走るか上り坂を走るかという程度の差しかない。

「それって大きな差じゃないですか!」と君は言うだろう。うん、確かに大きな差だ。しかし、それは走りださない理由にはならない。

君がサラリーマンとして評価されるときに、正しいことを言っているかどうかはそれほど大きなポイントにはなっていない。君はまだキャリアが浅いのだから、少しくらい間違った判断をしていても許されるのである。逆に正しい判断をしていても、いまのところは小数点以下のポイントしか稼げない。

判断の正しさを問われるのは君の上司である。それが部下の判断をそのまま採ったものであれ、自分の意見で部下の判断を覆したのであれ、責任を問われるのは常に君の上司である。

では、君の一番大きな仕事は何か? それは、君の上司にとっても実は同じなのだが、人を動かすことである。平社員であれ管理職であれ、人を動かすのが人の仕事なのである。

相手がどういう人なのか、今がどういう状況なのか、その他にもいろんな事情によって、人を動かすにはどうすれば良いのかは変わってくる。常に正しい答えなんかない。そんな中で最適解をみつけて人を動かして行くのがサラリーマン道なのである。

いや、サラリーマン道じゃなくて仕事道なのかもしれない。

いずれにしても、縁あってこの会社の正社員になったのだから、それにふさわしい仕事をしてほしい。つまり、アルバイトにもコンピュータにもできない仕事を。

マニュアルやプログラミングの通りにやるだけであれば、アルバイトにもコンピュータにもできる。正しいか誤っているかの判断をしろと言えば、アルバイトだってコンピュータだって答えは出してくる(キャリアが浅いのだから少々間違っていても仕方がないなどと優しい言葉をかけてもらえるのであれば、アルバイトだって気楽に答えを出すだろう)。

アルバイトやコンピュータにできない仕事は、自分よりも遥かにキャリアの豊富な上司や、君とは考え方や性格が 180度異なる同僚や、何を考えているかさっぱりわからない部下を、とりあえず自分の思う方に動かして行くことである。

しかし、その君が動かそうとしている上司や同僚や部下も逆に君を動かしにかかるとしたら、お互いにそんなことしてどうなるのか?──と君は不安に思うかもしれない。ま、そこが面白いところである。

君が正しいことを言っているのに理解してくれない上司を動かすにはどんな手を使えば良いのか、もしもどうしても君が正しいと思う方向に 100%導けない場合は次善の策としてどこに落とし込むことを考えるべきか、そんなことを思い巡らしてみるが良い。

君のことを理解してくれない上司がいるから仕事が始まらないのではない。君のことを理解してくれない上司がいるから仕事が始まるのである。

始まらない 【2017年11月 記】 

「始まらない」という表現が嫌いではない。

「10分過ぎているのにまだ始まらない」という「始まらない」ではない。「そんなこと言っても始まらないよ」の「始まらない」である。

「仕方がない」と同じようで、やっぱりニュアンスがちょっと違う。その違うところが好きだ。

「仕方がない」の「仕方」は「やる方法」「やり方」「やりよう」である。つまり、「ひょっとしたら考え方は合っているのかもしれないが、実際やりようがない」ということだ。実務レベルに落とした場合に実行不可能だという感じ。

「…しても仕方がない」とは「やろうとしてもやりようがないので無駄だ(から諦めようか)」という感じ。

──ま、いずれも僕の勝手な解釈と言うか、個人的な語感なんだけれど。

それに対して「始まらない」は事の是非を判断するのではなく、実際に何かが始まるか始まらないかを問題にしている。良いことであれ悪いことであれ、まずは何かが始まること、事が動くことが大切なのだ──という風に僕は受け取るのである。

だから、この言葉が好きなのだ。

世の中には何も始まらないことばかり言っている人がいる。どんなに素晴らしい言説でも、何かを始めるパワーのないものは少し見劣りしてしまう。

つまらないことでも何かを動かして行く人間こそが望まれている気がするのである。

人を動かすのが人の仕事である。動かして何かを始めるのが人の仕事である。言っても始まらないことを言っていても本当に何も始まらないのである。

しかし、新明解国語辞典で引いてみると、「…しても始まらない」という表現は、「手遅れで(時期を逸して)どうすることもできない状態だ、というあきらめの気持ちを含意することがある」と書いてある。

それもまた良いではないか(笑) 早く諦めたほうが良い方策にたどり着くことだってあるのである。諦めて一緒に次の何かを始めましょうや。

なんであれ、始めること。自ら始めて人を動かすこと。──それこそが人の仕事である。

この記事を読んでサポートしてあげても良いなと思ってくださった奇特な皆さん。ありがとうございます。銭が取れるような文章でもないのでお気持ちだけで結構です。♡ やシェアをしていただけるだけで充分です。なお、非会員の方でも ♡ は押せますので、よろしくお願いします(笑)