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ドMS

たまにはストレートに好きなことなんかも書いてみよう。

私は手書きが大好きなんです。
ドをつけたいくらいのmanuscript派です。
つまりドMSってことです。(何の話や)

今まさに指ひとつで文字を打っておきながら手書きについて語ろうなんて説得力の欠片もありませんが、人一倍手書きに拘ってきたという自負があります。

最近話題の女優さんのように愛に満ち溢れた手紙も書きますし(そろそろやめておけと言われそう)、
家政婦とは別に論文の添削もしているのですが、全て手書き指導の今の仕事を選びました。
採用面接の時に、添削指導能力と同じくらい字の読みやすさ、美しさ、そしてスピードを求められて「今時こんな仕事があるんだ」とちょっと嬉しくなったのを覚えています。

学生時代、何十枚にも及ぶ卒業論文を手書きで書き上げたい!という我儘を聞いてくださった語学科の教授にも感謝しかありません。

昭和の人間だし、パソコン使いこなせないんでしょ?と言われれば否定はできませんが、手書き文化は敢えて選んでいかなければこのまま淘汰されてしまう気がして寂しいのです。
時代遅れの一言で片付けられてしまうのは残念だなと思うのです。

自分が手書きで何かを伝えるのと同じくらい他人の文字、筆跡を見るのも好きだったりします。
何千枚もの手書き原稿を見てきましたが、上手い下手ではなく、ひとりひとりの文字に表れる特徴を見ているだけでも楽しいのです。
当たり前ですが、本当に1枚たりとも同じものはありません。筆跡鑑定というものがあるのも当然だなと思うわけです。

昔から好きな人の字を盗み見るのも好きでした。今でも「ちょっと自分の名前書いてみて」と隙あらば筆跡チェックをしてしまいます。
大抵不審がられますが、そうでもしなきゃ彼がどんな字を書くのかなんてなかなかお目にかかれないのでね。
書いて書いてお願い!もっと書いて!なんて懇願するもんだから、マニアックなフェチズムをもっていると思われているかもしれませんね。まぁそれはそれでヨシとしましょう。

仕事でもプライベートでも、手書きにはいつも緊張感を伴います。

決められた枠内にコメントを書き始めると、もう後戻りはできません。
さっきの説明では伝わりにくいかな、
やっぱりこの一言を足したいな、
と思っても修正テープだらけにするわけにもいかないので、そのまま何とか一貫性を保てるよう書き進めます。
予め書くことを頭の中で組み立てて書き始めなければ、支離滅裂、しっちゃかめっちゃかになってしまいます。
この時ばかりは私の集中力全振りで挑みます。だから普段集中力がないんですね。

手紙もなかなかバシッと一発では決まりません。
まずは便箋とにらめっこ。
漸く書き始めたと思っても三行の壁がなかなか越えられず、余白たっぷりの書き損じが次々と溜まっていきます。
伊佐坂先生か、はたまた昔の文豪の書斎かと思うほどの散らかりぶりです。
そんな愛すべき無駄な時間を経てやっと書き上げたと思いきや、恥ずかしくなってそのままお蔵入り~までがお約束ですよね。
手紙がちゃんと相手のもとに渡る確率って、年賀はがきの切手シートが当たるくらいの確率なんじゃないかなと思います。(私の肌感覚ではそれくらいな気がしています。)

結局私はなぜ手書きが好きなのか。
一番の理由は、時間と心に余裕があることを実感できるからなんですよね。
丁寧に文字をひとつひとつ書き上げていると、私いま贅沢な時間の使い方をしているなーと思うのです。

あともうひとつ。
字は綺麗なんだね!なんて言われるとちょっぴり(だいぶ)失礼だなと思いながらも、見た目を褒められることよりも何倍も嬉しいと思ってしまうのです。

『見た目の美しさは年とともに衰えていくが、字の美しさは死ぬまで衰えない。』


私の座右の銘です。
(今勢いだけで考えました)

いや、まてよ。
うちのおばあちゃんはミミズが這ったような字書いてたな。やっぱり字も衰えるのかも。
そして美しさの基準は個々の美的感覚によるものなので、絶対的な美しさなんてありませんよね。美しさよりも個性や信念を大切にしていきたいと思います。

(余談ですが、土屋太鳳さんの字はすごい。
私の中で有名人筆跡びっくりランキングの上位にランクインしています。)

𝑭𝒊𝒏.





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