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どこを見て生きていく

「こんにちはー、おばちゃんいる?」

来客だ。窓際まで行くと、どこにでもいそうなおじさんが立っていた。
’’おばちゃん’’とは、僕が今滞在しているところ(事務所)の大家さんのことだ。

「いると思いますよ、さっき見かけたので!」

「おぉそうか、声かけてみるわ」

そう言って、大家さんの家の玄関の方に向かっていった。
少しばかり談笑する声が聞こえる。年配の方の会話はすぐに盛り上がる。なぜだろうか。会うやいなや笑い声が聞こえるのはいつも不思議に思う。

2人が出てきた。ただの来客ですぐ帰るのかなと思いきや、果物を持って近づいてくる。

「これ、誰にもあげるなよ。うまいやつだから(笑)」

渡されたのはみかんやデコポンだった。こういうときは大体「みんなで食べてね」と言って渡されるのが普通だったから、「誰にもあげるなよ」と言って渡されるのは新鮮で若干の背徳感も感じた。おじさんは早口で3種類のみかんの説明をして車に戻っていった。もう帰るのかなと思いきや、また袋を持ってきた。

「何人いるんだ?」

「今は2人ですけど、他に学生やスタッフが10人くらい、、、」

何かをくれるようだ。

「じゃあ足りるな、たくさん焼いてきたから」

袋の中身は鯛焼き。
よくよく聞いてみると、以前まで毎週火曜日にキッチンカーで事務所まで来て、焼き鳥や焼きそばなどを販売していた方だった。体調を崩したり、コロナによる世間からの見られ方もあり、最近はキッチンカーを出店できていないとのこと。

「おばちゃんが心配で来たんだー、無事でよかったよ」
そう言って笑う。

「周りに若い人が多いからボケないで済むんだ」
おばちゃん(大家さん)も笑顔で話す。この世代のボケるボケない論争に終止符が打たれることはない。そんな話はしないよ、と思っている若い世代もどうせ数十年経ったら、ボケるとかボケないとか言い出すことだろう。そんな会話も平和の象徴のように思える。ただ僕はいくつになってもボケないでいたいと強く思う。


このご時世、人が集まれば話題に上がるのがコロナのことだ。

「おらんとこは、もう何人も出てるぞ。持ってきたのは温泉会社の社長の奥さんだ」

「知り合いの農協の職員がちょっと熱出たみたいで、サウナで熱落としてくるわって言ったら、コロナだったみたいで、そこで広まったらしいぞ」

「こっちは誰かがなったらすぐに噂が広まって、どこの誰か広まるぞ」

顔が知れているって怖いなと思う。まぁよくある話だ。
人と人との距離が近いなんてのは良い面も悪い面もある。

冷たい風に吹かれながらそんな話をしていると、郵便屋さんが配達に来た。
するとおじさんが動き出す。

「お、郵便屋さんにもあげよっ」

そう言って車に戻って鯛焼きを手に取ると、これあげるよと言って郵便屋さんに手渡した。

「私、酒飲みなんでねぇ」
と言うと、おじさん・おばちゃん(大家さん)は大爆笑。
僕にはその理由がよくわからなかった。まだまだ経験不足、、、


なんだかんだお話をして、おじさんは隣村の家に、郵便屋さんは配達に、おばちゃん(大家さん)は家に戻っていった。僕も仕事に戻る。

あまり会えていない人が心配で会いにくること、素直に「心配で来たんだよ」と言えること、見ず知らずの人に持っていた鯛焼きを躊躇なく渡せること、それをありがたく受け取れること、ちょっとした会話で笑い合えること

全てがあたたかいし、美しい。
ただそんな一瞬は全国の至るところで起きているはず。見えているかいないかの違い。
はたまた世界に目を向けると、命を削りあっている場所もある。

僕らはどこを見て生きていくべきなのだろうか。


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