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同質化に抗い、生き続けるということ

 近年、Twitter上あるいはウェブニュース上で、発達障害に関する話題を目にすることが多い。当事者の声が広く認知されることは喜ばしいことであるが、一方で当事者の語りというのがある種の紋切り型のように扱われていることにモヤモヤを感じなくもない。

 発達障害者にはまず健常者との断絶がある。そして当事者間においても得手・不得手は異なり、生きづらさも異なる。そしてそういうギャップが苦しく、どう生きればいいのかわからない、という話を聞く。

 かと言って、このまま分断していてはジリ貧である。そこで、自分たちなりに試行錯誤して、何らかの知見を得たなら、互いにそれを共有・アップデートして、少しでも生きやすくする手掛かりにしていけるのではないか、という話をここではしていきたい。

 内容としては、恋愛による社会からのEXITの功罪を批評しつつ、主にその他の生き方を模索していくものになっている。また、ほんのりゼロ年代要素が入っているかもしれない。

 というわけで、僕が知人女性と話して相互に得た気付きをまとめてみたが、解決策(?)は正直弱いし、考察も含めてガバガバな内容である。だが、悩み抜いた過程も、他者が見た際には何らかの意味が生まれるかもしれない。そう思い、公開することにした(知人に公開の許可は得ている)。

 ここでは発達障害の定義云々を語るつもりはないので、わからない人はまず、厚労省HPを見るなりして、調べてみてほしい。

 また、医学的に正しい話ができているわけではないし、困りごと・対処法などは人それぞれである。あくまで参考記録・一意見として読んでいただければと思う。

 まず、当事者同士で話していても、置かれてきた環境が全く異なることに気付く。ジェンダーを巡る問題は、発達障害当事者においても大きな影響を与えているのだ。

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