クリスマスケーキが崩れていたことについて
クリスマスケーキの通販での潰れや崩れた状態についてのクレームが社会問題となっている中、これはリスクの上での当然のことと捉える考え方が存在するもの事実です。
この問題については、より深い社会問題としての側面が存在することを理解する必要があると考えます。
まず、商品の品質や状態についての不満をSNSで公開することについて考えますと、一般的には、商品に不満を感じた場合には、企業側に対して直接クレームをつけるべきであり、SNSでの公開は最終手段として行うべきであるとの意見もあります。
SNSを利用することで、企業側に対してより大きな影響を及ぼすことができるという側面も存在します。
また、SNS上でのクレームは他の消費者にとって有益な情報となる場合もあり、それによって企業の品質向上につながる可能性も考えられます。
次に、被害者としての位置づけを確固たるものにしようとする行為について考えます。
被害者意識を持つこと自体は問題ではありませんが、その意識を利用して特別な待遇を求めることや他者に不当な責任を押し付けることは、道徳的に問題があると私は考えます。被害者意識を持つことは、誰もが経験する可能性があるものであり、それを過度に利用することで社会の秩序が乱れる可能性があります。
さらに、商品の予想外の状態や状態が悪いという事実をSNSで公開することによって、他者の注目を集めたり、被害者としての位置づけを強化することには、道徳的な側面においてはどのように考えるべきなのでしょう。
その行為が適切な範囲内で行われ、公益や社会全体の利益に資するものである場合は、それ自体には問題がないとも考えられます。
最後に、リスクの上での当然のことという考え方について考えます。
確かに、商品の通販においては、配送中に商品が損傷するリスクが存在することは事実です。そのリスクを事前に適切に説明し、消費者がそのリスクを理解した上で商品を購入することが重要です。また、商品の品質についての基準や法律が存在し、企業側もそれに従う責任があります。
以上の観点から見ると、クリスマスケーキの通販での潰れや崩れた状態についてのクレームは、単なる個々の消費者の不満にとどまらず、社会全体の規範やモラル、秩序に関わる深い問題であると言えます。
商品の品質を確保し、消費者の権利を守るためには、企業側と消費者側の双方が相互に理解し合い、誠実な対応をすることが求められます。
また、消費者側も、SNS上での情報発信や被害者意識の持ち方について、個々の行為が社会全体に与える影響を考慮し、道徳的な判断を行うことが求められます。
ちなみに私もクリスマスケーキを注文し、崩れた状態で届きましたが、とても美味しくいただきました。
箱についているクリームもへたれたスポンジも飛び散ったいちごも、見た目の問題だけで味が損なわれているわけではありませんでした。
「通販で注文するリスク」をわかっているし最悪の想定も頭にいれているからこそ「おっ、食べられる食べられる!」と友人みんなでスプーン片手にケーキ箱の中に手を伸ばし、崩れたケーキをみて大盛り上がりをし、また楽しい思い出を一つ刻みました。お皿がいらないなんて、エコじゃない?
こういう人も世の中に存在するという少数派の意見として書かせていただきました。正直開封後はムカっとする。でもこんな年末の時期に一生懸命配送をしてくれている物流関係の方々への感謝も気持ちもある。
冷静に。3秒まつ。3分待つ。
結局のところ、イレギュラーな事象さえもポジティブに変換できる思考を持てた方がよくないですかね。
メリークリスマス
やくさひろです。 記事が広くシェアされ、手のお手入れを通して誰かの幸せに繋がることを願っています。 いただいたご支援は活動費として使用させていただきます♡