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社会的違和感を取り除いた生き方をしたい

やくさひろです。

社会的違和感を取り除きたい。そんな生き方をしたい。自由な生き方がしたいと幼少期の頃からこんなことばかり考えていました。

さて、昨年参加した鍼灸師養成のための美容鍼セミナーで皮膚科のドクターが少し気になる発言をされていました。批判や反論ではないことを最初に付け加えておきます。
なるほど、社会的な違和感をどうしても日本社会は優先してしまうのだなと感じた良いきっかけであったからです。

そのドクターはタレントの平子理沙さんのお顔をうつされ、「やりすぎるとこんな感じになる」とさらっと説明をされたのですが、この私 平子理沙さんが大好きなのです。お顔や生き方、ファッション、発信する内容すべてが。

平子理沙さんのニュースが出るたびに、食いつくようにチェックしているファンの一人なのですが、その際にどうしても気になるレビューが目につくのです。

・痛々しい・ちょっと入れすぎてパンパン だとか。
恐らく40代、50代年相応の美しさというものを求めてしまうのでしょう。
50代と言えば50代なりの皮膚の衰えがあり肌にもハリがなくなりたるみが生じて、メイクも落ち着いており・・という姿をどうしても求めてしまうのでしょう。いわゆる自然な老化現象を自分自身も年齢を重ねる中で相手にも求めてしまうことは当然のことだと思います。

ただ、ここで私はやりすぎ、という言葉に大変違和感を感じてしまいます。

整形のやりすぎだともいわれることも多いようですが、そもそも整形をされたのかどうか、メイクであるのか本人の努力であるのか誰にもわからないことです。ビフォーアフターみたいな画像を掲載されているサイトなどもありますね。何というか大変品のない表現だと思ってしまいます。

さて、そういう年相応ではない方、普通にその方を知らない方から見ると、若くてチャーミングな方だと思うでしょう。
しかし私たちはその方を50代だと認識しているというこのズレ。

この社会的な違和感を取り除いていくのが私たちも美容に携わっている人間が率先していくべき問題のように思います。

街を歩いていても服装は10代のようなピンクのミニワンピースを着用され、お顔が50代くらいのような方がいらっしゃると、ヒソヒソと「あの人、水商売丸出しね」という声が聞こえてきたりするわけです。

こういう違和感も美容を楽しむうえで大切な意味があるんじゃないかなと考えています。

人それぞれ趣味趣向が違うように自分の思う美しさ、きれいさ、可愛さ、かっこよさ、それぞれ違っていて当たり前であり、その人が納得すればよいわけです。誰も他人の目を気にして他人の許容範疇の中で変化をする意味などないのです。

もっともっと「今の私が大好きなの」と声を大にして背筋をのばし堂々と歩いていける人を私は応援していきたい。

人は年齢にあわせた服装をし、生き方をしようとします。
しかし個人的には年齢によらず好きに自分を表現すればよいと考えており、他人がそれをとやかくいう必要はなくお互い尊重できる社会を実現したいです。

人生100年時代、など言葉ばかりが一人歩きしていますが、社会的なシステムばかりではなく自分を主体として考えてみてください。
日々刻々と過ぎていく時間、自分と年齢をリンクさせてどこか自分で抑止させていませんか?

年齢より大切なことは自分がどうありたいか、だと私は考えます。

ヒソヒソ話をしたり、ネットに否定的な意見を書き込んだり。それをやっているのが「大人」だとしたら、「いい大人のくせに」という声がどこかから聞こえてきませんか?

人を見て嘲笑う、バカにする、見下す、評価する人にだけはなりたくない、関わらず幸せな環境を広げていきたいと思っています。

そんな内容も来年春に出版予定の本にも書き連ねています。


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