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結婚3周年を迎えて、なぜ結婚したのか、結婚とはどういうものか考えてみた

こんにちは。妻のショウガです。
8月に入ってやっと梅雨が明けたと思ったら、いきなり暑い毎日が続いていますね。今年の夏は、気軽に外出もできず、今までよりも体調やメンタル管理が難しくなりそうです。

さて、今日は結婚からちょうど満3年ということで、結婚をテーマに考えてみたいと思います。

ひとりで楽しく生きることができる時代?

日本では、婚姻率が下がり、生涯未婚率が上がるなどして、ひとりで生きていく(結婚しない)人たちが増えているという話はよく聞きますよね。

生涯未婚率とは、50歳まで一度も結婚したことのない人の割合のことを指す言葉ですが、2015年調査で、男性が23.37%、女性が14.06%だそうです。国勢調査のため、5年に一度しか実施されていません。
(参考:国立社会保障・人口問題研究所 人口統計資料集2019年度版

とはいえ、50歳を超えたら結婚しないわけでもないだろうに、ずいぶんな名前だなと思っていたら、名称はすでに「50歳時未婚率」に変更されているそうです。
男性と女性で数値に開きがありますが、50歳時点で未婚である人は男性ではおよそ4人に1人の割合です。ライフスタイルの多様化にともない、結婚そのものが選択されにくい時代になっているのかもしれません。

『結婚』というフォーマットは相当古い

かく言う私も結婚そのものにはあまり興味がなく、できるものとも、したいものとも思っていませんでした。なぜ興味がなかったのかと言うと、私にとって結婚そのものが「古くさくてめんどくさい」ものだったからです。

日本では、まだ夫婦別姓が認められておらず、女性にとって結婚=嫁に行く、つまり、圧倒的多数の女性が新しい名字を持つことになります。夫の姓になれることを喜ばしいと感じる人もいるかもしれませんが、各種手続きの煩雑さや費用の面から考えると合理的とは言えません。

結納や婚約、両家顔合わせ、会社の人たちを大勢呼び、大金をはたいての結婚披露宴も時代にそぐわないように思えましたし、お中元とかお歳暮とか、楽しそうにやっている人を見たことがないので、なるべくならやりたくないと思っていました。

何より、自分の結婚相手以外の人と突然家族になり、「嫁ぐ」ということに強い違和感がありました。単純な恋人関係であれば許される多くのことが、結婚をすると突然そこに理由や責任を求められ、相手の家族だけでなく、自分の家族をも巻き込むことになると思うと、影響範囲の大きさにゾッとし、容易に「結婚したい」とは思えませんでした。

常に変化を続け、飽きさせない魅力を発信する東京での暮らし

東京には魅力的な仕事もたくさんあるし、おしゃれで美味しいお店も、素敵なショップも、なんでもあります。東京の暮らしは常に新しくて、楽しくて、刺激的で、私は東京が大好きです。「○歳までに結婚したい」という気持ちよりも、「次はこういうことをやってみたい」という気持ちがずっと強く、それを優先させるのに東京は最適な場所だからです。

しかし、選択肢が多いということは、常に自分の選択や決断を問われることと同義です。すべてを自分で決断するのは、自由で幸せなことのように思えますが、ときに、体力を奪います。これをこの後ずっと一人でやっていくのかと思うと、奮い立つ気持ちが半分、不安が半分、といったところでした。

一緒に闘う戦士が欲しかった

そんな中、私はきっと「一緒に闘う戦士」を求めていたのだと思います。癒しや安らぎ、金銭的な安定、世間体や年齢などを意識したというよりも、シンプルに、この時代を生き抜くために、ひとりではなく誰かと一緒に闘ってみたかったのだと思いました。

きっと一人でも生きていけるし、進みは遅くても多少はパワーアップしながら歳を重ねていけた気はします。ただ、私は、私の能力の限界や、得意なもの、苦手なものもわかっているし、一人で楽しく暮らすことにはもう十分な時間を使った気がしていました。

大学入学と同時に18歳からひとり暮らしを始めたので、自分のためだけに時間を使う生活にも少し飽きていました。ひとりは自由で楽しいけれど、自分一人が出せるインパクトの小ささみたいなものを感じていて、「誰かのために時間を使うってどんな生活なんだろう」という単純な興味がありました。
自分だけでは経験できない生活をして、見たことのない景色を見るには、結婚は手っ取り早い方法なのかも、と思ったのです。

結婚に求めたものは

私は当時も、今も、結婚には安定や安心を求めていませんし、感じていません。私が結婚したことで、もちろん両親を含む親戚は大いに喜んでくれ、ちょっとした恩返しができたかも、といううれしい気持ちはありましたが、そのために結婚を決意したわけでもありません(ちなみに私の両親は、私は結婚しないと思っていたみたいです)。

私にとって結婚は、戦闘力を倍増したり増強したりする手段であり、やりたいことや経験したいことをスムーズにしたり、スピードを上げてくれるものです。誰かと一緒に力を合わせるからこそ、それぞれの能力や強みを伸ばしたり、弱みを補填し合ったりできると思っていて、今まさにそういうことを望んで夫婦生活を送っています。

「この時代を生き抜くパートナー」であるからこそ、お互いを尊重し、フォローし合い、より刺激的で、楽しく、自由な生活ができるのではと思っているのです。

おわりに

とはいえ、結婚というフォーマットには、今でもあまり同意できません。個人の力によりフォーカスが当たる現代で、家同士にこだわり、強く結びつけ、嫁ぐ・婿に入るという、半ば強引なお作法がどうしても時代にフィットしていないと思うのです。
もっとも、慣れ親しんだ名字を失ったことは、私にとってとても悲しいことであり、自分の中の大切なアイデンティティをなくしてしまったような気持ちになりました。

「◯歳までに結婚して、○歳までに子どもを産んで」とか、「結婚することが女の幸せ」とか、「結婚できない人はどこかおかしい」とか、そういった風潮や偏見がなくなり、配慮のない発言が消えれば、結婚したいという人も、結婚したくないという人も、どちらでもいいという人も、それぞれが適切な距離を保ち、もっと自由に生きていくことができると思うのです。

結婚しようとしまいと、それはあくまで個人の自由です。

それでは、また!

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