見出し画像

36.実は最古の経典が日本に伝来したのは20世紀


というのはほぼ知られてないが、衝撃的かと。お釈迦さん没後2300年ほど。最古の経典は、スッタニパータ(直訳:お釈迦さんの言葉を集めたもの)という経典。お釈迦さんの死後500年以上経ってから中国でつくられ本来の内容と全然異なるものでも経典を名乗ってることが結構ある。盂蘭盆絵経(お盆のお話に使われる、実際は道教の内容)とかがそれ。お盆は以前の投稿参照。

「日本の仏教は本当は仏教じゃないんだよー」と小学生5年生に言われたことがある。この子は、学校の先生か親あたりに教えてもらったと言っていた。まあ、本来の経典伝来したかどうか以前に、日本の寺に仏教思想を伝えようという気はないのだが。

経典とはどういうものか知るために、少し最古層の経典から抜粋。訳は、正田大観+中村元さんをベースに、一語ずつパーリ語辞書に照らして訳した。ちなみに、中村元さんは第一人者ではあるが、訳に間違いあったり(少なくとも自分はそう思う)お勧めしない。

ダンマパダ Dhamma Pada 法句経(仏教学ぶための入門書)

1 ダンマorダルマ(法、内面世界、事象、真理、教え、ルールや規則 など幅広い意味を持つ。この場合、内面世界や事象)は意(≒こころ)が先行し、意が最勝で、意で出来ている。←仏教でいう"世界"とは、五感でとらえ自分のこころに思い描いたもののことをいう。全ては各人内部の出来事。現象が認識に先立つのではなく、認識が現象に先立つ。最初に書いてあるしめちゃ重要。

例えば、生まれ変わり=輪廻があると考える人には輪廻がある。ないと考える人にはない。勘違いしてる人多いが、仏教は輪廻に否定的。

9 穢れを除去していないのに、袈裟を纏おうとする人(僧)は、自制が無く真実も無いので、袈裟に相応しくない。←嘘つく人や職業倫理ない宗教者への批判。そんな人間には親近するな。

46 この身体は泡のようであり、蜃気楼のようなものである。←懐疑論的立場を貫くのが仏教。

59 ごみのような盲目の凡夫(人間)の中にあって、正覚者(ブッダ)の弟子は般若(智恵)によって輝く。←わざわざ反感買うような文がポツポツある。

62 「わたしには子や財がある」と愚者(常人)は悩まされる。しかし自己が自分のものでない。どうして子や財産が自分のものであろうか。

72 愚者に知能が生じても、無益である。その知能はかれの幸を殺す。←人間って半端に知能あるから悪どいことするし、思い悩んだりする。

110 戒なく無定な人が百年生きるより、戒(殺害や盗みしないなどの社会ルール)あり禅定(こころ穏やかで精神統一されてる)な人が一日生きる方がすぐれている。←宗教に共通するが、ただ生きてるだけの生はゴミ。

129 すべての者は棒(暴力)に戦慄し、すべての者は死に恐怖する。自己に例えて、(殺)害するなさせるな。←自己保身したいなら(恨まれ反撃されるリスク負うので)他者を攻撃するなってこと。

150 骨で城がつくられ、それに肉と血が塗ってあり、老いと死と慢心と偽善が置かれている。←どんだけボロクソに言うのかと。

165 浄も不浄も、各自の行為で決まる。他が他(例えば、お釈迦さんは弟子)を清めることはできない。

212愛(が欲しいとか、失くすのが嫌というおもい)から憂いが生じ、愛から恐怖が生じる。愛から解放された者には憂いはない。どうして恐怖があろうか?←仏教は苦をなくすことが重要。愛・行(こころに形成されたもの、衝動)、(認)識、食、喜、憤怒 などは縁(苦の原因)というのが仏教。つまり、全ての縁から解脱するのが修行僧。

244 無慚で、烏のように厚かましく、無遠慮で、傲慢で、不純な生命は、生き易い。←自己保身あたり以外は何も考えず、他に迷惑をかけ、欲求に従った下劣な行動をしても恥もせず、自制も自省もしない などの人はその人自身は罪悪感がなく悩みなどもせず楽ってこと。仏教だとそんな存在は汚物やゴミ。

305 ひとり座し、ひとり臥し、ひとり歩み、ひとり自己を制御して、林のなかで楽しめ。←出家修行僧の生活

393 螺髪を結んでいるから婆羅門(司祭、修行者)なのではない。氏姓=生まれによって婆羅門なのでもない。行為が大事。

・スッタニパータ Sutta 経 Nipāta 集篇

60 妻子も、父母も、財産も穀物も、親類やその他あらゆる欲望までもすべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。

81(SN480にも同じ文ある) 偈(うた)を唱えて報酬として得たものを、食べてはならない。←知られてないが、日本の宗教ビジネスを根本から否定する重要な記述。

169 六つ(六根=六内入処=眼耳鼻舌身+意→六境=六外入処=色声香味触+法)によって世界or世間(loka)が生起し、六つに関わり、六つに執着し、世界は六つに悩まされる。←ダンマパダ1を詳しく分かりやすく解説。

296 牛は最上の友である。牛(の尿)からは薬が生じる。
297 それ(乳)は食料となり、気力を与え、皮膚に光沢を与える。役に立つので、かれらは決して牛を殺さなかった。←インドで牛を大切にする理由。神聖というより実用面評価してる。

315 王族も、婆羅門も、並びに氏姓によって守られている他の人々も、生まれの論(=カーストで規定された分業を全うする社会的義務)を捨てて、欲望の支配に従った。←身分制度って本来は、各自が果たすべき役割を果たせという社会システムとしてお釈迦さんは利用したかった。よく言われる身分制度が悪とかいう話じゃないんだよなあ。実際は利権の固定化で単なる悪になってるんだけど。

393 在家の者の務めを語ろう。完全な比丘(修行僧)の法(生き方)は、財産ある人は達成し得ない。

400 (1)他を(殺)害するな(D129~)。(2)盗むな。(3)嘘つくな。(4)酒飲むな。(5)レイプするな。(6)夜に食事するな。
401 (7)花飾り着けるな。芳香用いるな。(8)地上に床を敷いて臥しなさい(贅沢な寝具で寝るな)。
これこそ八つの布薩(八斎戒)である。←一般人が守るべき生活ルール。イスラム教でいうなら、豚食べるな・礼拝・喜捨(寄付)みたいなもの。日本だと宗教者さえ守る気ないが。

547 麗しい白蓮華が泥水に染まらないように、あなた(お釈迦さん)は善悪の両者に汚されません」←善悪などの二元論は仏教では×。それは忌むべき思い込みや執着とされる。

585 自ら自己を害しながら、痩せ醜くなる。それ(泣くこと)によって死者は守られない。憂うのは無益である。←何度か引用してるが、仏教での死へのリアクション。過剰な葬儀とかは仏教ではありえない。

759 色・声・味・香・触+法(六境)の全部と、好まれ愛され意に適う、あると言われる限りのもの、
760 これらは、神々を含む世間には楽と考えられている。また、これらが滅すると、それはかれらに苦と考えられている。
761 (正しく)見る人々と世間は、正反対である。←仏教では、五感を満足させることなどは苦とみなす。欲望成就の祈祷行為などは仏教ではありえない。

790 婆羅門は、所見・所聞・戒・掟・所覚によって、(つまり自分以外の)他によって、清浄(になる)とは説かない。

835 糞尿に満ちた(女)が一体何だというのでしょう。それに足でさえも触れたくない。←修行僧にとって婬欲は忌むべきものという意味。いちいちきつい表現するのが経典。ちなみに、お釈迦さんは息子に「ラゴラ(修行の妨げ)」と名付けてる。

924 食物や飲料や堅い食べものや衣服を得ても、貯蓄するな。またそれらが得られないからといって戦慄するな。←仏教では、修行僧は一切の財を持たない。私腹を肥やすことぐらいしか考えてない現代日本の寺からは想像できないかもしれないが。

927 わが徒は、呪術(お祈り)・夢占い・相の占い・星占いに従事するな。(動物の)叫び(占い)・懐妊術・医学に仕えるな。←仏教って不確かなまじないなどに否定的だし、自然(じねん、あるがまま)を大切にするので修行僧は生への執着の象徴である医療を受けない。自然に還さない墓(遺体や遺骨の保存)もあり得ない。

1046 期待し称賛し熱望して、献供する。利得を求めて欲望成就を熱望している。かれらは供犠に縛られ生存欲に染まり、生や老いを渡ってはいない。←欲望成就の祈祷行為などは仏教ではあり得ない。

1116 「釈迦(仏陀)に二度尋ねましたが、わたしに説明しなかった。しかし『神仙(仏陀)は三回目には説明する』と、わたしは聞いております。←仏の顔も三度までの元ネタ?

以下、自分用メモ記述。【通し番号のある句(紀元前 268 年(アショーカ王碑文)以前)+通し番号のない長い散文(紀元前 250 年~紀元前 150 年頃)で構成、4 章と 5 章がより古い、最古の経典とされる(∵ストゥーパ(仏舎利塔の原型)やチャイティヤ(仏像を安置した寺院や石窟)崇拝について言及がない、比丘は森や洞窟に住み共同生活をしていない、比丘尼について言及がない、仏教独特の述語がほとんどない、教義的なものは説かれず懐疑論的立場が表明、戒律に関する箇条書きの体系が未成立、ウパニシャッド的な意味で真理・真実(sacca)が用いられる場合が多い、紀元前 300 年頃にインドに滞在していたギリシャ人のメガステネスが比丘尼に言及、五章全体にわたり他の経典中に現れる、五部(=パーリ語の五ニカーヤ(長部+中部+相応部+増支部+小部))は大体アショーカ王以降に作成)】
・仏陀釈尊=釈迦如来=ゴータマ・シッダッタ(巴語)=ガウタマ・シッダールタ(梵語)、在世B.C.463-383 中村元説
・輪廻=saṃsāra(原義は行くこと)、リグ・ヴェーダ(紀元前 12 世紀頃に編纂)には生まれ変わり(再生)の思想はなくウパニシャッド(紀元前 6or7 世紀から編纂)から再生の思想が出てきた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?