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9.魂入れ魂抜き・追善供養・焼骨の墓地などへの保存・盆の墓参り は仏教にあらず

アートマン≒霊魂

アートマン(我 自己 などと訳され、水や火や月や眼や精子などの内にあり、不変で消失せず、それを統制する核)。仏教では、無我を標榜するので死後にも存在し続ける霊魂に否定的。

死後に冥福を祈らないし、墓というか焼骨に魂なんて宿らないし、生まれ変わりしない。関係する経典の文句。

最古の経典スッタニパータSN756:無我を我(がある)と思い、名(名前)色(肉体 物質)に執着する。
SN585前後:「泣いても死者をどうすることもできない、泣いても自分が痩せて醜くなるだけであり、無益である。」

よって、魂入れ魂抜きや追善供養や焼骨の墓地などへの保存や盆(年一回地獄の蓋が開くという道教に起因)の墓参りは仏教的ではない。ちなみに、親鸞さんが開祖の浄土真宗だと、「某(親鸞)閉眼せば、加茂川に入れて魚に与うべし」by 親鸞さんの曾孫の覚如さんの改邪鈔 という有名な言葉がある。自然に還し、その後、気にもしない=過度に執着しないのが仏教。

当然、皆が考える供養の意味での死後の葬儀(半強制的に普及したのは仏教伝来1000年以上経った江戸時代~)や法要はあり得ない。

毎度のことだが、仏教でないことを寺が率先してするのは、詐欺師とかの非難もあまりされず私腹を肥やせるから。

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