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教員の働き方改革に思う

これを言うと世間から袋叩きに合うかも知れないが、自分が20代の頃しばらく教員をやっていたので敢えて書こうと思う。

特に小学校の教員に対して「定額働かせ放題」という言葉があるそうであるが、ワンオペ育児などと同じように好きになれない昨今の言葉である。少なくとも私は、教員時代残業手当など欲しいと一度も思ったことが無い。そもそも教員とはそういう職業なのだから、疑問にすら思ったことが無い。

それよりも、教員を辞めて開発現場仕事になって、残業代として時間外手当がついて驚いた!こっちの方が気持ちが悪かった。仕事の仕方は人それぞれであり、工夫次第でどのようにもなる。これも世間から袋叩きに合うかもしれないが、残業代が付くと仕事の質が悪くなり、残業代目当ての時間外居残りが増えると思った。30歳当時の私の正直な感覚であった。

とは言うもののその後、開発仕事やプロジェクトマネジメント仕事を何十年も続けていると会社に飼いならされ、残業代に慣れてしまって、貰えるものは貰っておけば良いが、残業は良くないと思うようになった。もちろん管理職であれば残業代は付かないので良いことである。

企業を早期退職して独立してから非常に気が楽になった。他人の働き方を見なくて済むのも楽なものだった。どんだけ仕事をしても、自分の好きなように仕事をして、自分が納得がいくまで時間を使っても一切時間外労働という悪魔が居ないからだ。

もちろん逆のパタンも当然あり、早く終わるときは早く終わらせる。これがサラリーマンだと早く帰ることが出来ないのでメリハリが無くなるので凄く不満に思っていた。これも全てが残業代が貰えるからだ。

残業代が貰えなければ、人間は能率の良いやり方をし始める。あるいは、時間など関係なく自分の仕事に打ち込む、このどちらかを行ったり来たりしながらやって行くのだから、メリハリがあって実に快適な仕事ライフとなるのだ。

しかし・・・
過労死やメンタル不調が言われる社会の中では、そうは行かないのだろう。何らかの規制や縛りを与えないと上手く出来ない人が多すぎるのだろう。私はそんなサラリーマン生活がイヤだったので、独立してフリーターになって、時間外という悪魔の言葉から離れられてストレスが無くなった。

だから今、私にサラリーマンや雇われ人になれと言われると全力で抵抗するだろうが、残業の付かない教員であれば幾らでもやれるのだ。世の中の少数派なのかもしれないが、「私にとって仕事とは何か」と考えたら(世間から怒られることは承知で)残業代などない方が、良い仕事ができると個人的には思っている。

ちなみに教員の前に広告代理店に少しだけ居たこともあるが、広告代理店も残業代など付かなかった。そう考えると、一番最初の仕事だったので、刷り込み現象のように残業代など考えることも無く、付かないのが当たり前と思ってしまったのかもしれないが、私にとってはその方が良かったということなのだろう。

ところで、昔話で笑えるかもしれないが、広告代理店も教員も残業になったら出前の夕食が出た。広告代理店はカレーで、教員はラーメンだった(笑)。そのラーメン屋は知的障害者だけでやっている中華屋で、残業すると出前のラーメンを食べて社会貢献にもなっていた、という懐かしい昔の日本の笑い話である。

働き方改革の話題で個人的に思うことはたったひとつ。働かされるのではなく働くのが良い。働かされている間は報われない苦労ばかりで、せめて残業代くらいはと思うのが人の心だろう。しかし、そうではなく、本当の働き方改革は自分の意思で働くことにあると、何十年も働いてきた若輩高齢者は思うだけだ。

何よりも、残業代を出すことが働き方改革の本質ではないと思う。本来的には、業務を効率よくマネジメントする能力を付けることと、環境整備が本当の働き方改革ではないだろうか?
#note   #エッセイ   #高齢者   #フリーター   #役立たず
【記】やく・たたず(屋久 佇(竚))

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