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2022-7-001'

代替不可能な内外事情にしか応じない主体像がその内実であるなら、どのような振る舞いも肯定される社会に替えない限り、
内実が確からしいもの(有限の与件性に、つまり、有限性の偽装でない類の引き受けざるを得なさに帰属してるもの)かどうかと関係なく、表層形で断罪される社会のままです。

民主制や市場は、場の構成者の個々事情が場の割り振り原理に直接反映されるというだけで、
反映される事情の内実が確からしいものかどうかを何ら保証しない(割り振り原理が疑似である可能性を拭えない)為、

社会も場であるように内面世界も場であり、場での整合はその場その場の疑似でない固有性の保障が内容である時肯定される
(例えば、曖昧さのような硬軟の程度も、局面等の場に即してるなら、その意味で内実を確からしくする働きの帰結なら肯定される)、
あるいは、管理者的立場もプレイヤー的立場も、場の上に立ち上がるものがその場の疑似でない固有性を損なわないように組み上がるよう、それぞれの立場から協力する関係であり、その観点から他方に要求できる、

これら理解から成る政治像(例えば、オンラインゲームの管理者とプレイヤーとの関係を想像すれば、テキスト解釈、ひいては対表現一般の理論とも見なす事ができ、
管理者への先の主体像の要求、プレイヤーへの判断選抜のフェア化の要求などにより、
有限の与件性に帰属してるとは言えない、負わされるに値しないものの発生を防げる)から見ると、それらの推奨だけでは不十分です。

同種の他との共通要素の捨象に不断にさらされてないものが始点や文系的局面での根拠として持ち出されていても修正されない近代パラダイム
(固有性の内実を確からしくする働きがない事による弊害に許容的な近代人)から脱する事をまず推奨しましょう。


特に、対主観において、同種の他との差異要素の捨象によってAさんにもBさんにもまだ見ぬ誰かにも共通する要素を取り出しにいく、という内容の普遍通用性に確からしさを見る方向性に特化し、

同種の他との共通要素の捨象によって、同種の他とは異なる事を意味する要素に、
つまり、同種の他とは違うとの意味でそれがそれであろうとすると雨が降ろうが槍が降ろうが引き受けざるを得ないものに実質を与える、という内容の普遍通用性に確からしさを見る事を埋没させてるタイプ
(理系文系を個々具体として見た時の確からしい抽象次元の不在)の論理行使(特に論理学的な論理による領域侵犯)や対象理解(対象に関する抽象具体の関係構造構築)との決別を文系者に

(例えば、リベラルやリバタリアンはそれぞれ、その特化性や埋没性が特徴と言えるように思われる為、
彼らに先の主体像と何かを獲得するしないとを整合させてる生有り様に替えるよう)

自身が先の主体像(内在場と外在場の割り振り原理の代替不可能化に分解可能なので、
場の疑似でない固有性と着目無視との合致の意味でのフェアを越えない、越えてまで自他を助けない倫理方針と整合的)を越えない範囲で求めていきましょう。

ご支援の程よろしくお願い致します。