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フェア志向でない時点で知性の持ち腐れ、この観点から個人や国の盛衰を捉え直すのでないと、都合の押し付け合いの強弱問題へと矮小化させられた世界が続く

2021-11-009

フェア志向でない時点で知性の持ち腐れ、この観点から個人や国の盛衰を捉え直すのでないと、
都合の押し付け合いの強弱問題へと矮小化させられた世界は終わらないと疑います。

盛衰の変動は、個人レベルであれ、国や種のレベルであれ、
ドーピング等をしてる選手(場が問うてる差異を疑似化してる者)が参加してる的事態の反映であるか、参加してない的事態の反映であるかを問い、

後者的世界を求めるのでないと、形骸を実質があるかのごとく扱う、知性の持ち腐れから脱せないと解しましょう。



後者的世界(の範疇での通用領域拡大)に持ってく上でのネックは、前者的世界
(帰属を操作された結果、奪われたり擦り付けられたりする者が存在する、都合の押し付け合いの強弱問題へと矮小化させられた世界)を支える側の人間による自己正当化が通ってしまう環境です。

なので、前者的世界に帰属する人間か、後者的世界に帰属する人間かを区別でき、
この前者(知的上層であろうとも)に知性の持ち腐れを見る人を増やしましょう。

(小学生でも、理科の実験では必要な差異が取り出される条件設定を組もうとするわけですが、
実験精度を無視する理系者に当たる、フェア志向に否定的な文系者、つまり、ドーピングによる金メダルのような、問われてる差異が疑似化されてる事態をスルーする文系者という、

局面と着目無視を一致させつつの、つまり、差異への過大過小反応を忌避しつつの振る舞いを越えて自他を助けないフェア志向な小学生に、量的には勝る一方で、
通用してるしてないの判断に関わる実証精度も含む、具体化精度を無視する以上、
自分が採用してる理論や主張を検討する能力が機能不全にある、質的には劣る存在でも、

これまでの知的環境では知的上層になれてしまう為、知的な地位は参考になりません。)



例えば、人権主権の対立構図を前提に憲法を語る人は、変えようとしてるしてないによらず前者です。


要件さえ満たせば、場の本質にのみ合わせる内容でもって都合を割り引く主体と割り引かない主体との間に、扱い差をつけない既存の権利観の下で、
財産権の所在を語る人も前者です。


損得や快不快やできるできない、といった表層形のみで断罪するのを繰り返してる(のに多様性や自由を尊重してるつもりな)人

(対内在や対外在で表層的要素に振り回されているいないをもって否定肯定するのでなく、
自身の内在の疑似化程度の不問や外在の性質把握失敗でしかない場の軽視が見られたり、
あるいは、確からしい内実を持つかどうかはどうでも良くて、ポジション確保に役立てる道具としてしか概念や属性を持ち出さない人)も前者です。



国や社会に対する肯定否定の観点を、各場の代替不可能化された固有性の発現保障の達成具合(損なわないように形式や帰結を組み上げてるかどうか)に限定し

(割り振られに納得できなくても、可能な批判は、その場での割り振り原理になってるもの、
つまり、場の固有性とされてるものに疑似化が生じてるなら取り除くべき、という内容に限るとし)、


同様に、個人を内面世界や置かれた局面でのその達成(社会という場の固有性から代替可能な要素を削ぎ落す効果を持つ)の程度をもって肯定否定する人

(抽象的には、より確からしいものが取って代わる運動性という内容の無限性が、ある観点の下でその運動性が展開されるという限定性を帯びる、
この構造から欲望も成ってるので、限定性の与え方がその運動性にいらぬ割り引きを加えてるかどうかとは無関係に、

言い換えると、限定の与え方に対するその運動性の展開が阻害されてるかどうかとは無関係に、欲望を肯定否定しない人)、


自分にも同じ評価基準を適用する事で、肯定否定の具体的現れを下で言う自由と整合的なものにし、妄信と反動反発の二択な単純さから免れてる人は、後者です。


内在外在のその時点で可能なだけ代替不可能化させた固有の事情にしか応じない主体像に自由を見る
(余裕がある時の、消費対象や投資対象のポジション与えるレベルで信頼を持ってる)、

局面と着目無視の一致維持に平等を見る
(対主観をはじめ、理系的局面では同種の他との差異要素の捨象次元の維持に、文系的局面では同種の他との共通要素の捨象次元の維持に、論理保障を見る、
この意味で、前者次元の維持しか求めない既存の知的環境を不十分なもの扱いしてる)人は後者です。



さらに、内外境界(できるできないの有限境界)は異議(死や締め切り等も含めるイメージで)が出るまで拡大できる
(値切り交渉前提で大きく要求し相手が引けば丸儲け的な、ドーピングによる金メダルも問題視されない限り問題ではない的な、
帰属の操作によって奪われたり擦り付けられる者の発生を辞さない獲得スタイル)、

裏返すと、異議を持てる事自体(中身の確からしさ、もっと言うと、知性は二の次)が存在保障や人間保障である、
との感覚(非を認めないなど、都合が各場の固有性に即した割り振りに先立ってるという意味で、過剰救済なポジション保障)に、

対世界の原理が囚われてる人(前者的世界に帰属してる人)の内外境界設定スタイルを、


場の本質(その場がその場である限り持たざるを得ない偏り)がこうなので内外境界はこう規定されるという具合に、具体化の精度問題
(何ら限定されてない状態の準備、引き受けざるを得ない限定条件の割り出し、この両者の最大限化をもって、
選ぶに値する状態である、通用の行き渡ってる状態を達成するという問題)へと修正してもらう、

この主題
(抽象化や具体化条件割り出しに際する通用を行き渡らせる処理に対し、先の論理保障を求める事含む)を、後者的自由観の下で
(つまり、個々人の資質や環境と整合的な範囲を越えないという意味で、無理をせずに)具体化しましょう。



過剰救済なポジション確保の側面が取り除かれてない既存の哲学の産物も修正対象です。
科学の成果を認めるなど現実的でありながら、宗教や自由概念の居場所を模索する文脈が、
その側面を持って展開された近代に、巻き込まれたままの諸々を解放しましょう。


プラトン以来提示されてる、割り引かれ問題(理想現実関係)も、認識論的に語られるにせよ存在論的に語られるにせよ、
分離や表層形反転(表層形断罪)で満足する解決センス(近代性で強化されてる)という、抽象化具体化の精度不足を保存する、
つまり、内実が持ついらぬ飛躍をスルーする、知性の持ち腐れの下での語りに留まってきた、

例えば、カントやハイデガーに対する修正試みも、その解決センスを修正点とはせず、その解決センスを抱えたまま今に至るまで展開されてきた、

既存の哲学を刷新すべく、
(主語の切り出し含む主語述語関係や、抽象化具体化の交互反復という内容へと捉え直した上での論理や歴史の展開を、
抽象化具体化の精度問題、主体像が捨象対象選定を取り違えさせているいない問題に落とし込む事も、刷新の射程)


ポジション確保は具体化精度の問題に先立つとの誤解(文系域での通用を行き渡らせる処理が形骸化してる原因)と重なる、
フィードバックによって無限性を成り立たせるのが有限性(例えば、有と無の差異)の登場理由(現前化露わ化が目的でない)と見て、フィードバックに値する限定化の有り様を選ぶ、という話への無理解から、
哲学を解放しましょう。

ご支援の程よろしくお願い致します。