ボクサー犬版モノポリー
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ボクサー犬版モノポリー

「人生ゲーム」はなじみが深かったが、同じくらい古いボードゲームの「モノポリー」は、自分の子どもがうちに持ち込むまで、したことがなかった。感想は、肯定的ではない。

えげつない。

住み替えた家の住宅ローンが、前の2倍近くになった頃だったから、よけいにそう思えたのかもしれない。

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モノポリーは、自分の資産を増やしていくゲームだ。主に不動産。人生ゲームでは、お金のあるなしにかかわらず、最後まで、プレイヤー全員が参加するが、モノポリーでは、破産したプレイヤーは脱落する。誰が、最後まで残るか。そして、最後まで残る勝者は、いちばん財形貯蓄ができている者だ。

ゲームの進み方もだが、カードに書かれている指示のことばも、容赦ない。人の情けはないのか、という、冷たさで、他のひとから、物件を奪い、破産させていく。子どもらや自分らの口から出てくる言葉に、辟易した。

自分が、負けだすと、指示のカードの言葉だけでも腹がたち、言われた相手が、にやついているとか、ばかにしているとか思えてくる。わたしや下の子の性格では、ゲームの途中で激昂し、相手に憎しみさえ感じてくる。

ゲームとしては、楽しめないこともないが、言葉がいやだなあと思っていた。ほかにも、色々なゲームがあるので、モノポリーを避ければいいだけなのだろう。

だから、避けていた。

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数年前、クリスマス前の、ショッピングモールの中のゲーム即売場で、あるゲームに目をひかれた。

うちの犬にそっくりなボクサー犬が箱のふたに。

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BoxerOpoly. ボクサーポリー。

モノポリーだった。ボクサー犬バージョン。

その販売場には、ほかに、住んでいる州版のモノポリーと、ドクター・フー版があった。

モノポリーには、いろいろな、おもしろバージョンがある。米国では、州や都市の名前がついたもの、大学やテレビ番組の、などを見かけることがあった。でも、そこまでして遊びたいほどのゲームではなかったので、ふうん、以上の感想を持ったことはなかった。

買うのに迷った。

モノポリーじゃん。ボクサー犬ついてるけど、結局、モノポリーじゃん。犬の人生ゲームとかならまだしも、、。

でも、箱のボクサー犬が他人事とは思えず、冬休み前だし、一回だけでも遊ぶのにいいかも。と、買ってしまった。

で、大正解。


ゲームの進み方は、変わらず、不動産売買が主だし、罰則や規定も同じだ。

だが、ことばが違う。

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ドルじたてで、金銭の取引はする。でも、買う物件は、家やビルでなく、犬や犬用の骨。罰で閉じ込められるのは刑務所でなく犬小屋。ペナルティが課されるときの行為は、吠えた、とか、物をこわした。いちばんいただけないので、誰かを噛んだ、くらい。

オリジナル版ではえげつないと思った指示が、ボクサーポリーでは、ほほがゆるんだ。

お金というのは、ほしいものを手に入れるためにある。そのことが肯定的に思えてくるようだった。オリジナルのモノポリーと、していることは同じなのに。

言葉ひとつで。

また、見た目ひとつで。

そういう意味では、考えさせられもする。

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人生ゲームもモノポリーも、何年となく、ふれていない。

子どもらのするゲームは、コンピューターやオンラインになっていった。それでも、彼らは、ボードゲームやカードゲームも、時には、する。私たちとでなく、友達と。

子どもとゲームを楽しんだ時期。子どもが、わたしたちとゲームをすることが楽しかった時期。それが遠くなってきた。

今の家の住宅ローンは、あと何年もしないうちに終わる。子どもらは、わたしたちの家を出、車から降りていく。

わたしたちの人生ゲームは、まだまだ続く。そして子どもらは、ゲームも人生も、まだ始まったばかりだ。



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「人生ゲーム」の思い出です。


うちの(かわいい)犬のことです。


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詩を書きます。入り口は、朗読でした。朗読会の観客として、それから朗読者として。そして、自分も書くようになりました。書かなかった期間も長いので、Noteにのせることで、詩を書くことをもっと自分の日常にしたいと思っています。