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タスク管理を身につけてもらうための見積もり方法

タスク管理については、以前も書いてみました。

自分の」タスク管理をうまくやるのはもちろん大切ですが、自分のタスク管理だけで済む時期はあっという間に過ぎて、チーム・マネジメントとして「メンバーの」タスクを管理する必要性が、すぐに差し迫ってきます。

そしてもうひとつのタスク管理との向き合い方、「メンバーが自分の」タスク管理ができるように「育てる」必要性も近づいてきます。顔をそむけることもできるけれど、ちゃんと向き合ったほうが、未来の自分を助ける。相手も助けることになるのは、言わずもがな。

育成にかける「追加的な」時間というのは、費用ではなく、投資です。今を生きるだけだと、どこかで息が切れる。未来を生き生きと過ごすために、今の時間を、未来の自分と相手のために活かす。

今回は、作業時間の見積もり(の教え方)について書いてみます。本人が自分のタスクにかかる時間を正確に見積もれるようになるために、あなたはどう関わるとよいでしょうか。

「身につけ終わった」人の忘れ物

見積もりができない人がいると、「正確に見積もれるほどには業務知識が身についていない」という、業務知識の多寡という文脈になり、その結果「もっと業務知識を増やそう」というフィードバックになりがちです。これはもちろん正しい。見積もるために業務知識は間違いなく必要。

では、業務知識さえ十分であれば、正確に見積もることができるのでしょうか。

見積もりの技法というか肌感覚というか、やり方を「身につけ終わった」人にとっては、業務知識と見積もり精度の間に、正の相関があると思います。業務知識が増えると、そのぶん見積もりの精度も上がる。

一方で、あなたが向き合っているのは、「身につけている途中」の人です。「身につけている途中」の人と、「身につけ終わった」人の最大の違いは、知識やスキルの量ではありません

育てられる側というのは、基本的に「仕事ができない側」です。育てる側が感じる以上に、彼/彼女は常に、不安や申し訳なさの中にいます。

信頼関係に続く道』より
ところが、である。大体30歳前後になってくると、多くの場合、こうやって純粋に何かを「教えられる」という経験が減り、逆に「教える」という立場が多くなる。

これは、非常に危険である。

一方的に教えてもらうときの、あの感覚。

「自分がとても無力に感じる」
「猫のようにごろにゃーんとお腹をみせて無防備にする」
「なんでもまずはスポンジのように吸収しようと謙虚になる」
「そもそも、めっちゃ緊張する」
「自分が上手くできるかどうか、不安になる」

こういう感じを、忘れてしまうのだ。

無力で不安で仕方ない経験、してますか?』より

両者の最大の違いは、不安や申し訳なさという「気持ち」です。「身につけている途中」の人は抱えているけれど、「身につけ終わった」人からは雲散霧消してしまった、不安や申し訳なさ。あなたが、「身につけ終わった」人から「教えられる」人への階段を上れるかどうかは、相手のこの「気持ち」に向き合えるかどうかによって変わってきます。

「身につけ終わった」人はよく、「こうすればいいでしょ」と、やり方(だけ)を伝えます。やり方だけで、できるようになるのであれば、マニュアルと検索だけで人は育つはずです。

でも、人が育つためには、育てる側の「人」が必要です。なぜなら、育てられる側も「人」だから。「人」には、「気持ち」がある。「気持ち」は、できるようになる道程においては、邪魔になることも多い。でも、そこにある。「気持ち」に目を向けられるのは、同じく「気持ち」を持っている「人」だけ

身につけている途中」の人のカバンの中身

本人が自分のタスク管理をうまくできないという場面を、業務知識(あるいはやる気)の多寡ではなく、本人の気持ちという視点から眺めてみると、3つの景色が浮かび上がってきます。

◆ できる自分と思われたい
◆ できない自分と思われたくない
◆ 報告すると怒られるかも

見積もりというのは、「予測」という無味乾燥を超えて、「未来への宣言」という本人の意志としての意味合いを帯びています。その宣言を達成できるかどうか、という自信の有無が、「できる自分と思われたい」「できない自分と思われたくない」という自意識につながります。

また、見積もりは仕事のなかでなされるので、「宣言が達成できないときには事前に報告する」という、仕事としてのプロトコルが適用されます。このプロトコルは本人にとっては残酷なもので、自分の無能をさらけ出すことにつながります。無能の暴露という恐怖心が、「報告すると怒られるかも」という、プロトコルに反する心のブレーキに足をかけます。

これら本人の気持ちに、育てる側であるあなたは、どう向き合うとよいでしょうか。

3つの受け皿

ここでは、三点見積もりという方法を使います。本人の気持ちという目に見えないものを、「最頻値」「楽観値」「悲観値」という3つの数字で受け止めます

三点見積もりは、次の3種類の値から算出するものです。

最頻値:実現可能性が最も高い(中略)所要期間またはコストの見積り値(見込み値)。

楽観値:最良のシナリオで実現される(中略)所要期間またはコストの見積り値(見込み値)。

悲観値:最悪のシナリオで実現される(中略)所要期間またはコストの見積り値(見込み値)。

三点見積もり』より

本人に作業時間を見積ってもらうときに、 「最頻値」「楽観値」「悲観値」の3種類の数字を出してもらいます。三点見積もりの本来の使い方では、「最頻値」「楽観値」「悲観値」の3つを​重み付けすることで、「ひとつだけ」の見積もり値を決めるのですが、今回は3つバラバラのまま扱います

「自分との約束」を「期待」に変換する

楽観値は、最良のシナリオ、つまり、本人の思い通りにいったら達成できる時間なので、これは本人にとって「自分との約束」にあたります。

この時間を超えても、本人以外は誰も困らない。困る(悔しい)のは本人だけなので、自分との約束を守るためにがんばれ、と本人に発破をかけます

あなたからすると、「そんなにうまくいくはずがない」「あのリスクを見込んでいない、このリスクも見込んでいない」と、アラばかりが目につくと思います。

でも、だからといってそこで「この見積もりは甘すぎる」と却下してしまうと、修正後の見積もりは本人からすると他人事になりさがり、結果として、その仕事は本人にとって、役務になりさがります

みなさんは、役務ではなく期待でもって仕事を渡しているでしょうか。

役務として伝えると、部下はアンダーアチーブに振れます。「これだけやればいい」「(◯◯さんが言ったから)こうしなきゃいけない」という本人の心の声が聞こえてきます。こういう心の声が透けて見える取り組み姿勢を、「主体性が見えない」と人は呼ぶのではないでしょうか。部下のやる気の欠如は、あなたの一言が引き起こしているのかもしれない。と、一度立ち止まって考えてみるのも、悪くはないと思います。

(中略)

一方、期待として仕事を渡すことは、オーバーアチーブの呼び水となります。「ということはもっとこうしたほうがいいかな?」という自主性や創意工夫を表す心の声は、やる気が自己増殖していることを示しています。こういうとき、人は「仕事が面白い」と感じているのではないでしょうか。

「やる気スイッチ」を押しながら仕事を渡すために』より

正確な見積もりを邪魔する、本人の「気持ち」のひとつが、「できる人と思われたい」です。

そんな「本人の気持ち」は、強気な見積もりとして現れ、あなたに「そんなにうまくいくはずがない」「また言ってる」という拒絶反応を引き起こし、その拒絶反応は、本人に対する不信感という「あなたの気持ち」につながります。

そんなふうに心が離れてしまっても、なにも得はありません。

本人の気持ちを、楽観値という受け皿で前向きに受け取ってください。そして、「自分がそう思うなら、まずは思い切ってやってみろ、応援してるから」という期待として、本人に返してあげてください。

リスクを具体化する

悲観値は、楽観値の対極として、あらゆるリスクを見込んだうえでの時間なので、これは「他人との約束」(コミットメント)にあたります。

他人との約束を守るために、本人はあらゆる努力をする必要があります。そういった健全な緊張感は、育成にとってももちろん必要です。また、悲観値は、守れないとわかったときには即エスカレーションが必要という意味合いも持っています。

悲観値が受け止める本人の気持ちは、「できない人と思われたくない」です。「できる人と思われたい」が強気というプライドのかたちなのに対して、「できない人と思われたくない」というのも、弱気というもうひとつのプライドのかたちです。

「できない人と思われたくない」人は、悲観値が膨れ上がります。あれも心配、これも心配となり、予防線を何重にも張るのです。

図太い予防線は、「そんな心配ばかりしててもしょうがないだろう」「そんなに待ってられないよ」と断ち切ってしまうのではなく、ぜひリスクを具体化する練習材料として使ってほしいです。

悲観値と楽観値の差は本来、「本人が見込んでいるリスクの総量」という意味を持っています。でも実際のところ本人は、ひとつひとつのリスクを定量化し、その総和をとって悲観値を出しているわけではありません。もしそんなことをしているのであれば、それはすでに「身につけ終わった」人です。

本人も実際のところはわからないのです。「わからない」から不安になる。不安を解消する方法のひとつは、不安そのものを解消しにかかるのではなく、不安の中身を「わかる」ようにすることです。

楽観値が1日で、悲観値が3日ということは、その差2日がリスクだよね。2日分の不測の事態って、どんなものをイメージしてる?」といったかたちで、本人の不安の中身を定量化(◯日分の不測の事態)したうえで、「◯日分の不測の事態」をイメージするよう問いかけてみてください。

未来を約束する

さきほど悲観値が持つ意味合いとして、「守れないとわかったときには即エスカレーションが必要」と書きましたが、この「間に合いそうになかったら事前に報告する」というのも、「身につけている途中」の人にとっては難しいものです。

「間に合いそうになかったら事前に報告する」のが難しい理由は2つあって、ひとつは「作業中の自分を客観視できずに、作業に没頭してしまって報告のタイミングを逸してしまう」というメタ認知の欠如。そしてもうひとつは、「遅れると報告したら怒られるかも」「だからがんばってなんとかしよう」という「気持ち」です。後者の「気持ち」は、「本当はいま報告しないといけない」ことには気づいているわけで、メタ認知は機能しているのです。したがって、両者を区別して手当てしないと、後者の問題が残り続けます。

そこで、最頻値は「悲観値を超えるかもしれない」というトリガーとして使います。

最頻値を超えるということは、なにかしらのリスクが顕在化して、当初の想定どおりに進んでいないことを表しています。報告が遅れるメタ認知的な理由(いわゆる「気づかなかった」)は、「最頻値を超えた」という客観的な判断軸でもって乗り越えられます。また、 ​作業開始前に「楽観値」「悲観値」「最頻値」を本人とあなたの間ですり合わせて、かつ「最頻値を超えたら報告する」と約束しておけば、「気持ち」的な理由への対処にもなります。

エクセルにできること あなたがやるべきこと

見積もりは数字ですが、見積もりができるように育てようとしたら、数字としての正確さだけを追い求めてはいけません。数字としての正確さだけを指摘するのであれば、エクセルがあれば十分で、そこにあなたという「人」の出る幕はありません。

人を育てるという文脈においては、見積もりは、気持ちの受け皿であったり、リスクを具体化するためのコミュニケーション・ツールとして使うのが効果的です。管理する対象はあくまでタスク「だけ」です。人とは、管理ではなく、対話でもって向かい合う必要があります。人と対話できるのは、人「だけ」なのです。

次回は、最頻値/楽観値/悲観値それぞれの時間を見積もるときのテクニックを紹介します。


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