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僕の仕事

今度の4月で、人材育成や組織開発の仕事を始めて10年になる。

その質はどうあれ、曲がりなりにも10年やってくると、いろいろなことが自分の中に(澱も含めて)積み重なる。玉石混交の経験のミルフィーユを横から眺めていると、いったいこれはどんな味がするんだろうと考えるときがある。

僕の仕事って、いったい何なんだろう。


『メンテナンス。努力と結果をつなぐもの。』

そういうとき、僕の中でいつも浮かんでくるキーワードがある。

「メンテナンス」だ。

この表現が自分の中で大きな場所を占めることになったきっかけが、大塚製薬の『ボディメンテ ドリンク』という飲料のキャッチコピーだった。

たしか通勤電車の中吊りだった。

そうか、努力が結果にまっすぐ成就するのではなくて、努力と結果はつながなきゃいけないのか。

人や組織の効果性と健全性を高めようとする僕の仕事には、「メンテナンス」というイメージがしっくりきた。人も組織も、努力している。でも、それが結果につながらないことも多い。そんな、努力と結果をつないでいるのが、もう少し控えめに言うのなら、なんとかつなごうと右往左往するのが、僕の仕事なのかもしれない。

僕が「やってきたこと」、意識しなくてもついついそうなってしまう「やり方」、それらの積み重ねとしての自分の「あり方」、結果論であるところの「やり方」「あり方」から事後的に形作られる「やりたいこと」。気づきはいつも、轍として現れる。

こういったものを、「メンテナンス」と呼んでみると、しっくりきた記憶がある。メンテナンス的に言えば、その日から少しずつ、しっくりが深まり始めたという言い方がふさわしいだろうか。

再会としての翻訳

僕の中でメンテナンスという言葉が立ち上がるにつれて、自分の考えを誰かに伝えるいろんな場面で、この言葉がふと口を突くときが増えてくる。

そうなってくると今度は、メンテナンスという言葉を「もう一度」立ち上げ直す必要が出てくる。僕の中の「しっくり」に留まっているメンテナンスという言葉を、相手に届けるために、相手が受け取れる形に翻訳する。そんな作業が、自分の中で始まる。

「メンテナンス」って、何だろう。

「努力と結果をつなぐ」って、どういうことなんだろう。

別のメガネをかけてみる

そういうことに頭を巡らせていると、次に浮かんできたのが「氷山」のイメージだった。

氷山というイメージは、組織開発における氷山モデルから来ている。

氷山モデルでは、組織の中で起きていることを、「水面の上」(コンテント)と「水面の下」(プロセス)という2つの位相から捉える。

ふだん(忙しい)私たちは、「水面の上」だけを見て、感じている。そんな限定された世界観のなかで、物事を判断し、人とコミュニケートしている。

でも、それだと何かがうまくいかない。

うまくいかないときに、その「うまくいかない」のそもそもの要因であるところの、《限定された世界観のなかで、物事を判断し、人とコミュニケートしている》モードのまま原因や解決策を考えたとしても、それは結局、「うまくいかない」の再生産にしかならない。

だから、「水面の下」に潜る。世界をもう少しだけ、多面的/複層的に見て、感じてみる。

すると、問題の原因や解決策が見えてくるよりも前に、そもそも問題が、違ったように見えたり感じられたりする。そしてそれこそが、本当に解くべき問題なのではないですか?と。氷山モデルはそんなことを私たちに訴えかけている、と僕は解釈している。

僕の「メンテナンス」像

《努力》も《結果》も、「水面の上」の話なんだろう。両者を《つなぐ》ために、いったん「水面の下」に潜る。

組織文化や暗黙のコミュニケーション・パターンのような、組織としての水面下。感情や価値観といった、個人としての水面下。

そういったところに目を向けて、手を伸ばして、それらも含めてあーでもないこーでもない、とやることが、すなわち僕の中の「メンテナンス」像なのかもしれない。

「僕の仕事は人材育成/組織開発です。」

僕は自分の仕事を、人材育成や組織開発などと呼ぶことが多い。ただ、自分の仕事を「メンテナンス」と捉え直すと、人材育成だとか組織開発といった、人口に膾炙した「仕事の線引き」というものに、若干の居心地の悪さを感じるときがある。

(僕のやっている)人材育成ってなんですか?
(僕のやっている)組織開発ってなんですか?

この2つの問いは、つまるところ同じところに行き着くからだ。

ある人に向き合ったときに、その人自身の「水面の下」に目を向けようとすると、それは人材育成と呼ばれるものになる。一方、その人の肩越しに広がる組織の「水面の下」に目を向ければ、それは組織開発という言い方になるだろう。

でも実際に僕がやることと言ったら。

仮にそれが人材育成としてスタートしても、その人自身の「水面の下」は、上司や同僚といった周囲の人々の存在(=組織)を抜きにしては語れない。同じく組織開発としてスタートしても、組織を良くしていこうとすれば、まずは「その人自身」が組織をどう眺めているか、つまり、その人自身の「水面の下」(=個人)に潜らざるを得ない。

よき組織開発とは、人材開発とともにあり、よき人材開発は、組織開発とともにあります

この一文には、いつも強く首肯させられる。

ミルフィーユはどんな味

「僕の仕事は人材育成/組織開発です。」

自己紹介だからこそ、人口に膾炙した言葉である必要もある。だから、こういう自己紹介は、たぶんこれからも続くだろう。

一方で、その自己紹介の「水面の下」には、「メンテナンス」という僕の価値観がある。その価値観のもとでは、人材育成と組織開発という線引きは存在しない。

こんな感じで、水面の上下にはいくばくかの乖離がある。でも、それでいいのだとも思っている。「乖離がある」と仮説する謙虚さこそが、「つなごう」という意志を生む。その「つなごう」という意志こそが、「メンテナンス」的であるから。

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