かめはめ波に打たれた日~コミュニケーション考~


かつて、留学生だった。そう告げると大抵の場合「じゃあペラペラなんですね!」と返ってくる。

ペラペラかペラペラでないかは留学そのものとは相対しない。いわんや帰国から十〇年も経っていれば、推して知るべし、である。

異国で暮らすその日まで、私は自分のことをお喋りでコミュニケーション力の高い人間だと思っていた。しかし、私はあくまで「テクニック」で日本語を操っていたが故にお喋りだったのであり、日本語力に頼れない状況において、私はちっともお喋りしたい!喋らずにはいられない!人間ではないと気付いたのである。

これは語学上達の上では結構致命的であった。喋らなければ喋らないで居られてしまう。むしろ一人が心地よいタイプの人間だったとは知らなかった。自分を全くわかっていなかったのだ。若いってそういうことね。

得てして、私はペラペラにはならなかった。仲の良い友人と親密な会話を交わすことには不自由しなくなったが、急に振られて身振り手振りを交えプレゼンが出来てしまうような、日本人がイメージするいわゆる「外国語を使いこなす」ほどの技術には到達しなかった。とはいえ、こんなレベルでも英語を全く話さない友人との海外旅行では重宝する。

さて、ここからが本題。

その時、私はたっての希望で、友人二人を道連れにしヨルダンの遺跡を旅していた。薔薇の遺跡との異名を持つその地で、奥にあるというもう一つの神殿に向け細い道を延々と行く。赤い土埃が舞う強い日差しの下、おとぎの国に紛れ込んでしまったかのような非日常過ぎる光景の中で、私は高揚し、その高揚を存分に味わうためにただひたすらに無言で歩を進めていた。

ふと、前からこちらに向けて歩いてくる人が居た。40代くらいだろうか、ドイツとかポーランドとか、英語が母国語ではなさそうな顔をしていた。ともすればそのまますれ違うだけの旅の光景である。

友人Kが、その人のTシャツに描かれた模様に気づいた。そこには7つの星の絵のついた玉が、つまりその人は外国人でありながら、日本のアニメであるドラゴンボールのTシャツを着ていたのである。

突如、友人Kが呪文のような言葉を唱えだした。

「か~~~~~~~~~~」

「め~~~~~~~~~~」はっ!?一体どうしたのだろうと私の後方を歩いていた友人Kを振り返る。彼女は両手で何かを支えるように、握りこむように左腰を捻り脇腹の方に手をやっている。

「は~~~~~~~~~~」

彼女のジェスチャーにハッとする。これは・・・

「め~~~~~~~~~~」

向かいから来た男性の方を振り返る。彼も同じポーズを取っている!!まさか・・・これは・・・!!

もしかして!!!!

「波ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」の言葉とともに、手首と手首を合わせ、手のひらを大きく開いた状態で相手に大きく突き出す。その距離、15メートルか。二人は、言葉を交わす間もなく、Tシャツの絵柄一つでかめはめ波を送りあったのである。二人の間、二人を繋ぐ一本の太い波動が見えた気さえした。

私は雷に打たれたが如く衝撃を受けていた。そして全てを理解した。私が留学期間に語学において成し遂げたこと、成し遂げられなかったこと。その全てのカラクリが、突如この異国の地で腹の底から腑に落ちたのである。

彼女(友人K)は、私は数年間の留学生活で得た語学力なんて屁でもないということを、たった15秒でやってのけた。波動を送りあった二人はそのまま歩を進め、すれ違うタイミングでハイタッチした。彼女は英語での会話は出来ない。しかし、「グッドTシャツ!」「ドラゴンボール」「ジャパニーズアニメ」「ベリーフェイマス」と知っている単語を並べ立てている。

おそらく日本や、ジャパニメーションが大好きであろうそのおじさんは嬉しそうにうなずいて、何かを喋っている。英語ではない。その瞬間、言葉はわからないのに二人は完全に通じ合っていた。ハイタッチの後、握手までして別れを惜しんでいた。7つの玉が描かれたTシャツを着ていたというだけで、彼女は見知らぬ外国人のおじさんに親近感を覚えこれだけ距離を縮めたのである。

これこそがコミュニケーションであり、語学の極意ではないだろうか。そして、私にその才がないことをはっきりと思い知らされた。

悲しくはなかった。むしろ清々しかった。そして心底友人Kを尊敬した。その気持ちは今も薄れることはない。


あれから何年も経ち、英語から離れた生活も更に月日が経ち、英語力を身に付けたいという執着もすっかり薄れたが、時々彼女のコミュニケーション力を垣間見る度にあの日を思い出す。そして尊敬の念を新たにする。


コミュニケーション力って、見知らぬ人にかめはめ波を送ること。

それこそが語学の極意だ。



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