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それってアートですか?

「13歳からのアート思考」という本を読んだ。

「アート」と言うと、どういうものを思い浮かべるだろうか? たまに、美大生が作品を展示している空間を訪れることがある。

めちゃくちゃ絵が「うまい」人もいれば、ちょっと個性的な作風の作品が展示されていたりする。でも、どれも「アートだな」と感じるものばかりだ。
 
美術館に展示してある著名なアーティストのほうが、「これって、アートなの?」という衝撃的なレベルのものが展示してあるような気がする。

素人のくせに偉そうで申し訳ないが、美大生の作品は、いわゆる「アートらしいアート」であって、「アート」という枠を超えられていないような気がする。一方、一流のアーティストは、「これってアートなの?」というような問題作を平然と出してくる。

「そもそも、アートとは?」ということを問い直してくるような作品が多い気がするのだ。もちろん、美大生の場合は、「アートを学ぶ身」であって、「アートを破壊する者」ではないから、という違いもあるからだとは思うのだけれど。

写実的な絵を描く技術をもたない私たちは、写実的に描かれた絵を「うまい」と評価しがちだ。しかし、ここにはふたつの真実が含まれている。

①写実的な絵を描くならば、写真を撮ったほうがいい。技術はいらず、一瞬で撮ることができる。
②写実的に描かれた絵でも、「全て」を表現しているわけではない。目に見えていないものは表現できていない。

「写真」という技術が登場した当初、それまでの「アート」の概念に対して大きな打撃が与えられただろう。

それまでは、「写実的に」絵を描く技術が、「世の中に必要な技術」として存在していた。たとえば、お金持ちの邸宅や、教会の壁画を描く目的で、写実的な絵を描く技術が必要とされていた。

しかし、写真が導入されてからは、わざわざ長い期間をかけて、技術のある画家を呼ばなくても、一瞬で「写実的な」ものを再現する技術が生まれた。なので、「写実的な」絵が描ける人にとっては、たんに写実的な絵が描けるというだけではアドバンテージがなくなってしまった。
 
そして、重要なのが、「写実的に描かれた絵でも、全てを表現しているわけではない」ということだ。たとえば、人物画の場合、正面は描かれていても、裏側は描かれていない。手が描かれていたとしても、角度によっては、すべての指が描かれていなかったりする場合もある。

つまり、「常に不完全」なのだ。そういったことが、「アートとは?」ということを問い直すきっかけが生まれた。
 
著名なアーティスト、アンディ・ウォーホルは、市販されている洗剤の箱のレプリカを作り、それを「アート」として展示したそうだ。

そうなると、いよいよわけがわからなくなる。アンディ・ウォーホルが「アート」として展示したそれらの箱を美術館で見た帰りに、スーパーで、そっくりそのものの箱を見つけることができてしまうのだ。アートと現実がごっちゃになってしまう。

「何がアートで、何がアートでないか?」の世界線は、ほぼ消失したといってもいいだろう。

キャンパスに描かれた絵だけがアートではなく、世の中のすべて、人間が関わるものなら、なんでもアートたりうる。名乗ろうと思えば、僕たちはすべて、アーティストなのかもしれない。

そういう視点で世の中をみると、また何かが違って見えるかも。自分たちのやっている営みに、変化が加えられるかもしれない。
 
アート的な視点で、仕事を見直してみる。生活を改善してみる。そういう視点が加えられるようになるかも。

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