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【連載小説】シクラメンと木のオジサン vol.2


4


木のオジサンは通学路にある公園のベンチにいる。
朝はいない。
下校の時だけ。
毎日いる。

公園にはベンチが3つある。
オジサンがいるのは1番隅っこのベンチ。
そこは後ろに大きな木があるからいつも曇っている。
他の2つのベンチは陽が当たって気持ち良さそうなのに、オジサンがいるのは決まってその曇ったベンチ。
そこで、いつも同じ服を着て、じーっとだまーって座っている。

オジサンは本当に動かない。だから初めて見た時、私は銅像と見間違えた。
でもオジサンは銅像っていうより木に似てる。
似てるというか、鳥たちはオジサンを本物の木だと勘違いしているようで、オジサンの肩や頭に留まっている。
その数、多い時は10羽以上!

鳥たちはオジサンに留まって羽を休めたり、お喋りをしたりする。中にはオジサンの頭をつついて何かを食べているものもいる。
時には猫もやってきて、オジサンの上にピョンと乗る。だけど、どんなに可愛い猫が来てもオジサンが猫を撫でることはない。
オジサンはじーっとだまーって座っている。

入学式の帰り、初めてオジサンを目撃した私はオジサンに目が釘付けになった。銅像? 人間? どっち? と。するとママが言った。

「見ちゃダメ」

「どうして?」と聞くと、「危ないから」と返ってきた。

「どうして危ないの?」

その問いにママは答えてくれなかった。代わりに「しーっ」と人差し指を立てて、「どうしても」と言った。

どうしても。

その言葉が出たら質問はお終い。ママはその後一切答えてくれなくなる。だから私は考えた。

どうしてオジサンが危ないのか。

考えれば考えるほどわからなかった。
だってオジサンは座っているだけで危ないことは何もない。むしろ鳥たちがおじさんの目をつっつくんじゃないかって、そっちの方が心配だ。

でもオジサンを見たらいけないのは本当のようで、あれから何度か他の子が私と同じように「見ちゃダメ」と大人に言われているのを目撃した。

オジサンが危ない理由は5年生になった今もわからない。だけど誰もオジサンの隣に座ろうとしないから、危ないっていうのもきっと本当なんだろう。

私はときどきふと思う。オジサンの隣に座ったらどうなるんだろう。

爆発しちゃったりして。
だとしたら危ないのはオジサンじゃなくてベンチだ。

じゃあ、殴られる?
そんなはずはない。
だってオジサンは本当に微動だにしないんだから。
一度、男の子たちがオジサンに向かって石を投げているのを目撃したことがある。その時、鳥たちはすぐに逃げていったけど、オジサンは一つも動かなかった。痛い顔になることも悲しい顔になることも怒った顔になることもなかった。ずっと同じ顔のままで、まさに木、そのものだった。

どうしてそんなことができるのか。
私も真似したいと思った。
オジサンの隣に座って木のようになってみたい。
そしたら私の肩にも鳥は留まってくれるだろうか。
猫は乗ってくれるだろうか。
なんとなく無理な気がする。
だってそもそもあんな風にずーっとじーっと黙って座ってることなんて私には無理だ。
オジサンだけの特殊能力。

以来、私はオジサンに憧れている。

5


木のオジサンは今日もいつものベンチにきちんといた。なんでかわからないけど、そのことは私に絶大な安心感をもたらした。

オジサンの肩の上で2羽の鳥がお喋りをしている。

その会話にオジサンが参加することはない。鳥の方からオジサンに話しかけることもない。私はその光景をいつも通り横目に見ながら素通りをして家に帰った。

冷たいドアノブをひねり、鉄のドアを開ける。

「ただいま」

返事はない。いつものことだ。ママがいないのはいつも通り。お家の中がちょこっと薄暗いこともいつもとなんら代わりはない。

私はランドセルを置き、ママがくれた500円玉の入ったポーチを持って外に出た。
スーパーへ行くためだ。
ママは言った。
暗くなると危ないから帰ったらすぐにスーパーへ行きなさいと。
だから私は言われた通り、ポーチを持ってスーパーへ行った。


一人でスーパーに行ったことは何度もあるけれど、渡されたお金で「好きなものを買っていい」と言われたのはこれが初めてで私はドキドキした。

何を買えばママは喜んでくれるだろうと頭を悩ませながらスーパーにつき、改めて建物を見ると、それは悪魔の城のように見えた。
「さあ、何を買うんだい?」と不敵な笑みを浮かべているように見える。私は思わず武者震いをした。とその時、

「イテッ!」

右から男の人の声がした。パッと見ると、鉢植えが並べてある棚から一つが落っこちて地面に転がった。「イテッ」と言ったのはスマホを持ったお兄さんだ。どうやら棚にぶつかったらしい。

お兄さんはスマホを見ながら落ちた鉢を片手でつまみ、棚に戻した。
だけど地面に溢れた土は戻さなかった。
私は、お兄さんは大人だから仕方がないと思った。
だって大人は手が汚れるのが嫌いだから。
お兄さんがスマホを見ながら何事もなかったかのように去っていった。

私は、花に声があったらな、と思った。
そしたら落ちた瞬間、悲鳴をあげることができたのに。
「キャー」って言えたなら、「痛いっ!」て言えたなら、土が血の色をしていたなら、お兄さんだけじゃなくて周りの人も花の悲劇に気づいて、お兄さんはスマホを見ながら去るようなことはなかっただろうに。
……どうだろう。
それでもスマホを見ながら行っちゃったのかな。

「ごめんね」

私はお兄さんの代わりに土を戻そうとしゃがんですくった。

しかし土を戻すのは簡単ではなかった。
鉢の上をハート形の葉っぱが占領しているからだ。
土を戻すには葉っぱをめくり上げなくてはならない。
どこをどうめくればいいか、葉っぱと睨めっこをしていると、鉢の中央で「すみません」と頭を下げている蕾が目に入った。
どの蕾もニョキーっと伸びた細い茎の先端についていて、お辞儀をするように頭を垂れている。
垂れた頭は鬱血したような赤紫色で、私はなんだかママみたいだと思った。

かわいそうなママ。

でもママに「かわいそう」と言ってはいけない。私はそのことを去年の秋に学んだ。

(続く)

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