雑記「『詩は、ファッションである』を読んだ」

とても面白かった。以下にリンクを張る。(リンクを張るのは初めてだが、こういうのは許可がいるのだろうか……。怒られたら消します)

「詩的な表現」についての表現がとても共感出来て、気持ちが良かった。霧が晴れたような気分になった。

私自身、詩は読まない。以前には、中原中也や、漫画に影響されて悪の華を手に取ったりしたが、さっぱり分からなくて、向いていないと思い断念した。

詩は、絵画を見るように楽しむのが良いと何かで教わったことがある。絵画は瞬間瞬間を切り取ったもので、明確なストーリーが無い。例えば橋の上を歩く人の絵があったとして、「えっこのあとどうなるの?」「橋から落ちるの?」「この人はいつ死ぬの?」とは(一般的には)考えない。同じように、詩もそれ自体に込められた意味を明確にしようとするのではなく、なんとなくいいなぁと思えばそれでよいらしい。「ここから見える風景好きだなぁ」とか、「この絵の色遣いが素敵だ」とか、そういった感覚に近いはずだ。ただ詩は文字でできているため、読む人はどうしても意味を追ってしまい、意味が分からなくて一歩引いてしまう、となるようだ。

詩は読まないが、音楽の「歌詞」は好きだ。「平沢進」はもちろんのこと、「たま」の「電車かもしれない」は聞きまくった。音楽そのものよりも、歌詞そのものを好きになることが多い。

ちょっと離れたところでは、トレーディングカードゲーム「マジック・ザ・ギャザリング」のフレーバーテキスト(カードの効果に関係のない、背景世界や雰囲気を匂わせるための短い文)なんかも良い。「ヴェズーヴァ / Vesuva」というカードの「君がいたあらゆる場所 / it is everywhere you've ever been」という一文は、本当に短い文なのに、何度読んでもしびれるような感覚を覚える。

私は意味が分からない方が好きだ。語感とかリズムとか、変な言葉の組み合わせとか、そういったものに惹かれる。意味は後から考えることもあれば、考えないこともある。歌詞を書き起こして、眺めたりすることもある。

こういった詩的なものを生み出す感覚は見習いたいと思い、自分も詩や歌詞を作ってみたいという気持ちはあるが、あまりにも隔絶した世界に感じてしまい、尻込みし続けている。

結局のところ、「意味わかんない! 何が言いたいの?」と言われるのを恐れているのだと思う。

「何を言われたってかまわない。俺がいいと思ったんだから」と胸を張って返せるのは、今のところ小説という媒体のみだ。詩は、詩を書くという行為は、何か私からは遠くにあるような気がする。

そしてそれはとてももったいない事なのだと思う。

まずは何か、初心者向けの詩集を読んでみようか。

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