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一人前お好み焼き7時間

4月。緊張気味だけど大きな声で挨拶する新入社員。中規模の広告会社4年目の僕は日頃の寝不足でその挨拶を聞いていない。

僕の部署は課長高木さんと僕、3年目の佐伯。3人の小さな部署。クリエイティブプランニングなどを請け負っている。1つの案件をチームワークの良い3人でこなすため、効率よく数字を上げていた。佐伯は広島から来た女の子。センスはまるでないのだが常に前のめり。そして大食いだ。ラーメン大盛餃子5人前を普通に食べる。付け加えるとかなりかわいい。おでこの広さをアピールしているのか、常に前髪を上げるか流している。

隣の部署は僕らとは正反対の18人。セールスプロモーションの販促物。彼らはスピード感と活気があり、騒がしい。

その新人は隣の部署に配属された。
宮﨑君。

宮﨑君は正式に配属されたその隣の部署が多忙を極めたため、4週間研修ということで僕らに預けられた。僕らの部署は広告の大まかな流れをつかみやすいからちょうどいい。彼は小柄ではきはきしている。和歌山出身、大学まで地元。この春東京に出てきた。
横浜のクライアントに僕と宮﨑君で行く。移動の電車の中でアエラの広告を引用して宮﨑君に説明。しかし宮﨑君は言う。

「アエラって何ですか!」

アエラだ。雑誌のAERA。

広告関連の会社で働こうとする人が、アエラという雑誌を知らないというのはマズイ気がする。ついでに聞いてみる。

「non-noは?」
「え、知りません」

「JJは?」
「知りません」

「クロワッサンは?」
「知りません」

「monoマガジン」
「知りません」

「サライ」
「わからないです」

「谷村新司」
「あ、知ってます!歌いますよね!」

キビシイ。雑誌が全てではないし、流行が全てではないけど、宮﨑君は世の中の動きにかなり疎いようである。アドバイスをする。ニュースとCMを良く見る、雑誌を読む、ラジオを聞く。そして本を読む事は想像力を働かすために良いと考え、とりあえず村上春樹のノルウェイの森を買ってあげる。

後日、感想を聞いてみる。読むことが止まっているらしい。
ノルウェイの森の書き出しは「僕」がドイツにボーイング747に乗って行く。3~4行で747は着陸する。
宮﨑君は言う。
「やれやれって、何でここでやれやれなんですか」
ボーイング747は着陸出来ずに終わった。

佐伯も宮﨑君が世に疎い事と広告会社でやっていくことに心配して、女性ファッション誌をしこたま買ってあげた。

「どうだったかな」

「この雑誌の着回し1週間にこうあります。「今日は大事な会議!濃いめのしっかりスーツと白ブラウスで粗相がないように」。佐伯さん、今日は会議があるのにワンピースにレギンスですよ、他の曜日も見ましたが、佐伯さんはワンピースにレギンスがほとんどで声が大きくなると腕まくりします」

佐伯は消しゴムを小さく千切って宮﨑君のおでこに投げ込んだ。

課長の高木さんは宮﨑君について僕らに言う。
「お前や佐伯も入った時はこんな感じだった。お前らはその後急成長したんだ、おまけに彼は愛嬌がある。あの愛嬌は武器だ。伸ばしてやれ」
確かに彼の笑顔、僕は好きだ。そして僕と佐伯は急成長と言われてにやにやする。僕は宮﨑君を全力でフォローすることにした。佐伯も多分そう思ったはずだ。鼻が膨らんでいる。



宮﨑君、別の破壊力も持っていた。クライアントとの商談。
僕が先方に説明する。
「ここはですね、ダイレクトマーケティング的な手法をとってですね」
宮﨑君が突如入ってくる。
「ダイレクトマーケティングって何ですか!」

他にもたまたま出会ったクライアント担当者が僕に言う。
「おう!最近どうなんよ!」
「まあ、ぼちぼちですよ」
担当者は横にいる宮﨑君にも気を使い、聞く。
「君はどうなのっ」
「えっ、どうって、どういうことですか」

僕は楽しくてしょうがなかった。宮﨑君には申し訳ないけど、可愛らしい男の子が空気を読まずにぶった切る。でもいきなりだとクライアントも面食らうだろう。だから事前にこんな新人君が同行するのでよろしくです、と連絡を入れることにする。そうすることでクライアントも彼を微笑ましく見てくれる。

佐伯は心配でしょうがないようだ。業務の流れを一からレクチャーする。驚いたことに佐伯は教えるのが上手であった。宮﨑君に明確な指示を与えた上でいくつかの方法を提示し、最後に「自分のやりやすい方法を選んでね」と締めくくる。手間が掛かるやり方だけど教えられる方に裁量権を残してやる。自分の意思が反映されることで責任も持たせる。佐伯は大食いで可愛いだけではなかったのだ。すまぬ佐伯。

佐伯のお陰で宮﨑君はある程度事務処理を習得する。我々の後方支援を任せるぐらいまでになる。なので飲みに誘う。その日は5月にしてはとんでもなく寒かったので寄せ鍋。宮﨑君はここでも炸裂した。その店、具材は大量に出してくれる。お代わりもokなのだが、具材を一から自分達で入れる。

僕は言う。
「やはりきのこ類を最初に入れよう、ダシも出るし」

宮﨑君はこう返す。
「最初に入れるのは鶏肉。火が通りません」

「いや、俺はきのこがいいと思う、きのこのダシは鶏肉も包むと思うけど」

「鶏肉です、火が通らないものを最初に入れましょう」

落としどころを作る。
「それじゃさ、きのこ入れた直後に鶏肉でいかがでしょうか」
新人に敬語を使ってしまった。それでも宮﨑君は曲げない。
「鶏肉」

佐伯が切れた。
「お前ら、いい加減にしろ、こっちはな、腹が減っているんだ、どうでもいいから早く食わせろ!」

僕はすぐさま鶏肉を鍋に入れる。佐伯は可愛いだけでなく大食いだけでなく教え方が上手いだけでなく、腹が減ると怖い。

その後も宮﨑君のこだわりは続く。根菜から豆腐、椎茸。その後に牛肉と葉野菜。具材を入れる場所にも指示が飛ぶ。真ん中に豆腐を入れたところ、黙って端に寄せた。崩れやすいのは端。途中で入れる具材は端から。結果とても美味しい鍋になる。佐伯の機嫌は良くなる。

僕は宮﨑君を奉行と呼ぶことに決めた。

後日焼肉に行った時も宮﨑君は奉行となる。僕はタン→ロース→カルビの順番なのだが宮﨑君はタン→カルビ→ロースを主張する。激論が展開する。佐伯が怒り狂う、僕は慌ててタンの後カルビを焼く。結果、脂身が多い部位を先に食べる事でロースが落ち着いて食べられ、美味しい焼肉になる。佐伯の機嫌は良くなる。

諸般の事情で9週間に伸びた研修が終わり、宮﨑君は隣の部署に戻った。「またいろいろ教えてください、飲みも誘ってくださいね!」
鍋や焼き肉だと二人に怒られるので松花堂弁当の飲み会にしようかと考えたが、それでも箸を付ける順番で怒られそうだ。

宮﨑君は何か浮かない顔をしている。我々も忙しい時期になり彼にかまう事は出来ないし他の部署に口だしするわけにもいかない。

隣の部署の同期が話しかけてくる。
「宮﨑のことなんだけどさ、プロモーションする対象の世界観あるだろ、あれって主観的なものだよな。それを上手く呑み込めないんだよ。他人のイメージが受け入れられないというか。ふわっとしたものに入り込めないというか」

彼は続ける。
「融通が効かないんだよ。俺たちのセールスプロモーションってキャンペーンの最後に付け足されるから時間がないし、キャンペーンそのものが土壇場で変更になることもよくある話だろ、それがダメなんだよ。なんで変更になったんですかが始まるんだよな」

「他にもあるの?」

「この間さ、フランス車メーカー販売店来場記念品やったんだけど。来場記念だから店に来た人全員配布。だから安くてでもフランスらしいやつを考えて、デュラレックスのグラスにしたんだ。そのグラスにそのメーカーのエンブレム、焼付けしたのね」

「あれか、ちょっと濃い青のライオンか。それをデュラレックス。いいね、フランスらしい」

「そうそう。でもさ、ガラス焼付けって色をドンピシャに寄せられないんだよね。印刷と違って。だからあらかじめクライアントに説明したのよ、ドンピシャになりませんよ、少し色ずれますよ、それでもいいですか?って。OKもらったのよ。そしてガラス屋さんに発注、出来上がりました、案の定色が紫に寄っている。念のためにクライアントに見せたらそれでいいって言われたの。そしたらさ、宮﨑がガラス屋さんにキレてさ、色見違うじゃないですか、色見本渡しましたよねって。クライアントも俺もガラス屋さんも皆OKなんだよ。宮﨑だけがNO」

隣の部署の彼の言うことはよくわかる。セールスプロモーションを主とする彼の部署はキャンペーンの最後の最後に案件が降りてくる。そのクライアントの指示も適当なことが時折ある。最終的に辻褄が合えば良いものもある。その中で宮﨑君は孤軍奮闘、求められない正確さを主張している。

宮﨑君の顔は日増しに青くなる。

佐伯が課長の高木さんに僕を巻き込み直談判する。宮﨑君をうちの部署に引き込めないか。高木さんは言う。
「確かに宮﨑は俺の目から見ても心配だ。ただ、俺はこのチームも心配だ。今期の見込み数字、かなりヤバい。チームの損益分岐点をかなり下回りそうだ。そこに宮﨑の損益を追加すると真っ赤だ。そんな余裕はない。宮﨑の分もお前らがカバー出来るなら掛け合ってやる」

確かに厳しい。隣の部署は18人。宮﨑君の数字を18人でカバーするのは出来る。僕らは3人。宮﨑君の数字が重くのしかかる。電卓を叩く。佐伯はそれを覗き込む。二人無言だ。

それでも宮﨑君は頑張っていた。愛嬌のある笑顔を振りまきながら。部署のメンバーも宮﨑君を相当フォローしていたと思う。上手くコミュニケーションが取れている時はその一角が柔らかい雰囲気に包まれている。
でも広告って、ところどころ曖昧なものが入る。センスの良い広告というものは数字で表せるものではない。定規で真っ直ぐな線を描くこととは相容れない世界なのかもしれない。

宮﨑君は1月まで頑張った。でもそれ以上は無理だった。
郷里の和歌山に帰ると言う。彼は僕と佐伯に声をかけてくれた。よろしければ和歌山に帰る前に3人でお話がしたいのですが。

佐伯が言う。
「宮﨑君の部屋にホットプレートあるかな」

「もちろん、あります」

「うぉし!私がお好み焼きを作る、3人で宮﨑君の部屋で飲みましょう、決まりです」

土曜の夕方に佐伯と宮﨑君の部屋に行く。荷造りはほぼ終わり、がらんとした部屋。佐伯は全ての具材と酒を僕に買わせ、上機嫌である。具材は3人分とは思えないほど多い。大半の具材は佐伯のためにある。

先にビールで乾杯する。すぐさま佐伯はお好み焼きの準備を始める。ボウルに水、みりん、薄力粉を入れかき混ぜる。キャベツを千切りにし始める。

宮﨑君が待ったをかける。
「佐伯さん、キャベツめちゃめちゃ長いですよ、そんなに長くしたら・・」
佐伯がすぐさま答える。
「言うと思ったわ。宮﨑。お前は和歌山だから大阪のお好み焼きだろ、広島はな、キャベツが長い!分かったか!これは広島と大阪の闘争だからな」
宮﨑君も僕も正座した。

佐伯が得意げな顔で指示を出す。
「よし、生地を焼き始めるからホットプレート出して」

宮﨑君がいそいそと出す。

丸型、直径15㎝程。一人用。

「小さい」

佐伯も続ける。
「小さいですね」
宮﨑君。
「そ、そうですか。ホットプレート、ですが」

「しかし、小さい」

「ですね、小さいですね」

「そうでしょうか」

「何だかちまちましているな」

「そうですね、せせこましい気がします」

「でもちゃんと熱くなりますよ」

「猫の額とはまさにこの事」

「猫ってそんなに額狭いですかね、山羊も狭いですよ」

「佐伯さんはおでこ広いですよね」

佐伯が吠える。
「おいおい、宮﨑、私のおでこはこの際どうでもいいんだよ、どうすんだよこのミニマリストみたいなホットプレート。あ、フライパンでやるか。フライパン出して」

宮﨑君は地獄に落ちそうな顔で言う。
「すみません、フライパンは荷造りしてもう和歌山に送ってしまって」

僕が提案する。
「俺、フライパン今から買って来るよ。コンロでやろう」

宮﨑君が消え入りそうな声で言う。
「ガス、さっき、止めてしまって」

しばらく沈黙が流れる。

佐伯が口を開く。
「やるか」

「え、何をですか」

「お好み焼きだよ、宮﨑君。他に何するんですか。お好み焼きですよ」

僕は佐伯の思いつめた目にビビりながら聞く。
「どうやって?」

「このミニマリストホットプレートでやる」

佐伯は生地を焼き始める。生地をお玉でくるくるさせる手つきは玄人のようだ。かつお粉をかけ、キャベツ・天かす・ねぎ・もやしの順に乗せる。豚バラを乗せ、生地を少し掛ける。

「どうしよう、このちっこいホットプレートだと、ひっくり返せない」
佐伯がつぶやく。小さいホットプレートいっぱいに生地を広げなければならず、ひっくり返すのは至難の技だ。しかし佐伯はやってのけた。ヘラを2枚差し込みターンオーバー。佐伯のあそこまでの集中力を見たことがない。まだ至難は訪れる。麺を炒めるスペースがない。ミーティングの結果、麺は1回につき5本となる。さらに。卵を焼くスペースもない。佐伯は苦難の表情である。卵を焼かずに生地の上に乗せる案は却下された。焼いてから乗せるのが佐伯家の家訓らしい。

僕が素晴らしい案を思いつき、提案する。
「うずらの卵、買ってくるわ!」

買ってきた。
僅かなスペースでうずらの卵を焼く。ちまちま加減に輪をかける。というか直ぐに火が通ってしまう。半熟で乗せる佐伯家家訓とはかけ離れたものになりそうだ。

とにもかくにもなんとかお好み焼きが完成した。
3人でつつく。
旨い。佐伯が苦渋の表情を浮かべ作ったのに、麺は5本しか入っていないのに、旨い。

もう一度乾杯し、佐伯はまたお好み焼きを作り始めた。今度は大きめの皿を用意し、麺や卵を焼く間は本体を皿に退避させることで問題を解決した。うずらの卵は宙に浮いた。

2枚目が出来る。さっきより段違いで旨い。何せ麺がフルサイズで入る。またホットプレート上でひっくり返さない事で崩れが少ない。旨い。宮﨑君も大阪的お好み焼きについては何も話さず箸を運ぶ。

佐伯が言う。
「皆さんにご相談があります。今日持ってきた具材の量、ちっこいホットプレートで1個焼き上げる時間を考えました。このちっこいホットプレートは熱の伝わりが遅く、伝わったと思ったら過熱されます。厄介なやつです。そして具材は全て調理の為に下ごしらえしています。宮﨑君がこの部屋を引き払う事を考えると具材は全て使い切る必要があります。パイセン、何時までかかるでしょうか」

パイセン?

パイセンと呼ばれた僕は答える。
「大食いの佐伯さんが大量の具材を持って来たこと、それからちっこく熱の伝わりが甚だ無邪気なホットプレートを考慮すると、概算夜中の1時までかかると思われます」

「パイセン、いかが致しますか」
「パイセン、どうしましょう」
佐伯はともかく宮﨑君まで調子に乗る。

「やるに決まっているだろ、今日は宮崎の旅立ちを祝っているんだ。しけたお別れ会じゃないんだぞ、祭りだ、何時までかかろうがやる。ビール、追加で買ってくるぞ」

お好み焼きが軌道に乗ったことで3人に余裕が生まれる。ビールがすすむ。話も進む。
宮﨑君が辞める前にやってしまった仕事の失敗について話始める。
「あるイベント案件でスケジュール調整していたんですよ、イベントの1週間前に各商材が揃う予定で。1週間前に揃いました。でも、」

「おい、日付間違えてた?」

「そうなんですよ」

うわぁ、と佐伯がしんどそうな顔で言う。イベントで日程間違えると致命傷だ。

「イベントの日程、本当はその5日後だったんです」

「な?商材に日付とか入っていたの?」

「いいえ、でもスケジュールを立てるのを根本から間違えた訳ですから」

佐伯が言う。
「それって誰か迷惑とか掛かったの?」

「ちょっとわかりません」

「早く準備出来たんだよね。多分誰も被害被ってないよ、そんなの失敗じゃないよ、このパイセンは凄いよ」佐伯が余計な事を言い出した。
「今の部署に来る前、販促物制作の部署にいた時ね」

「やめろ」

「ビールメーカーの仕事でね、夏によく見かける首にぶら下げるような小さな扇風機あるじゃない」

「やめろ」

「パイセンの仕様指示がなってなくて扇風機の配線が逆でスイッチ押すと反対側に風が行くの。5,000個全量」

宮﨑君は笑いが止まらない。佐伯のタレント撮影スケジュール調整を間違えて方々に謝罪に駆けずり回り、僕も同行し、帰社した時に涙ぼろぼろした事は言わないでおいた。

6時から焼き始めて9時を過ぎた。焼くのは交代でやる。佐伯が焼いたものがダントツに美味しいが、僕と宮﨑君が焼いたのもなかなかいける。豚バラの焦がし具合や麺に絡ませるソースの量などで風味がかなり違う。麺を乗せた後でヘラで押さえつけると豚バラの旨味が麺に移るらしい。ビールとお好み焼きの無限ループ。じわじわと食べるというかじわじわとしかお好み焼きが焼けないからいつまでも食べれる。

「宮﨑君さ、東京、どうだった?」
佐伯がさらっと聞いた。

「とても楽しかった。こんな形で戻るのは残念ですが。東京が僕にとって少しだけ忙しすぎたかもしれないです」宮﨑君は続ける。
「あっという間の時間って聞いたことありますか?パイセンと佐伯さんはあっという間と聞いてどれぐらいの時間を思い浮かべますか?」

「それは状況によってかなり差がでるぞ」

「状況考えないで、この場のインスピレーションで」

「5秒」と僕は答え、佐伯は0.8秒と答えた。

「地域によって変わるらしくて。東京だったら1秒、大坂の下町なら0.5秒ぐらいらしくて。あくまでテレビの企画でやったらしいから正確ではないと思います。沖縄は10日間です」

僕と佐伯は笑う。沖縄、いいな。

「和歌山、どれくらいだと思いますか?」

「2週間とかか?」

「3か月です。片側1車線の60㎞規制の国道、車の流れが悪いな、と思ったら先頭にいる軽トラが30㎞ぐらいで走っているんです、誰も追い越さないし、クラクションも鳴らさないんです」

ひとしきり笑った後、僕はつぶやいた。
「0.5秒と3か月を同じ杓子で括るのは無理があるな」

改めて宮﨑君の部屋を見渡す。
部屋自体は1Kで特に特徴もない。ただ、窓を開けたところで隣の建物の壁しか見えない。昼でも暗いのだろう。和歌山は全国でも日照時間が上位だったと思う。一度だけ行った事がある。人口が少ないのはもはやどの地方でも同じだが、他の地方にある寂寥感はあまり感じなかった。御坊市に20㎞ぐらいで走るおもちゃのような可愛らしい鉄道がある。20㎞の電車。そこから来た宮﨑君は何を感じたのだろう。

10時を過ぎて流石に味に飽きてきた。佐伯が禁断の技と言いながら、紅しょうがとたくわんを刻みだす。聞いてみる。
「何が禁断の技なんだ?」

「東京だと紅しょうがはこの手の粉ものには必ず付いてきますが、広島では紅しょうが入れてもいい人と絶対に入れない人が暗闘を繰り返す歴史があって・・」

お好み焼きには闘争とか暗闘とかよくあるらしい。紅しょうがとたくわんが入ったお好み焼きは舌をリセットする。

佐伯の携帯に電話が入る。仕事をお願いしたデザイン事務所から。土曜の10時過ぎ。嫌な予感しかしない。
「校了したはずのカタログデータをデザイン事務所でクラウドに上げたつもりがオンプレミスサーバに上げていて、そのデータが飛んだらしくて。慌てて校了データまで作り直したけど文字校正だけ手伝ってくれないか、だって」

「照らし合わせるデータはあるの?」

「うちの社内サーバにあるので、スマートフォンで見ることできるから、今、出来ないことはないです、で、月曜朝一下版なんですよ」

「どれだけのページ数なの?」

「70ページ」

酔いも飛ぶ。申し訳ないが既に退社した宮﨑君にも手伝ってもらう。タブレット1台と会社のクラウドに繋がるスマートフォン2台。70ページ。

うんざりしながら始めるが、20分程度で宮﨑君は終える。
あまりに早いので僕が終えた箇所までチェックするが、逆に僕が見落としているところがある。宮﨑君は佐伯が作った紅しょうが山盛り入りを旨そうに頬張る。

「チェックとか得意なんだ」

「そうなんでしょうかね、良く分からないです」

「お前さ、仕事の中でチェックの比重が高い職種になったほうがいいよ、これは武器だ」

夜中1時を過ぎてお好み焼きを全て食べ終えた。佐伯は最後まで食べるペースが落ちなかった。宮﨑君は酒に強い。ビールの空き缶がゴミ袋に山となった。僕らは家に帰ることにする。満腹感でセンチメンタルな気持ちにはならない。

佐伯が言う。

「覚えておいてね、東京最後の飲み会のお好み焼き、最高に美味しくて最高に楽しかったって。しんどい思いをしたことは忘れられないかもしれないけど、それを思いだしたら今日の事思い出してね」

宮﨑君は深々と頭を下げた。

1年ほどたち、宮﨑君からメッセが来た。故郷和歌山の大きな造船所に就職したそうだ。船の事前検査確認や施工計画の立案などをするらしい。チェックが得意な宮﨑君だから良かったと思う。

佐伯は2年ほどして会社を辞めた。広島に帰るというからお好み焼き屋始めるのかと思ったら、社会勉強とか言ってキャバクラに務めた。広島出張したついで寄る。キャバクラなのにカラオケがある不思議な店だった。佐伯は凄い人気だった。それからしばらくしてPRの会社を立ちあげて順調だ。時折僕に仕事を廻す。クライアントと呼んでくださいとか言う。

年に1回、宮﨑君から和歌山のゆら早生みかんが届く。そのみかんを食べるたびに7時間食べ続けたお好み焼きを思いだす。

社会に出て壁に当たった全ての人に捧げます。
発達障害と言われる全ての人に捧げます。
広島お好み焼きに愛を込めて。


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