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麻薬の国でスーツケース行方不明事件

ありがたいことに、よくホームパーティーの席に呼んでいただくことが多いんですけど、そうすると日本人にはよく「海外旅行で面白かったネタ教えて!」と聞かれます。日本の人ではない場合は、割と自分の面白かったネタをここぞとばかりに披露する人が多いんですが、そんなこんなで私もいくつかネタを持っています。どれもこれも皆爆笑してくれます(たまに真顔になって心配してくれる人もいます)。

幾つかあるネタのうちの鉄板ネタが「ボリビアネタ」です。ボリビア。南アメリカの国です。ウユニ塩湖がある国として日本では有名です。とはいえ、南アメリカに位置する国であり、国全体としては決して治安が良い方とは言えません。スペイン語と、地方のケチュア語が主に話されている国で、英語は基本的に通じません。さて、どんなハプニングがあったかお話しすることにしましょう。

日本から飛行機でボリビアに向かいました。私は当時27歳くらいだったと思います。初日の旅程はこう。

成田空港ー(アメリカ系航空会社)→ヒューストンで乗り換えー(ペルー系航空会社)→リマ(ペルー)で乗り換えー(同じペルー系航空会社)→ラパス(ボリビア)で乗り換えー(ボリビアの航空会社)→ウユニに到着

お判りいただけただろうか。乗り換えを3回。フライト4本。航空会社3社に跨る最初の旅路である。時は8月。観光シーズンです。私はアメリカと言う国を舐めていました。

アメリカはたとえ乗り換えだけで入国しないとしてもESTAと呼ばれる入国許可証が事前に必要となります。それは準備してありました。しかし、旅行前に情報を拾っていると幾つかの旅ブロガーが「南米入りはアメリカ経由ではなく、遠回りだがカナダか、便数が少ないがメキシコ経由にした方がいい」と主張していました。その時は「なんでだろう?」と思っていたのですが、理由がわかりました。

アメリカで飛行機に乗り遅れたのです。

国際便乗り換え時間は2時間とるというのがこの業界の常識だと思っていたのですが、アメリカ・ヒューストンの空港。とにかくものすごく混む。8月の観光シーズンと言うのもありますが、本来だったら1回で済む手荷物検査が2回、その他長い列に並ばされてよくわからない検査も行われます。いちいち説明なんてしてくれませんので、「?????」とよくわからないまま人の流れについて行くのです。検査がまた一つ一つが長い事。お陰様でどこもかしこも長蛇の列。わたしもさすがに「これはまずい」と思い、従業員の方に「私の次のフライトが迫っているのでカットイン(割り込み)させて下さい」とお願いしました。日本では一般的ではないかもしれませんが、欧米ではよくある光景です。こういう人のためのレーンも大抵別に用意されているのです。

海外は自己責任の国が多い。日本はおんぶにだっこ。お客様として従業員に色々お世話してもらえるでしょうが、海外では通用しません。とにかく自己主張したものだけが生き残ります。

ということで、カットインをお願いしたところ、最初はすんなり通してもらいました。問題は2回目の手荷物検査。相変わらずあふれ出る人、人、人。しばらくおとなしく並んだあと、同じように「カットインさせてください」とお願いしました。だがこの従業員「ここに並んでいる人たちはあなたと同じフライトだから大丈夫よ」という。え?そうなの?そういわれたら信じるしかないか…そう思っておとなしく並んでいましたが、それがまずかった。従業員といってもでたらめをかましてくる人が海外ではとにかく多いので、ここはもう一歩踏み込んで「そうかもしれないけど、念のため確認してもらえますか?そうでないと私の予定が台無しになるんです」と自己主張するべきでした。もしそれを断られたら「あなたの名札を見せて下さい」。さらに断られたら「あなたの上司に話があります」。

えぇっ、そんな事とても言えないよ、と思われるでしょう。日本国内ではここまでしなくて大丈夫だと思います、よっぽどのことがない限り…。でも国から一歩出たら、これくらいの覚悟がないとトラブルを避けられないのです。特に治安の悪い国やサービスが整っていない国では。

ということでものすごくぎゅうぎゅうな列におとなしく並んでいたら、自分の飛行機は行ってしまいました。気づいたころには身動きが取れないほど混んでいたので、もはや従業員の方を探すことなど不可能でした。こん畜生。すべてが終わり、次のフライトを手配してもらいにカウンターに行きましたら、そちらの方は同情して下さって本当に親切でした。ああ、やれやれ…。

次のフライトは翌日でしたので、宿を手配しました。もちろん宿は自腹。やこれがまた大変で。電話でしか予約できないシステムらしく、南部アメリカ英語なんて初めてで、訛りが酷くて相手が何言ってるのかさっぱり。結局ニコニコしながらカウンターに座っているボランティアのおじいちゃんに助けてもらいました。このジェントルマンは我々にも聞き取れる普通なアメリカンの英語でした。なぜか手をサワサワされました。ん?ジェントルマン?

ヒィヒィしながら頑張って宿に着いたら、翌日に手配してもらった飛行機が、私の日程的に遅すぎることが判明。宿のお兄ちゃんチップを渡し、航空会社に電話してもらってフライトを早い時間に変更してもらいました。

もうグッタリ(ヽ´ω`)。この後もトラブルは続きます。

次の日空港に戻りました。カウンターで、荷物がどうなっているか確認した方がいいと言われました。ああ、確認してくれ、とお願いしたら

「お客様は複数の航空会社を跨いでいるのでこちらで確認することはできません。こちらの番号に自分で電話して下さい」とのこと。

ええええええええ。電話してくれよ(英語は私のファーストランゲージじゃないんだから)、とお願いしたけど、ダメ。当時は今みたいに、海外でもスマホでちょちょいと電波をひろって電話、なんてことができませんでした。仕方なく電話を探したところで、あることに気づきます。お金持ってない。ホテルはクレカで払いました。コイン…?たった数十円数百円のためにヒューストン空港のATMで米ドル引き出すの?しかの出てくるのお札だし。えええええ。

で、何をしたかというと…。やりました。人生初めて。「お金下さい」。これ言うの、本当に勇気がいります。言うのが恥ずかしくて、近くにいた子供にせびりました。「コインある?」「あるよ」「私電話したいんだけどさ、50セントでいいからもらえない?」「いいよ、ママー!この人お金欲しいんだって!」

そんな感じで指定された電話番号に電話をかけました。

「…!"#$%&'()=?」「あ、もしもし?航空会社のカウンターですか?自分の荷物をトラッキング(追跡)して頂きたいのですが」「(ハーッとため息をついてから)!"#$%&'(」

ガシャン

えっ?

何?

向こうから一本的に電話切られたけど?っていうか英語じゃなかったけど、何???いやこれ絶対航空会社のカウンターじゃなかったよね???

そんなこんなでコイン終わり。もう電話できない。あーどうしよう。カウンターに戻ってもう一度トラッキングをお願いしたけど、同じことを言われてお断り。なんてこった。私のスーツケース何処に行ったんだろう。アメリカに留まっているのか、乗り換えのペルーにあるか、それとも目的にのボリビアに届いているのか。ボリビアに届いているとしたら、何処に行けばいいんだろう?

さっぱりわからないまま、ペルーへ飛ぶ。ペルーのリマでもカウンターで同じことをお願いしたけど、やっぱりだめ。そんなことをしていたら、ボリビア行の飛行機のゲートが閉じる時間に。慌てて走る私。荷物検査の方も「もういいから乗って下さい!」と慌てて乗せてくれた。もうやんなっちゃう。

ペルーからボリビアの飛行機で、アメリカ人の神父さんが隣に座っていました。神父さんだと何となく安心しますね。よくわからないけど悪い人じゃないだろう、的な。案の定私のトラブルを全部聞いてくれて、荷物探しも手伝ってあげると申し出てくれました。おまけにボリビアに必要な高山病の薬と、防寒具もくれました。なんてこと。

さて、ボリビアに着きました。深夜に着いたので空港の電気がほとんどついていなくて暗い。人もほとんどいないため、進まない入国審査。入国審査が終わった後もよくわからない列。ああ、やれやれ…と暗い部屋の中、列に並んで私がふと視線を左にやると…。

ん?見覚えのあるスーツケースが…。

そう、私のスーツケース!!部屋の片隅、真っ暗闇に紛れてちょこーんと無造作に置かれていました!!!!

あぶねー!!!たまたま見つけたからよかったものの!!!

隣の座席に座っていた神父さんもすごく喜んでくれました、よかったよかった。中身は無事でした。でも早速中身を確認しようとした私に神父さんが一言「ここではやめた方がいいよ」

理由はこうです。ボリビア。本当に貧しい人が多い。外国人、しかも女が一人でノコノコやってきたらカモにするにきまっています。人目のある所でスーツケースを開けようものなら、中に何か貴重品があるか覗き込んだり、盗む人が出てくるかもしれません。使用していたiPodも念のため、手荷物鞄にしまいました。

泊まる宿に空港の送迎を前もってメールでお願いしていましたが、案の定来ませんでした。前日と当日に確認メールをしないといけないのよね。

ということで待っても来ない車を待つのはやめ、タクシーに乗りました。神父さんとはここでお別れ。ここでもトラブル発生。宿まで7米ドルでいいというので、乗りました。「7 米ドルでいいんだよね」「Yes !」とタクシーの運ちゃん。

が、宿に着いたら「違うよ、僕は17米ドルって言ったんだ」の一点張り。私もこういうボッタくりには慣れてますけど、毎度キレるよね。メモに「7」って書いておけばよかった。ホテルの人を呼んで仲裁に入ってもらおうとも考えたけど、どうせここにそんなにアジア人そんなに来ないだろうからカモにされる人も少ないだろうし、10米ドルの価値なんて私と運ちゃんでは違うのだろうと思い、何よりものすごく疲れていたので、面倒くさくなって17米ドルあげちゃいました。疲れているときの海外でのこのいう判断はいつもとても難しい。最後まで戦う時もあれば、こうやって妥協する時もあります。

こうして宿についたらホテルマン、「エレベーターがありませんので」と荷物を持ってくれる。これはチップ要求される案件ですね。別にあげてもいいんだけど、国によっては「もっと!」としつこく請求してくる人もいるので、チップ文化はあまり好きな方ではありません。おじさん、案の定私のドアの前にそっと荷物を置くと、ニコニコしながらチップを待っている。「チップを渡したいんだけど、コインがこれしかないんだ」と素直に言いました。何せ入国したばかりですから。10円位の価値のコインしか持っていませんでした。おじさん「これは人にあげると失礼に当たる金額だね、100円位のを用意して後で渡してくれてもいいよ」とのこと。

チップというのは心づけなので、あとで支払うという考え方は本来存在しないし、何より働き手が要求するものではないのです。ですからこれ、本当はアホな発言なんですが、一方で何か不便なことがあった時に問題をスムーズに解決してくれるのにも役に立ちます。

チップを渡す渡さないでサービスの質が変わるのが、発展中の国と言うものです。こうすることによって、翌日色々と問題がまた生じた時に、対応してもらうことができました。やれやれ…。

余談ですが、この日ホテルにチェックインした後、私は街に繰り出して麻薬のお店に顔を出していました。ボリビアでは伝統的な理由から、麻薬の一部が合法化されており、お茶として飲むことができます。日本在住者は海外にいようと、日本の法律が適用されると聞いたことがあるので、もちろん手は出していません。が、見るだけじろじろ見て回りました。用途によって色々使い分けるそうで、お店の人が説明してくれました。

あとボリビア・首都ラパスの有名な「魔女通り」にも行きました。占いやまじない、呪いに使用するグッズを売っている通りです。アルパカの赤ちゃんのミイラが軒下につるされていたりします。

おばちゃんたちが道路に座って土産物を売っています。同じ商品をどの人も売っており、値札がついていません。こういう場合、最初に市場チェックをします。「これ幾ら?」と端から聞いて行くのです。そうすると同じ商品でも全く異なる値段を言ってくるので興味深いです。そこは統一しようよ。それこそ10倍の値段で吹っ掛けてくるおばちゃんがいました。私は思わず習いたてのスペイン語で「待って、隣の人、いくらいくらって言ってたよ。あなたの、高すぎでしょ」と言いました。そしたらおばちゃん、大笑いして「そうだよ!観光客には私は吹っ掛けるんだ!本当はいくらいくらだよ」と教えてくれました。なんじゃそりゃ!自分で「ふっかけました」って認めちゃったよ!そんな憎めないおばちゃん、ついこの人からピアスを2つ買っちゃいました。何か病気がうつると嫌なので、一応念のためあとでホテルでタバコ吸ってそうなスタッフにライターを借りて、ピアスをあぶっておきました。

その翌日に飛行機に乗ってウユニに向かいました。ウユニ塩湖。ここでの体験も大変興味深かったです。何せ今となってはもう取り壊されてしまった場所に滞在することができたのですから。

それはまた次回のネタに描こうと思います。

今日はここまで。

PS:ボリビアを旅行した人にトラブル体験を聞いてみて下さい。本当に次から次への出てきます。バスがパンクして立ち往生、6時間かけて車道を歩かされた、とか、きっと色々聞けると思います。

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