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「K値」は“非科学的”か?

西村康稔・新型コロナ対策担当大臣が「K値を参考にする」(動画)と会見で述べ、大手メディアでも取り上げられた「K値」。世間での注目度が高まり有用性に期待する声が上がる一方で、
A. 参考にならない
B. 非科学的である
C. 大臣が会見する必要はない
といった批判や慎重論も(SNSなどで)多く見かけます。

最初にこれらの代表的な疑念に対する個人的な答えを書かせて頂くと
A. 感染傾向を掴む上で参考になる
B. 半分正しく、半分間違っている
・疫学的な意味では(現状では)たしかに非科学的
・仮説と現実データとの整合性を確認している点では科学的
C. 背景について知らないためコメントできない
となります。

Aの、「K値」がなぜ感染傾向を掴む上で強力な武器となり得るのかは、過去の投稿で様々な角度から(記事と動画を通じて)説明してきましたので、ぜひご参照下さい。

【「K値」に関するnote記事・動画】
K値が導くコロナ収束への道
スライドで分かる「K値」の考え方
スライドで分かる「K値」の使い方
【動画】「K値」ってなに? (ミヤネ屋での解説の補足)
「K値」に関するQ&A

以下では、Bの「K値」の“科学性”について少し掘り下げて議論します。K値というのは、通常の増加率と少しだけ定義の異なる「累積感染者の増加率」を表しており、これ「だけ」では感染者の分析には使えません。K値を提唱した中野・池田論文における分析の本質は

1. 累積感染者の増加率が一定の割合(小文字の「k」)で減衰する←(*)
という非常にシンプルな仮説(=「どマクロ」モデル?)が、
2. 各国・地域における感染者数データの動きと整合的であり
さらに、そのモデルにおいて鍵となる(ほぼ)唯一のパラメータkが、観測された
3. 「K値」の傾きを測ることで簡単に推計できる

という3点だと個人的には捉えています。時間を横軸、K値を縦軸にとったグラフの傾きからkは算出されるので、「K値」がより早く下がっている国・地域・状況ほど、パラメータkも小さい値になり、収束が早くなることが示唆されます。中野教授による次のスライドのイメージが分かりやすいです。

スライド1

ここで、(*)は分析の柱をなすモデルの「仮説」ですので、その“正しさ”が科学的に検証される必要があります。検証の仕方には

X. 仮説から導かれる感染者数の推移が現実のデータと整合的か【実証】
Y. 仮説が感染症に関する(ミクロレベルでの)知見と整合的か【理論】

という2通りがあり、ざっくり言うと、Xは実証的、Yは理論的(感染メカニズムを踏まえているかどうか)な検証と言えます。

現状では、仮説(*)は
・Xという基準を満たしているがYは満たしていない
ため、Yの意味では確かに“非科学”的な状態です。ミクロ的な感染メカニズムを重視する感染症の専門家から見ると、あまりにも単純かつ
・「当てずっぽう」で信用に足りないモデル
という評価になるのは理解できます。実際に、当該分野のエキスパートである西浦教授が「K値」について次のように語っています【注1】。

西浦博教授からの回答:
 現時点では使用を考えていませんが、大変興味深い分析だと思っています。ただし、Dispersibility ratioやReproduction numberと違って、これまでの幾多の学術研究によって数理的特性や閾値定理などがしっかり検討された上で実用性を議論できている段階ではありませんので、それらの点について具体的な値が何を意味するのか、ということに関してはとても興味を持っています。

一方で注意しなければならないのは、Yの基準を満たしている(ミクロ的基礎付けのある)精緻なモデルであったとしても、そこから予想される感染パターンから現実のデータの動きを整合的に説明するのは難しい、つまり
・Xの基準を満たすことは簡単ではない
ということです。細かく言うと、過去のデータと整合的な仮説を提案することは、モデル内のパラメータを増やして当てはまりが良いものを選べばある程度可能な場合が少なくありませんが、そのパラメータのもとで将来を予測すると当てはまりが悪い、というのは疫学に限らず(経済学などの社会科学分野では)おなじみの問題です。

この実証面での難しさ、特に
・少ないパラメータで現実を説明することの困難さ
を踏まえると、(初期値を除いて)実質的に「k」という一つのパラメータしか持たない仮説(*)が、現実のデータにかなりフィットしている、というのは驚くべき知見でないかと思います。逆に言うと、この知見を、疫学的な基礎付けがないことを理由に完全に無視する、というのは非常にもったいないのではないかと感じます。

次のスライドは、東京都において4月上旬の「K値」の傾き(day0が4月1日です)から推計したkを用いて描かれた予想曲線と、現実の「K値」を現しています(こちらも中野教授作成)。集団感染が起きるとK値が一時的に上がりますが、予想曲線に沿った形でK値が順調に下がっていることが確認できます。これは、モデルの背後にある「k」がこの期間に安定しており、仮説(*)が(ミクロレベルでの感染メカニズムがはっきり分からないものの)現実の感染者推移をうまく描写できていることを示唆します。

スライド3

以上をまとめると、シンプルな「どマクロ」モデルである
・仮説(*)はXの意味で科学的だがYの意味では非科学的
であるのに対して、感染メカニズムを明示的に考慮している
・疫学モデルはYの意味で科学的だがXを満たすことが難しい
という形で、「K値」分析と従来のアプローチとの関係を整理できます。その上で、片方の基準を絶対視し過ぎると、もう一方の基準で優れている可能性のあるアプローチを門前払いしてしまい、結果的に対策や見通しを誤るリスクが高まるのではないか、という点を個人的には危惧しています。

もちろん、(*)の利点である「データとの整合性」は実証的に確認される必要があります。もしも(*)と合致しないデータが今後たくさん出てきた場合には、その時点で科学性に疑いが生じることになるでしょう。たとえば、将来的に第二波に襲われた時に、(*)が示唆する「K値が直線的に減少する」というパターンが観察され“なかった”場合には、「K値」分析の有用性に疑問符がつくことになります。【注2】

理想的には、X(実証)とY(理論)という2つの科学基準を同時にしっかり満たす、ひとつの「ザ・モデル」を使ってコロナ動向を分析するべきかもしれません。しかしながら、今回のコロナ禍のように、対策に関して緊急性が求められる状況であれば、少なくとも一方は満たしている(と期待される)モデルを複数併用して、より迅速かつ多角的に問題に対処していくような発想が求められるのではないでしょうか。

仮説(*)を前提とした「K値」分析のように、Yを満たさないけれどもXの観点で見ると現時点で科学的と判断できるようなモデルを参考にする、というのは十分“科学的”な姿勢ではないかと考えます。繰り返しになりますが、「K値」分析は疫学モデルに取って代わるような分析ルーツではなく、それを補うものです【注3】。

日本では感染者数がおおむね収束し、現時点で「K値」を使うメリットが小さくなってきているかもしれません。しかし、今後もしも大きな第二波に襲われた場合には、従来のアプローチと合わせて「K値」を参考にするのは、決して“非科学的”なわけではありません。疫学的な理論モデルに代わるのではなく、それを補完するような実証的な分析ツールとして、「K値」分析は有用であると考えています。


【注1】数理的特性については、東京工業大学の秋山教授によるこちらの分析が非常に参考になります。仮説(*)は実効再生産数とは直接の関係がありませんが、少し似た(より原始的な)指標である
・直近1週間の新規感染者数/その前1週間の新規感染者数
という比率とどのような関係にあるかは、私も簡単なノートで分析しています。合わせてご参照頂ければ幸いです。

【注2】仮説(*)はデータによって反証可能な仮説であり、今のところ有力な反証が出ていない、と言い換えることもできます。

【注3】たとえば、「K値」分析によって感染者数の傾向に目星をつけ、その傾向が大きく変わった時には背後にあるパラメータ「k」の変化を疑う。「k」の変化にはミクロ的なメカニズムが関係しているはずなので、対応する疫学モデルやミクロ・データを参照にする。といった形で「K値」と既存の疫学アプローチはどちらも“補完的に”活用できるのでないでしょうか。

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