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ファンタジー小説「W.I.A.」2-2ー①

第2章 第2話
 
 ハーメルンは、恐れていた。
 これから強大で残忍で冷酷で、意にそぐわない場合には驚くほど狭量になる自分の盟主に、こともあろうに、『まったく意にそぐわないであろう』報告を伝えなければならない。
 
 その報は、『西の伯爵』アルノルトの下僕によってもたらされた。『北の黒竜』ニズヘイグが、幼生体での目覚めになった、というのだ。恐らくは『環誕の儀式』での生贄が十分ではなかったのだろう、という。
 
 北の黒竜の儀式を取り仕切ったのは、ドラゴネートのロックだ。ハーメルンが、この一連の『環誕の儀式』の中で、唯一の不安材料に感じていたあのトカゲの化け物が、こちらの再三の忠告を無視し続けた結果が、これだった。
 
 最後に確認をした時は、こちらの懸念に腹を立て、ハーメルンや『西の伯爵』の儀式を取り仕切ったハンナ、『東の魔女』の儀式を取り仕切ったフラウォンに向かって大声で喚き立て、手にした杖を真っ二つにした上で勝手に席を立つ、という、無礼極まりない態度を取っていた。
 
 その挙句が、これだった。こんなことなら、時間は掛かっても代わりの者に任せた方が良かったのだが、残念ながら『北の黒竜』が眠る地底の底は、ドラゴネートくらいしか生存することのできない、劣悪な環境の場所だった。そして、ロック以外のドラゴネートは、ロック以上に頭の回転が遅く、粗暴で、話が通じない。
 
 
 盟主の居室に続く、暗い廊下に、ハーメルンの足音だけがこだまする。普段は感じたことがなかったが、僅かな明かりに揺れる柱の陰や、その先にある禍々しい装飾で飾られた巨大な扉が、恐ろしく不気味に感じられる。
 
 「・・・アズアゼル様・・・失礼します・・・。」
 
 扉の前で首を垂れ、室内に声を掛ける。扉が音もなく開き、黒と赤の布が風に揺れた。ハーメルンはそのままの姿勢で室内へ歩を進める。暗い紫の敷物が、アズアゼルの一段高くなった玉座まで伸びていた。ハーメルンは視線を上げないように気を付けながら、ゆっくりと前へ進み、見当をつけた場所で跪いた。
 
 「『還らせる者』ハーメルンよ、どうしたと言うのだ? いつになく、怯えているようだが?」
 
 「ははっ!・・・お、恐れながら、報告致したいことが・・・。」
 
 ハーメルンの頭の上で、重々しい衣擦れの音が聞こえた。アズアゼルが玉座の上で姿勢を変えたらしい。ハーメルンの物言いで、『意にそぐわない』報がもたらされることに気が付き、立ち上がったのかも知れない。次の言葉までは、たっぷりの間があった。室温は低いにも関わらず、俯いたハーメルンの鼻の先から、汗が一滴落ち、敷物に吸い込まれた。
 
 「・・・その、報告とやらを・・・聞こうか?」
 
 抑揚の全くない声だった。身に起こる怒りに備えるため、ことのほかゆっくりと話している感じがした。
 
 「・・・は、はい・・・。」
 
 ハーメルンは口ごもりながら、一語一語、絞り出すように報告を伝えた。ニズヘイグが幼生体で環誕してしまったこと、必要な『力』を得るまでに時が必要なこと、それにより全体の計画に狂いが生じたことを。アズアゼルは、一切口を挟まず、黙って報告を聞いていた。いや、報告が終わっても、一向に口を開かない。その間が、ハーメルンをさらなる恐怖へと追い落とした。どこからか、律動的な音が聞こえる。それが、自分の奥歯が鳴らしている音だと気が付いた時、ハーメルンはおずおずと視線を上げ、我が盟主と崇める存在を視界に捉え、瞬間的にのけぞって、仰向けに倒れた。
 
 アズアゼルは、怒っていた。憤怒と言っていい。赤い光だけの目が、怒りにユラユラと揺れている。
 
 「・・・ハーメルンよ・・・。ラスファタールを環誕させられるのは、余の他に、東西と北を司る星が必要と言ったのは、お前ではなかったか・・・。その四星が地上に並び立ち、天空の星と重なることによってのみ、環誕なる、と・・・。さらに、こうも言ったな? 天空の星の運行を見るに、それが起こるのは千年に一度、それが本年の夏至だとな。」
 
 「は、は、は・・・はい・・・。」
 
 「然るに、だ! 北を司る星の力が足りんだと! 時が必要だと! そのお前が、お前の口が申すのか! よもや、余にもう千年ここで待て、などと言うつもりではあるまいな!」
 
 「い、い、いえ・・・そ、そのような・・・!」
 
 「では! いかにすると言うのか? 夏至までに、ニズヘイグにいかにして、『力』を持たせる、と言うのか!」
 
 「ち、『力』を得るためには、人の血を宛がう他、ご、ございません!」
 
 「ならば! 人の血を宛がえ! 何千何万だろうと構わん! ニズヘイグに『力』を持たせよ! ニズヘイグの眷属に、ノストールを攻めさせるのだ!」
 
 それでは事が露見する恐れがある、とは、口に出せなかった。それを口にした瞬間、自分は消し炭にされるだろう。いや、それすらも残さず、ただ異界に墜とされるだけかも知れない。
 
 「か、かしこまりました! す、すぐに・・・!」
 
  ハーメルンは、急いでこの部屋を後にしたかった。だが、気が焦るばかりで、体に力が入らない。腰が抜けているようだった。
 その様子を見たアズアゼルが、左手を振った。
 どこからか、鈍い銀色に光る悪魔が現れ、ハーメルンの襟首を掴んで、部屋の外に引きずり出した。半ば廊下に投げ捨てられるように外に出されると、扉が大きな音を立てて閉まった。
 
※           ※
 
 翌日、ノストールの公文書館で、一行はクロエと合流した。初めて顔を合わせたカイルが自己紹介をする。
 
 「あら、いい男! よろしくね、戦士さん!」
 
 昨夜はガルダンに負けず劣らず、酒を体に取り込んだはずのクロエだったが、酒が残っている気配はない。今日は魔術師らしく、緋色のローブを身にまとっていた。豊富な赤毛と相まって、クロエの美しさを一層引き立てていた。
 
 司書とともに、『仙女』に関わると思われる資料を探し出し、大きな樫のテーブルには、そういった資料が山と積まれた。教会の記録、冒険者ギルドの記録が主だったが、当時の新聞や、この話を元にした創作物に至るまで、種々の記録が集まった。
 
 それらの資料から、何かを見つけようと、クロエやエアリア、アルルも加わり、午前中を資料を読み込んで過ごしたが、大まかな場所とサスカッチの特徴ばかりで、肝心の仙女のものと思われる記録がほとんどない。当時の記録に名前の残る人間を探そうか、という案も出たが、記録以上の記憶が残っているとは思えない、というクロエの一言で立ち消えとなっていた。
 
 「これはもう、実際に行ってみるしか、ないんじゃない?」
 
 クロエが悪戯っぽく首を傾げる。
 
 「・・・そうですね・・・。ここまで来たのですから、できることは、全てしようと思います・・・。」
 
 「じゃ、決まりね! これから準備して、出発は明日にしましょう!」
 
 「え・・・? あの、一緒に来ら・・・来ていただけるんですか?」
 
 エアリアは『来られるつもりですか?』と言いそうになって、慌てて言葉を言い直した。いつも落ち着いているエアリアでさえ、クロエと一緒だと調子を乱されるようだった。
 
 「当たり前でしょ! ここまで来て、つまはじきにはしないわよね?」
 
 「いえ・・・そんなつもりでは・・・。」
 
 「良かった! 馬車はギルドに預けるといいわ。それと、氷河を渡る必要があるから、アイゼンとロープは準備しておいてね! なんなら、買い物も付き合うわよ?」
 
 さも当たり前のように捲くし立てるクロエに、全員が圧倒されていた。アルルもカイルも、口をぽかんと開けてクロエの様子を見守ることしかできない。ガルダンは一人でニヤついていた。
 
 結局、クロエに押し切られる形で、一行はクロエと行動を共にすることになった。雑貨屋や道具屋を回り、アイゼンやピッケル、数本のロープ、防寒性能を持たせたテント、それぞれの防寒具。しかし、その中で一番の量になったのは、薪だった。暖を取るにも料理をするにも、燃やす物がなければ始まらない。だが、高地では薪とできるような大きな木は存在せず、岩山に生える苔や、小さな草花のみだ。それらの膨大な荷物を、人が背負っていくわけにはいかない。そのため、クロエはこの地方に住む毛長牛を二頭、借り受けた。ノストールでの輸送手段として一般的な毛長牛は、野生にも存在し、その長い毛で極寒に耐え、傾斜に強い、太くて大きい足を持っていた。さらに首の周りにコブを持ち、そこに栄養を蓄えられるので、粗食でも長期間の活動が可能だった。 
 
 「2頭を10日で5デテイクは、ちょっと高いんじゃない?」
 
 飛び切りの笑顔で交渉を始めたクロエは、結局14日で4デテイクまで値を下げることに成功し、交渉の能力も垣間見せた。冬山の知識も豊富なようで、何度かトルナヤを制覇したこともあると言う。
 
 その日は、クロエも一行と同じ宿に泊まり、地図を広げて目的地とおおよその行程を全員に周知した。
 
 「目的地は、『傷跡』の少し下あたり。記録では、この辺りに湧き水の出る泉があって、この周辺が一番怪しいと思うの。途中の難所は、ここの氷河ね。それ以外は、険しい地形はあっても難所という程でもない。」
 
 クロエは、目的地の泉までは、3、4日だろう、と見積もった。だが、天候や一行の疲労、また標高が上がることによる体調の変化などを見ながら進む必要があるため、最大で7日は見ておく必要があるという。
 
 「7日経過して、ダメなようなら、すぐに引き返す。もちろん、怪我や病気の場合は、即、撤退して体制を立て直す。この地域では、ちょっとしたケガも命取りになるから、気を付けて。それに、途中で食料や燃料の補給は一切できないと考えておいて。」
 
 いつになく厳しい表情で、クロエが一同の顔を見回した。
 
 「幸いにして、いい季節だからそんなにひどいことにはならないと思うけど、私が引き返す、と言ったら、何が何でも引き返す。もちろん、全員で。これに関しては、今約束してもらう。」
 
 一行が了承のうなずきを返した。ここに関しては、異論はない。こうした局地での経験がない一行は、クロエの知識がすべてとなるから、当然と言えば当然のことだった。
 
 話し合いは夜まで続き、ガルダンやアルルが時折質問を挟み、細かいところまで詳細が詰められた。さすがに今夜はクロエもガルダンも酒を控え、翌日に備えてゆっくりと休むことにし、話し合いは終了した。
 
 翌朝、一行は栄養価の高い食事をできるだけ詰め込んで、ノストールを後にした。ここからは、道なき道を進むことになる。先頭はクロエ。マールとエアリア、アルルが続き、ガルダン。殿はカイルが務める。毛長牛はマールとガルダンが引くことになった。
 
 初日は天候にも恵まれ、一行は全行程の3分の1を踏破したが、二日目の昼過ぎに天候が急変し、氷雨の混ざった強風が吹き荒れた。クロエはすぐにキャンプを決断し、結局その日はほとんど前進することができずに終わった。
 3日目、初日同様に晴れ上がり、午後の早いうちに問題の氷河へと到達したが、クロエは日が暮れるまでに渡り切るのは難しい、と判断し、氷河の手前でキャンプを設営することになった。
 4日目、この日は曇天だったが、クロエは渡河を決断し、一行はアイゼンを付け、アンザイレンを行う。少し進んだところで、クロエが1名ずつ、氷の上での転び方と滑落した場合の対処法を教え、全員で訓練した。コンテニュアス(全員をロープで繋いで一斉に進む)で進む場合の、ジッヘル(滑落した場合の確保)の仕方がメインとなった。
 
 「うん。なんとか全員、形にはなったわね。ところで氷河を渡るときに、一番怖いのは、なんだっけ? マール?」
 「あ、えーと、クレバス!」
 「正解! じゃあ、それはなんで? カイル?」
 「小さい裂け目でも、とんでもない深さがあるし、氷壁は突起や凹凸もあるから。それにうっすら雪や氷が乗っていて、見えないことがある!」
 「そうね! 良かった、みんな覚えてた! じゃあ、進むわよ? 隊列は今まで通り。渡り切るまでは、休憩はなし。いいわね?」
 
 一行は力強くうなずき、クロエがそれを確認すると、身を翻し、渡河が始まった。速度はゆっくりだったが、クロエは手にした杖を前方に突き刺し、『見えないクレバス』を探知しながら進んでいるので、仕方のないことだった。氷の上と言うのが、こんなに歩きにくいとは思ってもみなかった。マールはすぐに太ももの内側が痛み始め、普段の歩行では使っていない筋肉が酷使されているのを感じた。
 
 半分を超えた辺りで、クロエが手を挙げ、全員の進行を止めた。手にした杖を左右に振り、慎重に前方の足場を探る。すると、クロエの前方、僅か数十センチ前の氷が崩れ、クレバスが現れた。崩落の連鎖は続き、一行の前に幅2mほど、長さ50m程の巨大なクレバスが姿を現した。
 
 クロエは挙げた手を後ろに振り、列そのものを慎重に後退させる。クレバスの近くでは、当然足元の氷は崩れやすい。ゆっくりと、20m程後退したところで、クロエがようやく振り向いた。
 
 「毛長牛を連れたままあのクレバスは渡れないから、迂回するしかないわね。一旦登って、安全な距離を取ってから渡河を続けるわ。」
 
 そういうと、クロエは氷河を登り始め、クレバスの上端からたっぷりと距離を取ってから、進行方向を90度変えた。
 
 その後は順調に渡河が進み、一行は再び足場のしっかりした地面に立った。
 
 「みんな! お疲れ様! 予定よりだいぶ距離が伸びたから、ここで装備を外しながら大休憩にしましょう!」
 
 クロエは、大きく伸びをしながらそう言うと、ブーツのアイゼンを外し始める。
 
 「ガルダンに毛長牛を引かせたのは正解だったわね。何度か転びそうになってたけど、毛長牛に捕まって、転ばずに済んだものね!」
 「バカを言うな! 氷の上とは言え、山でドワーフが転ぶわけがなかろう! そういうアルルこそ、アヒルのように尻を振って歩いておったぞ!」
 「俺が一番後ろから見ていた限り、二人ともひどいへっぴり腰だったよ!」
 
 いがみ合うエルフとドワーフ、そしてそれを見て笑う人間たち。いずれにしても、渡河の極度の緊張から解かれ、気持ちが解れたようだった。クロエがロープをまとめ、肩に掛ける。その手際の良さに見とれていたマールは、クロエの肩口の向こうに、見慣れない獣の姿を認めた。
 
 「ちょ、ちょっと! あれ、何!」
 
 マールが指差した尾根の中腹に、直立する真っ白な姿が見えた。それはまるで、大きな猿のようにも見えたが、下あごから生えた大きな牙と、異様に長い腕が猿ではないことを告げていた。
 
 「サスカッチよ! 気を付けて!」
 
 クロエが警告の声を上げた。一向に再び緊張が走る。距離はだいぶあるが、記録で見た限りでは、山での移動速度は、完全に向こうに分がありそうだ。カイルとガルダンが、アイゼンを外す速度を速めた。
 
 お互いに大きな動きのないまま、数分が過ぎた。カイルとガルダンも既に迎え撃つ準備を整え、アルルは弓に矢をつがえていた。と、こちらを凝視していたサスカッチが、くるりと踵を返し、尾根を越えて向こう側に消えた。その速度は、一行の想像をはるかに上回っていた。長い前腕を巧みに使い、傾斜をまったくものともせずに、まるで狐が走るような軽快な動きで消えていった。
 
 「むぅ・・・。アレとは、できれば戦いたくないのう・・・。」
 「そうね・・・。あの巨体で、あの動き・・・。恐ろしい相手だわ。」
 
 ガルダンとアルルの意見が一致した。二人とも同時に小さくうなずく。これからは今まで以上に、十分な警戒が必要だ。サスカッチが消えた方向は、まさに一行がこれから目指そうとしている方角だったからだ。



「W.I.A.」
第2章 第2話 ①
了。



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