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短編小説「わたおに 3650 days later」

私は、ここから動くことができない。
身体はもちろん、顔の向きさえ、変えられない。
視線を除いては。

つまりは、「視界」が私の「世界」ということだ。
そんな生活が始まって、もうどれだけの月日が流れたのだろうか?

私が自由に動けるのは、「新月の夜」と「盂蘭盆」の4日間だけだった。
だから、日中に動けるのは、一年のうちに4日しかないということだ。
そして今日は、盂蘭盆の最終日だった。

「こらぁ! イブキ! エナ! ご飯まだ終わってないでしょ!」
「もういらなーい!」
「もういらないー!」

ダイニングからバタバタと足音がして、リビングを二人の子供が通り過ぎ、自分たちの部屋に戻って行くのを微笑ましく見守った。

伊武樹と慧那は、今年4歳になる双子の兄妹だった。
私にとっては、「初孫」ということになる。

「ね、おにいちゃん。私、今から仕事なのよ! 悪いけど午前中だけでいいから二人の面倒見ていて!」
「おぉ? お主、今日は休みと・・・。」
「そうだったんだけど、急な休みが出ちゃったの! お願い!」
「儂も、ばんどうと約束しとったんだがなぁ・・・。」
「じゃあ、ばんどうも呼んでいいよ。あ、狭間には、二人を連れていかないでね?」
「・・・仕方ないのぉ。」
「あー! ありがとう! ばんどうにもよろしく行っておいて! あ、冷凍庫のアイス、食べていいからね!」
「お? 『大きいあいす』も食べていいのか?」
「いいわよ! 今日また買ってくるし。そうだ! ねぇ、今夜のバーベキューにばんどうも呼んだら? みんな来るし?」
「おお、いいのぉ、ばんどうも喜ぶと思うぞ?」
「じゃ、決まりね! あ、二人には、『小さいあいす』1個だけよ?」
「わかっとる。」
「うん。じゃあ行ってくるから、あとお願い!」
「気を付けての。」


スポーツバッグを肩に掛け、急ぎ足でリビングを出て行ったのが、私の娘。
那津だ。


どれほど前のことかは定かではないが、私は自分の娘の手で、かろうじて「人間としての生」を全うすることを得た。

娘には、とても辛い思いをさせたと思うが、周囲の助けもあって、こうして忙しくしながらも充実した毎日を送っているのが、せめてもの心の慰めだ。

おにいちゃん」は、鬼丸と言う。
私の血脈つまりは、「渡辺の血脈」に代々仕えてきた、「刀の精」だった。

私がその主たる資格を失って、娘の手へと託されたあと、あの一件で一時期は姿を消していたが、こうしてまた、ほとんど家族の一員として、ここで娘の「弟」として暮らしている。

あの後も、たくさんの難事件を那津と共に戦い抜き、今は束の間の平穏を味わっている、ということらしい。

元々人間臭い部分の多かった鬼丸だが、最近ではほとんど人間のように振舞うことを覚え、まるで本当の兄妹のように双子と接している。

双子も鬼丸によく懐き、一緒に遊んでいるが、兄の伊武樹はともかく、慧那の方は幼いながらも何かを感じ取っているようだった。

「渡辺」としての血が、慧那の方に色濃く出たのだろう。


私は、「いつもの場所」から出て、娘の後を追うことにした。

那津は、スポーツインストラクターとして働いている。
自身もスポーツクライミングの選手としてオリンピックを目指していたが、今は現役を引退し、指導者としてオリンピック選手を輩出することを目標にしているようだった。

この部分でも、私は娘に負い目を感じている。
「渡辺」の者でなければ、或いは本当にオリンピックに出て、メダルを獲得する可能性も低くはなかった、と思うのだ。
親バカなのかも知れないが。


「なっちゃん! 休みなのにごめん! ありがとー!」
「大丈夫ですよ! それよりお子さん、大丈夫なんですか?」
「うん、今、旦那が見てる! 病院は私じゃないとダメだから、午前だけお願いね!」
「OKです! 気を付けて!」

那津はそう言って勤務予定だった女性と代わり、夏休みで賑わうスポーツ施設の屋内プールで、監視員の役目についた。

私は迷わず水に飛び込んで、水中からあらゆるタイプの「怨霊」を駆逐した。これでしばらくは、このプールで水の事故が起こることはない。そればかりか、「私の気配」を感じた怨霊が、この付近から逃げ出していくのを観得していた。

私はこうやって、私の家族を守って来たのだ。
那津に流れる「渡辺」の血が、鬼を呼び寄せ、そして鬼の「鬼気」に反応した「怨霊」が那津や、那津の家族に害を及ぼすことのないように。



結局のところ、交代した女性が戻って来たのは、午後2時を大きく過ぎてからだった。

「子供が病気で病院に連れて行く」

などと言っていたが、本当は浮気相手との逢瀬を楽しむ時間を作るためだと、私は知っていた。

この女は、「餓鬼」に魅入られていた。
ホストだという相手の男には、「餓鬼」が何体も憑りついていた。

憑りついた餓鬼は私が祓っておいたが、長く餓鬼に憑りつかれていた人間は「餓鬼としての欲」が当たり前となり、やがて餓鬼に落ちることになる。
肉体を持った餓鬼を相手にすることはできないから、これ以上、私にできることはない。

人間界への影響が大きくなれば、那津か那津の夫が、或いは、いつものように二人で、対処することになるだろう。

那津の夫、そして伊武樹と慧那の父でもある清明君は、現代に蘇った安倍晴明だ。元々はあの首飾りで力を得たのがきっかけだが、独自の研究と研鑽を重ね、恐らく日本でも、いや、世界でも屈指の術者になっていた。

もっとも、表向きは新進気鋭のフリーの考古学者として、世界中の大学や機関から引っ張りだこにされているのが現状で、その多忙さから、「世界一忙しい博士」と揶揄されていた。

そして、那津や子供たちの気分が今朝から明るいのは、久しぶりに清明君が帰宅することになっていたからだった。



那津の運転する車の助手席から、狂った調子でハミングする那津の横顔を眺めながら帰路に着く。

音楽の才能が皆無なのは、両親である私たちにそっくりだ。
こんなところが似なくてもいいのだが、似てもらって嬉しい部分も、多くあった。その一つが、ここから眺める那津の横顔だ。
それは私の妻、八重にそっくりだった。

八重も、所属の大学で念願の教授となり、忙しくしている。
加齢から来る衰えは否めないが、それでも十分に、美しかった。

彼女への思いは、簡単には語り尽くせない。
すべての感情が愛に帰結することに違いないのだが、それを簡単に言葉にはしたくないのだ。



「おかえりー」
「おかえりー」

元気な二人の子供に抱き着かれ、那津が嬉しそうに笑うのを見ると、肉体などないのだが、涙が出るほどに、こちらも嬉しくなる。

「おじゃまじでます」
「遅かったのぅ、待ちくたびれたぞ」

そう言ってリビングから、「ばんどう」という半鬼と鬼丸が顔を覗かせた。
「ばんどう」は、清明君の力で鬼の力を抑えつけてあり、見た目には立派な体格の中年男性のように見えた。純な心を未だに持っていて、子供たちと遊ぶのがとても上手い。

とは言え、人間社会で生きていくのは難しいから、普段は「狭間」と呼ばれる世界で暮らしている。

「ごめんごめん! ちょーっと、予定が狂っちゃった! さ、急いで準備しよう! おにいちゃん、ばんどうさん、お手伝いよろしくね!」
「うむ、とりあえず、庭に『ばーべきゅー』の準備は、みんなでしておいたぞ?」
「ほんとにー! わー、ありがとう!」

まとわりつく二人の子供を、那津らしくうまくいなしながら庭に回ると、すでにタープが張られ、バーべーキューグリルが2台、セットされていた。プラスチック製のガーデンテーブルと椅子の準備も、万全のようだった。

「わぁ! すごい! おにいちゃん、ありがとう!」
「ボクも手伝った!」
「ワタシも!」
「そうなの? イブキもエナも、偉いねぇ! よしっ、じゃあ、今度はママががんばるから、おにいちゃんたちとお庭で遊んでて!」
「わかったー!」

那津がキッチンに戻るのを見届けて、庭の石に腰掛けた。
この石は、磁鉄鉱の成分が多く混ざっているらしく、居心地がいいのでお気に入りなのだ。

いわゆる「アストラル体」になって初めて、「幽霊と磁場」の関係性について理解を深めることになるとは、なんとも皮肉な思いだった。


紙飛行機で遊ぶ四人を眺めているとき、遠くの方から車の爆音が響いてきた。

「あ! パパかな!」
「違うよ! あれはたぶん、ヒロくんだよ!」

子供たちが素早く反応し、下の道路が見えるフェンス際に移動した。
丘に続く道路を、真っ白なスポーツカーが駆け登って来る。

「ほら! やっぱりヒロくんの『ぽるしぇ』だよ!」
「おお、伊武樹の言う通り、あれは博正のようじゃの」

今日は、博正君もスケジュールを合わせていたらしい。彼も世界で活躍する音楽家で、一年のほとんどを海外で過ごしている。その声望はいよいよ高まり、テレビでも見かけることが多くなった、と那津と八重が話しているのを聞いた。

車が駐車スペースに止まると、サングラスを外しながら、博正君が降りてきた。声を限りに名前を呼ぶ子供たちに、大きく手を振って、笑顔で答えていた。


「じゃーん! ヒロくんだよー!」
「知ってるー! 見てたもーん!」
「えー、そうなんだー、ママ、気が付かなかった! ね、博正、着いた早々で申し訳ないんだけどさ、炭、熾せる?」
「え、えぇ!? まだ挨拶もロクにしてないのに? ・・・相変わらずだねぇ、人使いの荒さはさ・・・。」

そう言いながら、いかにも軽そうな白のジャケットを脱いで、目の覚めるようなブルーのシャツの腕を捲る。その肩を、鬼丸とばんどうが慰めるように叩いた。

「・・・儂らも手伝うぞ。思えば、博正も、報われんのぉ・・・」
「ちょっとちょっと! そういうの、いいから! ほら、やるよ!」


三人が四苦八苦しながら、グリルに十分と思える炭が出来た頃、薄闇にライトを点けた車が道路を登って来た。

「あ! おばあちゃんの車だ!」
「ほんとだ! もう一個、来るよ? おっきいの!」

確かに、あれは八重の車だ。
そして、もう一台。
懐かしい、恩人たちの車だ。

「ただいまー!」
「おかえりー!」
「おかえりなさーい!」

八重の、迸るような笑顔。
毎日見ていても、一向に飽きるということがない。

「こんばんはー!」
「こんばんは、お? 博正君、久しぶりじゃん! 相変わらず、スカしてるねぇ!」
「うわぁ、湯浅さん、上椙さん! お久しぶりです! お二人こそ、相変わらず美しい! ギリシアの彫刻でも、お二人には敵わないでしょうね!」
「また始まった・・・。 博正君さぁ、そういうのイタリアだけのことにしなよ。」
「・・・まったく。日本じゃせいぜいキモイ扱いがいいとこだよ?」
「ぐっ・・・。そして相変わらず、お二人揃って手厳しい・・・。」

三人でハグをしながら、笑い合っていた。
私も自然と、笑みがこぼれる。

その昔、この二人には並々ならぬ恩義を受けた。
那津達に戦うための術を残せたのは、すべてこの二人のおかげだ。

「はいはーい! パパはまだだけど、火も熾せたみたいだし、始めよっか!湯浅さん、上椙さん、今日は参加してくれてありがとうございます。」
「こちらこそ! お招きいただいてどうもありがとう!」
「ほんとに。あれから、もう10年になるなんて信じられないよね?」

那津と、「二人の泥棒」が、手を取り合って再開を喜んでいる図は、父親としては少し複雑な思いもしないではないのだが、この二人は、那津にとっても、まさに「恩人」だ。親子二代でお世話になった、ということだ。

さらに二人は、八重の教え子でもあるのだから、「渡辺家」とは、切っても切れない関係にあるのだ。

こういうことが起こるから、世の中は不思議だ。
恐らく、どれだけ研究を続けても、永遠に解決することのない「誰かの気まぐれ」というやつなのだろう。


「おー! 盛り上がってるねぇ! いい感じじゃん! ただいまー!」
「パパー!」
「おかえりー!」

そこに、清明君が帰って来ていて、庭に姿を現した。
彼の乗っている電気自動車は、音がしない。全員が懐かしい話に夢中になっていて、気が付かなかったのだ。

「お帰り! どうだった? 中国は?」
「うん、ちょっと面白いもの見つけたよ。それより、腹が減った。みんなにも聞いてもらいたいから、食べながら話すよ。」

那津と見つめ合うその視線に、お互いが万感の思いを込めているのが、遠目にもわかった。

そこからは、しばし飲んだり食べたりの大騒ぎになった。
至る所で笑い声が起こり、那津や八重が忙しそうに立ち働いていた。

そして・・・。

遠くの夜空に、花火が打ち上った。
色とりどりの大輪の花が繰り返し夜空に咲いては、大音響と光の余韻を残して散っていく。

「たーまやーーー!」
「たーやまーーー!」

那津の声を真似して、真似しきれていない。
不思議そうな顔をする慧那を囲んで、全員が笑いながら、その姿を愛おしいと思ってくれている。

伊武樹の方は、花火に夢中のようだった。
キラキラとした目で、次に上がる花火を心待ちにしながら夜空を見つめている。

その姿を見ながら、清明君が那津の肩を抱くようにして引き寄せた。
那津も甘えるようにして、その肩に頭をもたせかけた。

これで、いいのだ。



先ほどの会話で気が付いたが、今日は、「約束の日」だったらしい。
あれから、3650日が経っていた。

無理を言って見逃してもらっていた私の時間は、終わりを告げた。
これだけの「家族」に支えられているなら、那津はもう大丈夫だ。
那津が大丈夫なら、八重も大丈夫、ということに他ならない。


それにしても、今日と言う日に、私に深く関わった全員を集めてくれるとは、「誰か」も粋な真似をしてくれたものだ。

気が付くと、私の身体がゆっくりと浮かび上がっていた。
このまま、天にも昇る心地で「あの世」とやらに行くのだろうか・・・。







「あ! 『ほてる』だ!」
「違うよ! 『ほたる』だよっ!」


花火を見るために灯りを消した庭を、一匹だけの蛍が、ふわふわと舞い、全員の周りを回るようにして、空へと消えていった。


八重は、一瞬だけだったが懐かしいブルガリ・ブラックのスモーキーなムスクの香りを、その鼻に感じたような気がした。



「わたおに 3650 days later」
了。


※ このお話は、「わたなべなつのおにたいじ」「オツトメしましょ!」の後日譚です。

 


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