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小説「わたなべなつのおにたいじ」⑰

 「お帰り!どうだった?」

 清明が戻るとすぐ、私は飛びつかんばかりに出迎えた。ただ待っているということが、こんなにつらいとは思ってもみなかった。
 ほんの小一時間が無限の長さに感じた。

 「落ち着いて聞いてくれ。失踪者の中に、三浦先生と江藤が入ってた・・・。」

 「えっ!」

 私と博正が同時に声を上げた。担任の三浦先生が鬼界に連れ去られた。もう一人は、あのリア充系女子のボス格、江藤紗里だった。最近はあまり仲良くはなかったが、去年も同じクラスで、入学したての頃は、何度かグループで遊びに行ったこともある。

 「場所は、生徒会室だった。鑑識はそこにしか入ってなかったから、おそらく全員がそこで失踪したんだと思う・・・今のところは。」

 「今のところ?」

 怪訝な表情を浮かべて、博正が尋ねた。

 「ああ。湯浅さんと上椙さんで、継続的に情報を得てもらえることになったんだ。詳しくは後だ。まずは、今ある情報で救出作戦を立てよう。」

 清明はノートパソコンを開き、先ほどの図面を呼び出した。

 「ここの丸が、生徒会室と繋がった可能性の高い地域だ。この範囲内のどこかに、連れ去られた人たちがいる可能性が高い。俺たちは、生徒会室の隣、物品倉庫から鬼界に入ろうと思う。」

 「そこまでは、狭間を使うの?」

 「そうだ。また上椙さんの車を使わせてもらうつもりだ。これは、助け出した時のことも考えてそうしてる。今度は監視の目がかなり厳しいから、この前みたいには行かない。」

 確かに、渡り廊下と違い、警察官や監視カメラの存在する教室棟に、いきなり鬼界から戻るわけにはいかない。事情を知る人間は、少なければ少ないほどいい。

 「上椙さんには、ここ、教室棟に一番近い道路に停車してて欲しいんだけど・・・。」

 湯浅さんと上椙さんが会話に加わった。画面をのぞき込み、了承のうなずきをする。

 「それはいいんだけど、敵の戦力は?」

 そう言ったのは湯浅さんだ。雰囲気がいつもと違う。

 「・・・正直、今はわかりません・・・。なので、俺たちは目的の場所から近くて、安全な位置で鬼界に入るつもりです。そこから、まずは偵察をして・・・。」

 その後は、清明と湯浅さんが二人で話を始めた。時折上椙さんがアドバイスをしながら、作戦計画が出来上がっていく。私と博正に加え、母までが驚いた様子でその光景を見つめていた。そんな時間が20分ほど続くと、3人が一斉に顔を上げた。どうやら話が終わったようだ。

  「よし、じゃあ説明するぞ?まず、俺たちはさっき言った地点で鬼界に入る。そこで、『紅尾』を偵察に飛ばして、失踪者を探す。同時に敵の戦力もわかるはずだ。失踪者が集まってるとは限らないから、人数の多さで優先順位を決める。こちらの戦力を分けることはしない。数が同じ場合は緊急度だ。この判断は、俺がする。俺たちは偵察情報が集まるまで、ここに留まり、準備をする。」

 そこで話を切り、私と博正の顔を見た。それぞれがうなずくと、清明は話を続けた。

 「まず、博正。『元亀車』の御者席に座ってくれ。護衛に『奥入瀬』を付ける。『鬼祓』でできるだけ多くの鬼の動きを封じて欲しい。」

 「分かった。任せてよ。」

 「次に、那津。もしも、現場に朱点がいたら、『アダタラ』が近くまで穴を掘るから、その穴を通って朱点を倒すことだけを考えて行動してくれ。アダタラがそのまま那津のフォローに入る。もしも朱点がいないようなら、他の式神と一緒に元亀車の中だ。紅尾が元亀車ごと失踪者の近くに運ぶから、着いたらすぐに失踪者を元亀車の中に避難させてくれ。」

 「OK」

 「俺は『あおすけ』に乗って、上空から状況を見ながら、援護と指示を出す。いいな?」

 私と博正はうなずいた。清明の表情は、いつにも増して真剣だった。

 「それから、これは絶対に間違えないで欲しい。あおすけの咆哮が聞こえたら、何が何でも撤退だ。どんな状況でも、戻れるなら元亀車に戻れ。無理なら、鬼界に入った地点を目指してくれ。わかったな?」

 私と博正が、再びうなずく。

 「念押しするようで悪いが、これは絶対に守ってくれ。万が一、俺たちが倒れたら、朱点や鬼界の脅威から人界を守ることができなくなる。最優先は、俺たちの無事だ。たとえ目の前で、知り合いが今、鬼に殺されようとしていても、咆哮が聞こえたら即、撤退だぞ?」

 ひどいようだが、清明の話はもっともだった。頭では理解できるが、実際に目の前でそんな事態になった時、その判断が自分に下せるだろうか。じっと見つめてくる清明に、「わかった」とは伝えたものの、正直、自信がない。

 「よし。それから、おばさんにもお願いしたいことが。」

 「え?私?」

 少し離れた場所で、不安そうに話に耳を傾けていた母が、パッと顔を輝かせる。湯浅さんや上椙さんが私たちの手伝いをしてくれているのに、自分が何もできないでいることに後ろめたい気持ちがあったのだと思う。

 「はい。できる限りの医薬品を集めて、上椙さんのバンのところで待機していて欲しいんです。包帯とか、ガーゼとか、そんなような物を。」

 「わ、わかったわ。と言っても、ドラッグストアで手に入るような物しか、無理よ?」

 「それで大丈夫です。上椙さんのバンに、緊急医療バッグがあるんです。どちらにしても本格的な治療はできませんから、助けた人が大怪我してるようならすぐに救急車を呼んで下さい。湯浅さんや上椙さんは現場の対応をお願いしてますので、そういうやり取りをしていただきたいんです。」

 「なるほど・・・。大丈夫。任せてちょうだい。」

 「僕たちは、一時間後を目安に鬼界に入ります。場所は、この辺り。」

 清明が母におおよその場所を伝える。上椙さんのバンは目立つから、見間違うことはないと思う、と合わせて話していた。母は大きくうなずくと、バッグを肩に掛け、私をギュっと抱き締めた。

 「私は先に出るから。那津、いい?清明君の言う通りにして、絶対に無茶をしちゃ、ダメよ。わかったわね?」

 「うん・・・お母さんも、気を付けてね・・・。」

 「ええ。那津こそ、気を付けてね。」

 母は私をじっと見つめてからそう言うと、清明や博正に向き直った。

 「あなたたちもよ?絶対に、無茶はしないこと。それから、湯浅さん、上椙さん。こんなことにまで巻き込んでしまって、ごめんなさい。那津たちのこと、よろしくお願いします。」

 深々と頭を下げた。湯浅さんも上椙さんも慌てたように母を起こして、頼もしく請け負ってくれた。そのまま、母は博正のマンションを出て行った。

 その後、湯浅さんや上椙さんを合わせて、細かい擦り合わせをした後、それぞれの準備を始める。清明は身を清めて、瞑想に入る。博正は着替えをしてから鬼祓の手入れを始めた。私も上下ぴったりとしたコンプレッションウェアを着込み、その上からTシャツとショートパンツを重ねた。入念にストレッチをして、これからの身体の動きに備える。30分ほどで全員の準備が整い、いよいよ出発することになった。私はスーツケースから紫の鉢金を取り出して、頭に巻く。

 「あれ、那津、それ初めて巻くよね?」

 博正がスニーカーの紐をきつく結びながら興味深げに聞いてくる。

 「うん。今日使わないと、ずっと使わなそうだったから。なんか、いつも忘れちゃうのよね。」

 着けてみると、思ったよりもずっしりと重い。自然とあごを引いたような感じになる。何度か首を振ってみたが、思ったより着け心地は悪くなかった。

 「どう?鬼丸?」

 「うむ、凛々しいのぅ。」

 鬼丸はいつも通り、特に緊張しているようにも見えない。今までもいくつも修羅場を潜り抜けてきているのだろうから、慣れているのかも知れないが。


 湯浅さんの運転で学校に向かう。上椙さんの車は、中がすごく広かった。映画でしか見たことのないような機械がたくさん積まれている。荷室の後ろの方に四人で座っていたが、車内では誰も口を開かず、重苦しい空気が漂っていた。

 10分もしないうちに、予定の場所に到着した。

 「着いたわよ。ここで大丈夫?」

 湯浅さんが運転席から声を掛けてきた。後ろからは外が見えないので、清明が運転席の方に移動して場所を確認した。

 「ここで、大丈夫です。しばらくここで待っていて下さい。」

 「了解。気を付けて行ってくるのよ。」

 いよいよだ。私は鬼丸に無言でうなずいて見せると、鬼丸もうなずき返して刀に変わった。下げ緒をほどいて、背中に背負うようにして体に結び付ける。

 それが終わるのを待っていた清明が、印を結び、狭間へ入り口を開いた。ここから目的の物品倉庫までは狭間を通って進んで行く。当たり前と言えば当たり前だが、物品倉庫に人はいなかった。廊下や隣の生徒会室からは、警察官の話声や物音が聞こえてきている。

 無言のまま、再び清明が印を結び小声で何事かをつぶやくと、鬼界の入り口が生徒会室とは逆側の壁に現れた。

 

鬼界に出ると、そこはちょうど壁の一部だけが残された廃墟で、地面にも建物の残骸と思われる石のブロックや木片が散乱していた。姿を隠すにはもってこいの場所だった。既にいつもより大きな太鼓の音と、それに混じって歌声のように聞こえなくもない、地鳴りのような音が聞こえて来ていた。音の発生源はそれほど遠くない。博正が露骨に嫌な顔をしている。


清明はすぐに紅尾を顕現させ、偵察に向かわせると、リュックからお盆とペットボトルの水を出し、お盆を水で満たした。水面が落ち着くのを待って呪文を唱えると、水面に何かが浮かび上がって来た。すぐにそれが紅尾の見ている風景だと気が付く。

私たちの待機している場所から100m程先に、大小さまざまの鬼が集まって騒いでいるのが見えた。総数は、ざっと300体くらいだろうか。大きな輪を描くようにして、思い思いに踊ったり笑い転げたりしているのが見える。そして、その輪の中心に、人間がいた。

大江田さまを中心にして、6人の女性がひと固まりになっている。三浦先生と江藤さんの姿も見える。全員が何かしらのケガはしているようだが、ひどいケガではなさそうだ。原因は、時折近付いては引掻いたり蹴飛ばしたりと、悪ふざけをしている鬼がいるからだ。その鬼が残忍ないたずらを仕掛け、失踪者の悲鳴が上がるたびに、周囲からどっと笑い声が巻き起こる。

 「くそっ!いたぶって遊んでるんだ!」

 博正が呟いた。私も身内から怒りが沸々と湧き上がってくるのを感じた。三浦先生のケガが、一番ひどいようだった。すでに着ているシャツは切り裂かれ、血に塗れている。それでも、鬼が近付いてくるたびに、生徒を庇うようにして鬼に立ちはだかっている。

 「那津、鬼丸を。」

 一見冷静に見える清明も、何かを押し殺すよう、言葉少なにそう言った。

 私は鬼丸を人に戻し、水面に映る光景を見せる。

 「この中に、朱点はいる?」

 鬼丸は前かがみになって水面を覗いていたが、やがて首を横に振った。

 「いや、この中にはおらんようだ。朱点はその名の通り、顔に朱色の点がある。普段は額の中央に一か所だが、興奮してくると顔中が朱点だらけになるんじゃ。それに、もしもこの中に朱点がおったら、他の鬼どもがここまで馬鹿騒ぎはせん。」

 「よし、じゃあプランBだな。急ごう。他の鬼たちが続々と集まって来ているみたいだ。」

 清明が言った通り、周囲から、今はポツポツとではあるが、他の鬼が集団に近付いてきているのが見える。私は鬼丸を刀に戻し、再び背に負った。博正は鬼祓を取り出し、清明は首飾りの式神を次々と顕現させた。

 元亀車の御者席には博正と奥入瀬が座り、私とゼルマ、米呂院が元亀車の中に乗り込むと、紅尾は元亀車を持ち上げた。清明はあおすけに跨り、空を駆ける。アダダラは地中を進むことになる。

 『よし、いよいよだ。行くぞ。』

 頭の中に清明の声がこだまする。『聞こえる』のではなく、『伝わる』のだ。同じように私たちの言葉も清明に伝わる。清明による『風哭きの術』の効果だ。

 空に舞い上がると、100mの距離などはないのと同じだった。ほんの数秒で鬼の集団の上空にたどり着く。既に博正が鬼祓で曲を奏で始めていた。冴え渡る笛の音には、少なからず怒りが込められているように感じる。

 鬼たちが、一斉に上を見上げる。ぽかんと口を開けているもの、こちらを指差して警戒の声を上げている者、手にした武器を振り上げて、威嚇するような者もいる。だが、元亀車が高度を下げ、博正の笛の音が届くようになると、それらの鬼は弾かれたように飛び上がり、耳を押さえてうずくまったり、苦悶の叫びを上げたりして、その動きを止めた。しかし、体の大きい鬼や、身なりの比較的いい鬼は、確かに嫌がってはいるようだが、苦しんだりはしていない。鬼祓の効果は鬼の格によって変わると言う。博正はまず、圧倒的に数の多い、『格の低い』鬼をターゲットにした曲を奏でているようだった。

 元亀車の高度が10mくらいまで下がると、米呂院とゼルマが左右に飛び降りた。砂煙を上げて着地すると、それぞれ鬼の輪に向かって突進を開始する。清明はさらに上空から、紅尾に着地地点についての指示を与えていた。その指示に従い、位置を調整し、失踪者のほぼ真上でさらに高度を下げ始めた。このくらいの高さなら、いけそうだ。

 私も元亀車から飛び降りた。抜き払った鬼丸で、一番最初にあの残忍な悪戯を繰り返していた鬼に切りつけた。鬼は何が何だかわからないような表情のまま、黒い霧に包まれて消えていく。すぐに周囲を見回し、元亀車の着地の邪魔になりそうな鬼を探したが、他の鬼は米呂院とゼルマの奇襲に完全に桟を乱していて、人間のことなど忘れているようだ。

 「三浦先生!」

 私はそう叫ぶと、失踪者の集団に近付いた。恐怖と疲労で、全員ぐったりしていたが、突然現れた私を信じられない、というような目で見ていた。

 「わ、渡辺・・・さん・・・⁉」

 三浦先生が左肩を押えて、ゆっくりと立ち上がる。

 「先生!みんなを、あの車の中に!」

 その声に、他の生徒も反応して立ち上がった。ちょうどよく、元亀車が音もなく着地する。博正は笛を口から離すと、手振りを交えて大声で叫んだ。

 「こっちだ!早く!」

 言い終わるや、また笛を吹き始める。隣の奥入瀬が御者席で立ちあがると、その袖を大きく翻した。袖は薄く、大きく広がり、元亀車とみんなを囲む水のカーテンになった。

 みんなが口々に何かを叫びながら、元亀車に向かってくる。江藤さんの姿も見える。脚にも怪我を負っている様子の三浦先生に肩を貸していた。大江田さまは一旦こちらに来かけたが、三浦先生の様子を見ると、江藤さんとは逆側の肩を貸して、半ば二人で三浦先生を引きずるようにしてこちらに向かってきた。

 『那津!みんなの後ろから、大型の鬼が3体!』

 清明から連絡が入る。私は『了解!』と返事をして、みんなの後ろに向かって走り出した。すぐに大型の鬼のシルエットを認めて、先頭を走って来る緑っぽい鬼に狙いを定めて飛んだ。奥入瀬の水のカーテンを突き抜けて飛び込むと、鬼の肩口に鬼丸の切っ先を突き入れる。鬼はいつもの驚いた表情をして、黒い霧に包まれた。その時、天空から炎の矢が何条も降って来て、残りの鬼に刺さる。走りながら振り返ると、上空の清明が何かの術を使ったようだ。

 私は体に火がついて慌てている鬼の脇をすり抜けざま、鬼丸で首筋を切り裂く。その勢いを活かして左に飛ぶと、もう一体の鬼の脇腹を切り割った。

 目の前に、まだ距離はあるが、多数の鬼がいた。まるで鬼の壁が行く手を遮っているようだった。右を見ると、ゼルマがそれこそ鬼神の働きを見せ、目の前の鬼を次々に手にした武器で攻撃していく。斬り、刺し、叩き、薙ぎ払う。6本の腕が縦横無尽に動き回り、鬼を倒していく。ゼルマの背後には倒された鬼の屍が転がり、動いている鬼は見当たらない。

 左を見ると米呂院が加えた鬼を放り投げ、鬼の壁に叩きつけているのが見えた。噛みついては投げ、踏みつけては蹴り上げ、博正の鬼祓の効果で動きの鈍くなっている鬼は、為す術もなく次々と倒されていく。

 後ろを振り返ると、元亀車の後方で三浦先生を元亀車に乗せようとしているところだった。乗降段の下で、左右から大江田さまと江藤さんが先生を支え、上では二人の女子生徒が二人から先生を引き取ろうと腕を伸ばしていた。外に他の二名が見当たらないところをみると、無事に乗り込めたのだろう。

 このままなら、数分も掛からずに全員が元亀車に乗り込めるだろう。前方の鬼は気になるが、今はまず、救出が最優先だ。私は前方の鬼の壁に向かうのを止め、元亀車の方向に引き返した。

 ドーンという音と共に、私が向かうのを諦めた前方の鬼の壁が、地面から崩れ去った。地中を進んでいたアダタラが、今、着いたのだ。アダタラは口から黄色いネバネバした液体を吐き出し、地面ごと鬼を溶かすと、そのまま体を投げ出すようにして鬼の壁を自分の身体で押しつぶす。いや、そのまま這いずるように前進を始めたから、『すりつぶす』と言った方が正しいだろう。これで、後方の憂いも取り除かれた。

 『いいぞ!全員、引き上げ準備だ!』

 清明からの指令で、ゼルマ、米呂院が攻撃の手を止め、警戒しつつもジリジリと元亀車の方に後退してくる。アダタラも再度地中に戻ろうと、その長い体を巻いた。私も戻る速度を上げた。元亀車まではあと20m。三浦先生も無事に元亀車に乗り込めたようだ。大江田さまが江藤さんの腕を取り、先に乗るように促している様子が見えた。

 その場にいた全員が、半ば勝利を確信した。


「わたなべなつのおにたいじ」⑰
了。


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