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短編小説「らむねの教え」 #炭酸が好き

私の実家は、地元でも有名な「八幡さま」の境内から程近くに位置している。

小正月の祭礼である、「どんと祭」が特に有名で、実家はあまりに近いため、焚き上げた煙と共に舞い上がる煤や灰が、壁にいくつもの「黒い跡」を残すほどだし、祭礼を知らせる花火の玉皮が庭に落ちている、などということも、何度もあったのを覚えている。


本来の参道から本殿に赴く場合、約200段の石段をのぼる必要があるのだが、家の裏庭を通れば、参道の途中、ほぼ本殿の真横に出ることができたため、幼い私は祖母に伴われ、境内を散歩するのが夕方の日課になっていた。


その散歩の帰り道、参道にある茶店でのひとときを、私は楽しみにしていた。


休日ともなれば参拝客で賑わい、茶や団子のほか、そばなどの軽食も提供する茶店なのだが、平日は昼過ぎまでの営業で、私が散歩に行く頃には、茶店には人の姿がなく、表の引き戸も閉められている。

だが、鍵は掛けられていない。
引き戸を引けば、無人の茶店の店内に入れるのだ。

そして、その土間の部分に、飲食店の片隅によくあるような、ガラス張りの冷蔵庫が置いてある。

冷蔵庫の中には、ガラス瓶の「らむね」が、いつも十本ほど並べられていた。馴染みの客のために、店主が準備してくれているのだ。

冷蔵庫の脇に、手製の料金箱が付けられていて、そこに料金を入れて「らむね」を取り出す。

私たちは、いつも冷蔵庫から1本の「らむね」を取り出して、二人で飲むのが、散歩帰りの楽しみになっていたのだ。


「はい、こごさお金入れて。それから、らむね取るんだよ」


祖母から渡された100円玉を料金箱に入れて、冷蔵庫から「らむね」を取り出す。

水色のガラス瓶は、子供の手には少し重く感じるが、水滴のついた瓶がとても美しく、すぐに口の中に広がる甘い爽やかさを連想させてくれる。

初めて飲んだ時は、「痛くて苦い」という印象しかなかったのだが、飲み慣れてくると他の飲食物にはない刺激に、私は子供ながらにハマっていたようだ。

とは言え、すぐには飲めない。
まずは、口を塞いでいる「ビー玉」を落とさなくてはならない。

ガラス瓶を手に店外へ出ると、備え付けの木製のテーブルがある。
ベンチまで一体になっているタイプで、座るのに少しコツがいるのだ。

よじ登るようにして席に着き、祖母が「特製の器具」でビー玉を落としてくれるのを待つ。


「いいが、いぐぞ?」


器具を片手に、祖母が私にそう告げる。
ビー玉が落ちたら最後、「らむね」は勢いよく泡となって、飲み口から溢れてくる。

無駄にしないためには、「ビー玉を落としたらすぐに口を付ける」必要がある。ここで失敗すると、実に「らむね」の半分ほどが無駄になることを、私は経験で知っていた。

祖母の前で身構える私を、まるで試すかのように、祖母がにやにやとしながら何度も手を打ち下ろす仕草をしては、止めるのを繰り返す。


思えば、とても茶目っ気のある祖母だった。


ようやく私が焦れ始めたころ、祖母が「どん」と手のひらを打ち下ろし、軽やかな音と共に、ビー玉が瓶の「くびれ」に落ちる。その瞬間、液体は泡となって急激に膨張し、飲み口からあふれ出てくるのだ。


「ほれ急げ!」


祖母から手渡された瓶を急いで口に着けるが、そのころには瓶の周りは溢れた「らむね」だらけなのだ。これだけは、自分で開けられる年齢になっても、うまくいったことがなかった。


私が満足そうに「らむね」を飲んでいるのを見ながら、祖母は懐からキセルを取り出し、優雅な所作で吸いつける。

すぼめた口元から、細く、長い煙を吐き出すのが、とても印象的だった。


祖母のキセルが終わる頃、私は炭酸でお腹が膨れてしまい、少し残った「らむね」を祖母に差し出す。

祖母が、小粋に小指を立てて、さもおいしそうに、「らむね」を喉に流し込む。


飲み終わった「らむね」の瓶は、私のベタベタの手と一緒に、八幡さまの手水できれいに洗う。

それから、茶店の中の木製の空き瓶入れに、「奥から」並べる。

そして、「らむね」のこぼれたテーブルを、備え付けの台拭きで拭いて、帰路につく。



これがいつものルーティンなのだが、たったこれだけの、時間にして10分少々の間に、私は多くのことを学んだ。


「物事には、きちんとした対価を払うこと」
誰も見ていなくても、「おてんと様と、自分が見てる」と祖母は言っていた。

自分。

これが大切だ。自分の良心が痛む行いは、「負い目」となってはるか先まで残る、心のトゲとなる。


「常に、次の人のことを考えること」
瓶を洗うのも、テーブルを拭くのも、「次に使う人」が不快な思いをしないため。

木箱に空き瓶を残す時も、手前から入れてしまったら、次に空き瓶を返す人が不便な思いをする。

「いるかどうかすらわからない」人にまで思いを馳せて、その人を気遣い、自分のできることをしておく。

みんながそうすれば、世の中から不快や不便な思いをする人は、かなり少なくなるはずだ。


「何気ない仕草の美しさ」
キセルでタバコを吸う時や、らむねを飲む時の所作、歩き姿と立ち姿。
祖母の、そうした何気ない仕草が、今でも脳裏に「美しかったもの」として焼き付いている。

「なぜなんだろう?」

と、真剣に考えたことがある。
得た答えは、「無駄のない動き」だった。

決して、速く動くわけではない。むしろ、緩慢とさえ見えるその動きに、一切の無駄がないのだ。

私は長らく、このことについて「うまく表現ができないか」と考えていた。
答えは、一見すると何の関係もない、冒険小説の中で見つけた。

「ゆっくりはスムーズ、スムーズは速い」

これほど的確に祖母の動きを現した言葉を、私はまだ知らない。

私も美しかった祖母のような所作を、身に着けたいと心から思う。



そして、最後に。

「炭酸のおいしさ」
残念ながら今では、私が祖母と楽しんだような「らむね」にお目にかかることは、少なくなった。

容器がガラスからプラスティックに変わり、便利にはなったが、私にはなんだか味気ないような感じがして、時代が進んだことの弊害の一つとして捉えている。

だが、その「おいしさ」は変わらない。

口の中に広がる爽やかな甘味と、のどごしに残るわずかな苦味。
オレンジやグレープ、エナジードリンク系の炭酸飲料など、フレーバーもかなりバラエティに富んでいる。

新しい物が好きな私は、新製品が出るとひととおり試してはいるが、やはり必ず「いつもの味」を求めている自分に気が付く。

私にとっての炭酸飲料は、時間が経っても初めて飲んだ、あの味なのだ。


祖母と楽しんだ、あの「らむね」の味だ。




今日も暑かった。
帰宅するとまず、冷蔵庫を開けて、私はサイダーのボトルを手に取る。

祖母の思い出と、「らむねの教え」とともに。
私も少しは、「美しく」なれただろうか?



「らむねの教え」
了。



#炭酸が好き

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