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ファンタジー小説「W.I.A.」2-3

第2章 第3話

 尾根を下り、霧の目前まで来る。エアリアはすでに毛長牛の背で『守りの言葉』を唱え、一行の周囲に淡く金色に光る光のカーテンができていた。アルルがシルフを数体召喚し、霧の中に飛ばす。数舜後、アルルが無言でうなずき、霧の中へと足を踏み入れた。

 非常に濃い霧だった。マールの位置からでも、ガルダンとアルルがかろうじて見える程度で、視界は数m、というところだ。

 不気味な静けさが、霧と共に一行を包み込む。尾根を降りてからの地面は比較的平坦で、歩行に支障はない。しかし、自分の足元以外の景色は見ることができない。10分ほど進むと、次第に地面に生える草が増えてきた気がした。それに、なんだか暖かくなってきたようだ。進むごとに地面は草が増えていき、やがて地面はすべて地面で覆われた。時折、ピンクや白の小さな花まで見かけられた。その時、アルルが警告の叫びを上げた。

「シルフが騒がしい! 騒がし過ぎて何を言いたいのかわからない! 気を付けて!」

 マールはすぐにポーチに手を入れ、チラッと視線を落とし、自分が掴んでいるものが炸裂炎上弾であることを確認する。ポケットの火口箱も確認した。ほんのりと温かい金属製のその箱の中には、十分に加熱した炭が、灰に包まれるようにして入っている。もしサスカッチが襲って来たら、その箱を開けて息を数回吹きかければ、炭はすぐに燃え上がる。それを炸裂炎上弾の火縄に押し付ければ、点火ができて、5秒後には大爆発だ。

 ガルダンは斧を両手で構えながら、首を突き出すようにして慎重に進んでいた。

 隣を進むアルルは弓に飛翔閃光弾を取り付けた矢をつがえている。いざと言う時には身に潜ませている、アルルの守護精霊であるリザが、それを十分に濡らしてから、放たれるはずだ。

 なおもゆっくりと、一行が歩を進めると、急激に霧が薄くなり、やがて霧が完全に晴れた。そこで見た光景に、一行は一様に息を飲んだ。

 大きくはないが、十分な量の水を湛えた泉がある。驚くほどに澄んだ水の中には、小魚が泳ぐ姿すら見えた。泉の周囲には草花が生い茂り、向こう側には黄色の花が咲き誇った一角もある。その奥に、小ぢんまりとした森さえも。その泉から一本の道が、小高い丘を登るように続いており、その先に小屋が建てられている。道はさらに、山肌にぽっかりと口を開けた洞窟まで続いていた。

 小屋の周囲には、数種の果樹の木が植えられており、畑のようなものまであった。人里から遠く隔絶したこの地で、ここだけはまるで、天上の別世界、とでも言うような雰囲気だった。

 「し、信じられない・・・こんな豊かな土地が、こんなところに・・・。」

 クロエが驚愕の表情で周囲を見回しながら、小声で呟いた。だが、その呟きは、途中からガルダンの声に遮られる形となった。

 「出おったぞ! サスカッチじゃ!」

 泉の奥の森から、のっそりとサスカッチが現れた。大して力を入れたとも見えないのに、一飛びで悠々と泉を飛び越え、ゆっくりと近付いてくる。

 「こ、こっちもだ!」

 再び、カイルの声が上がる。驚いて振り向くと、霧の中から、さらに2体のサスカッチが現れ、同じようにゆっくりと近付いてくる。一行は、3頭のサスカッチに取り囲まれる形となった。

 「ねぇ・・・さすがに、これはヤバくない?」

 クロエがまるで他人事のように声を出した。うっすらと、笑っているようにさえ見える。

 「ヤバい、なんてもんじゃないよ・・・。」

 マールも小声で答え、慌てて火口箱を開けた。3頭のサスカッチは、ゆっくりではあるが、確実に距離を縮めて来ている。と、ふいに最初に現れたサスカッチが、一声吠えた。その声に反応するかのように、後から現れた2頭が、ピタッと動きを止め、地面に手を付いて、まるでこちらに突撃を仕掛ける気になったように、足踏みした。

 詠唱に懸命のエアリア以外、全員が、全身に力を入れて身構えた。クロエが下向きに広げた両手には、小さな光の球が現れ、時折パチッと音を立てて小さな火花を散らし、アルルも弓を半分ほどまで引いた。

 「そこまでです!」

 その時、小屋の方角から、大気を切り裂くような凛々とした声が響き渡った。サスカッチたちはすぐさま反応し、小屋の方角に恐ろしい速度で戻っていく。

 「ここに争いを持ち込むことは許しません。危害は加えませんから、武器を下ろしなさい。それから、そこの若い方、この子達は火縄の臭いが嫌いです。その物騒な球を仕舞って下さい。」

 マールはハッとして、左手に握っていた炸裂炎上弾をバッグにしまう。声の主は、見慣れない服を着た、若い女性だった。緑色の瞳と、長い黒髪持ち、小屋の戸口に優雅とも言える姿で立っていた。3体のサスカッチが、その女性を庇うようにして立ちはだかっている。

 「わ、私は、ノストール魔術学院のクロエと申します! 伝説の『仙女』様でしょうか!」

 クロエが一歩進み出て、女性に問い掛ける。

 「いいえ。私はその人物ではないと思います。もっとも、ノストールで私がどう呼ばれているかは存じておりませんが・・・。以前、ノストールの罠猟師と神官の一団を、やむを得ず救ったことはありますが、その件でここを訪れたのなら、速やかにお立ち去り下さい。お話しすることは、何もございません。」

 きっぱりとした、拒絶だった。むしろ、清々しいくらいに感じるほどに。だが、クロエも負けてはいない。

 「いえ! 私たちはその件でここに来たのではありません! ここに、エーテルの神官をお連れしました! あなた様ならもしや、何かをご存じではないかと・・・!」

 「・・・エーテルの、神官、ですって?」

 女性は、眉根を寄せて警戒の色を濃くしたように見えたが、同時に興味をそそられたようでもあった。エアリアがカイルに手伝ってもらい、毛長牛から降りると、クロエと並んで立つ。

 「エーテルの神官、ソコルトとエーミアの娘、エアリアと申します。秘儀を受けぬままこの身に天界の住人を降臨させ、神の逆鱗に触れました。出来得ることならば、秘儀を授けて頂きたく、ご無礼を承知で推参致しました・・・。どうか、お話だけでも聞いていただくわけには参りませんでしょうか・・・?」

 長い間があった。その女性はエアリアを凝視し、エアリアも微動だにせず、視線に力を込めているかのようだった。

 「・・・いいでしょう。話を伺いましょう・・・。せっかくですから、皆様も、どうぞ、こちらへ。」

 その女性は、そう言うとサスカッチの首に優しく触れ、小声で何事かを囁いた。サスカッチはこちらから視線を外さなかったが、最後に女性がその首をポンと叩くと、一声唸り、他の2頭を連れて霧の中に姿を消した。

 一行は、エアリアを先頭に小屋へと続く道を進んだ。女性はそれを確認すると、小屋の中へ消える。扉は開け放たれたままだった。

 「お邪魔をして、申し訳もございません・・・。」

 小屋に入ると、エアリアがまず丁重に頭を下げて、非礼を詫びた。

 「いえ・・・同邦の人間が苦しんでいると聞いては、無下にもできません。さあ、どうぞ何分一人の住まいですから、手狭ではありますが、お好きなところで体を休めて下さい。」

 小屋の中は、清潔に保たれていた。椅子や机の類はなく、床に敷物が敷かれているだけだった。奥の一部が一段高くなっており、衝立の奥に寝具のような物が置かれているところを見ると、そこが就寝する場所なのだろう。

 女性はその段の前の、敷物の端に腰を下ろした。エアリアがその正面に腰を下ろし、両脇にアルルとクロエが腰を下ろした。ガルダンとマールがその後ろに、カイルは戸口で立ったまま、外を警戒していようだった。その姿を見て、女性がうっすらと笑みを浮かべた。

 「私は、エナ。トキーロとナミィの娘。エーテルの神官です。今は世を捨て、失われた魂の安らぎを祈るのみの日々です。エアリア、ご両親からは、なぜ『秘儀』を授からなかったのですか?」

 エアリアは、事の経緯をエナに語って聞かせた。エナは一切口を挟まず、静かに耳を傾けていた。エアリアが話を語り終えると、エナは静かに立って、無言で何かを準備し始めた。どうやら、茶を淹れているようだ。室内に爽やかな香りを伴う湯気が漂う。やがて用意が整うと、全員の茶碗がエナ自らの手に寄って配られた。

 エナが元の席に戻り、自分の茶碗から、優雅に茶を飲んだ。それを見て、全員が茶を口に含む。熱くも、かと言って温くもない、ちょうど良い温度の液体が口に広がる。春の草原を思わせる清冽な香りが、口中に広がる。やがて、甘味とわずかな苦みの余韻を残し、喉を過ぎていく。心から落ち着くような、そんな味だった。

 「・・・辛い・・・辛い、そして長い時間、でしたね・・・。良いでしょう、あなたの両親に代わり、私が『秘儀』を授けます。ですが、残念ながら、だからと言って、あなたの身に降り掛かっている『不死の呪い』が解かれるわけではありません・・・。」

 「そうなの・・・ですか・・・。」

 「はい。ですが、『言葉』を再び取り戻すことができるでしょう・・・。その首飾りが無くても・・・。それに、今度こそ、その身に神を宿す力が得られるはずです。もちろん、あなたが『秘儀』に伴う試練に打ち勝つことができれば、の話ですが。」

 「・・・その・・・試練、というのは・・・?」

 「あなたは、これより七日七晩、不寝不食で『聖典』を読み、そこから『言葉』を得なければなりません。その言葉で、神に祈りを捧げるのです。その声が届けば、あなたは『覚者』となります・・・。もっとも、今のあなたに不寝不食と言ったところで、それは何の意味もありませんから、恐らく神は、それに代わる試練をお与えになるでしょう。」

 「・・・はい・・・。試練は、甘んじて受け入れます。『秘儀』を、お授け下さい。」

 エナはうなずくと、再び立ち上がり、今度は衝立の奥に設えられた家具の中から何かを取り出し、両手に抱えるようにして戻って来た。

 「それでは、まず、下の泉で身を浄めて来て下さい・・・。作法は、わかりますね?」

 「はい。大丈夫です。」

 「身を浄めたら、衣服をこちらに改めて、そのままこの奥の洞窟の中へ。しばらく進むと、祭壇があります。その右に、ひと際大きい蝋燭がありますから、それに火を灯す。一度灯したら、その火が消えることがあってはなりません。蝋燭は、七日七晩で燃え尽きるようにできています。その火が自然に消えた時、頭に浮かんだ言葉で、神に祈りなさい。いいですね?」

 「はい。」

 「身を浄めたら、その祈りの言葉を口にするまで、言葉を口にしてはいけません。『秘儀の儀式』は一生に一度のことです。もし今回の儀式が破れたら、二度と『秘儀』が授けられることはないでしょう・・・。ですから、十分に気を付けるのですよ?」

 「はい。」

 「他に、今のうちに聞いておきたいことは、ありますか?」

 「いえ、ございません。」

 「・・・それでは、お仲間にご挨拶を・・・。皆さまも、よろしいですね?」

 とうとうエアリアが、旅の目的である『秘儀』を授けられる機会が与えられた。残念ながら呪いが解かれることはなかったようだが、それは次の旅の目的にすればいい。

 エアリアが一人ひとりと言葉を交わした。アルルは、泣いていた。その涙が呪いが解けないという事実の悲しみから来るものなのか、『秘儀』が授けられる喜びから来るものなのか、マールには分からなかったが、二人はしっかりと抱き合い、エアリアはアルルを小声で慰めた。

 同じように、カイルやガルダンとも挨拶を交わす。カイルは不安そうな顔をしており、ガルダンは心からの笑顔でエアリアを励ました。やがて、エアリアがマールの前に立った。

 「・・・マール。ここまで、旅を共にしてくれて、ありがとうございます。思えばマールが仲間に加わってからは、まるで飛ぶように事が運びましたね・・・。あなたは、私の幸運そのもののようです・・・。」

 「い、いや、そんなことは・・・僕の方こそ、自分の人生が開けてきたのはエアリアのおかげだと、感謝しているよ。あの時、助けてもらっていなかったら、ハイペルで旅に誘われてなかったら・・・。もしかしたら、今頃アルルの言う通り、親戚にひどい目に遭わされてたかも! ・・・だから、がんばって! みんなに負けないくらい、僕も応援してるからね!」

 「うふふ。はい、がんばってきます。ガルダンとアルルが喧嘩をしないように、見張っていて下さい。」

 そういうと、エアリアはマールを優しく抱きしめた。最後に数舜お互いに見つめ合い、エアリアはクロエの元へと向かった。

 「・・・クロエ・・・。人の世の因果が、これほど不思議だと思ったことはありませんでした。まさか、依頼の目的の方が、私をここに導いてくれるなどと、誰が思い浮かべることができるでしょう・・・。ここまでみんなを率いて、無事に連れて来て下さったこと、感謝してもしきれません・・・。」

 「そこのところは、自分でも信じられないくらい! でも、良かったね! 400年のことを考えれば、七日七晩なんて一瞬よ! みんなとここで待ってるから!」

 エアリアは、戸口で室内を振り返り、深々とお辞儀をした。一同もお辞儀を返し、顔を上げた時、エアリアはもう消えていた。戸口で見送ったカイルが、渋々と扉を閉めて戻って来た。

 「・・・行っちゃったね・・・。そういえば、俺たち7日もエアリアと話さないことなんて、今までなかったよね?」

 「・・・そういえば、そうね。何日か寝込んだことはあったけど、7日なんて言うのは初めてだわ。そんな時でも、誰かは話していたし。」

 「うむ・・・。これは、儂らにとっても、試練じゃのう。」

 マールとクロエは口を開かなかった。彼ら3人に比べれば、二人はいわば「新参者」だった。エアリアに同じ気持ちを抱いていたとしても、「時の重み」が違う。なんとなく、話に加わるべきではない、と感じたのだ。

 「そういえば、エナさん。サスカッチとは、どういうご関係?」

 クロエがエナに話し掛ける。こういう場面でも物怖じしないで自分の疑問を相手にぶつけられるのは、クロエの強みなのだろう。マールも、自然とそちらの会話に加わることになった。

 「ああ、彼らは・・・まあ、言ってみれば、私の子供たちです。・・・50年ほど前になりますか・・・この辺りで大きな地震があって、崩落で親が亡くなってしまったんです。その子供たちを私が引き取って、育てました。」

 「あー・・・50年前、ね・・・。なんとなく知ってたけど、やっぱりエナさんも長生き、ってことですね?」

 「ふふ・・・エナ、でいいですよ。・・・私は、そうですね・・・800何年かまでは覚えていますが・・・正確なところは、もう忘れました。」

 「は、はっぴゃく!?」

 「ええ・・・ここに住み始めてからだけでも・・・300年はとうに過ぎたと思いますよ。もっとも、もはや時間の感覚がほとんどなくて・・・。エアリアと同じく、私も食べることも寝ることも不要ですから。それに、人と暮らしていれば他の方の習慣で、嫌でも時間は感じますけど、ここでは、一人ですからね。」

 見た感じは、クロエよりも年下のようにも見えるエナが、実はエアリアの倍以上も年上だと言うのだ。長命で知られるエルフでも、800歳を超えて生きている存在がいるかどうか、疑問だと言うのに。

 「300年も、一人で、ですか・・・。その・・・寂しくはないのですか?」

 マールが正直な思いを口にした。たった七日、エアリアと話せないだけでも寂しいと感じるのに、誰とも話さずに300年、というのは、とても信じられない想いだった。

 「あなたはとてもいい人のようね。でも・・・考えてみて。あなたの親だけでなく、子供や、愛した人、周囲の人々がみんな、間違いなく自分より先に旅立つのよ? 自分だけが取り残されて、気付けば周りには、親しかった人の孫やひ孫の世代の人間ばかり。そして、そんな人たちでさえ、時が来れば、自分より先に、毎日のように死んでいくの・・・。」

 そう言うと、エナはとても悲しそうな顔をした。マールは、自分が彼女にとって一番触れて欲しくないところに触れてしまったことに気が付いて、激しく後悔した。

 エナは、何百何千という出会いと、そして別れを繰り返してきたのだ。そしてそれは、この先ずっと続く逃れられない宿命で、決して終わりがない。どんなに愛しても、親しく時を過ごしても、それはエナにとって、いずれ確実に訪れる「別れ」の予感に過ぎない。エナは常に「送る側」であり、その思い出と共に悲しみ、辛さが心に積もっていく・・・。

 そんなことになるくらいなら、いっそ最初から出会わなければいい。エナはそう考えて、人との接触を断ったのだ。

 今、こうして、何百年振りに人を招き入れ、例え僅かの時とは言え、人と言葉を交わした。それはつまり、エナにとっては『新たな別れ』が数回、確実に増えた、いうことに他ならない。エナはマールに「いい人ね」と告げた。たとえ多少なりとも、「好意」を感じたのだ。

 そんな人の前で、自分たちはエアリアが報われたことを喜んだ。七日の別れが悲しいと漏らした。エナが自分の悲しみや辛さと引き換えに、そうしてくれたことにも気付かずに。あまつさえマールは、その事実をエナに直接的に思い出させたのだ・・・。

 なんという、ひどいことをしてしまったのだろう。自分はなんと愚かなのだろう。だが、それをエナに謝ってしまったら、エナはますます傷つくことになるかも知れない。

 してしまったことの大きさに気が付いて、マールは俯くしかなかった。こんな場面を乗り越えられる言葉を、マールは持っていない。その悔しさと、自分への侮蔑感で、マールは泣きそうになった。涙を見られないためにも、俯くしか、他にやりようがなかった。

 ふいに、マールは柔らかくて暖かい、花の香りに包まれた。気が付くと、エナがふんわりとマールを抱いてくれていた。

 「・・・思った通り、あなたは、とても優しい人・・・。心配することはないわ。私なら、大丈夫。どうか私のことで、傷つかないで・・・。」

 その香りを吸い込むと、不思議と気持ちが和らいだ。とても心地いい匂いだ。あれ、僕はなんで、泣いていたんだっけ・・・。

 香りの余韻をマールに残して、エナは近付いた時と同じ自然さで、マールから離れた。

 「き、急に、どうしたのよ!?」

 クロエが驚きの声を上げた。マールも何が何だかわからなくなって、驚いた顔をしてみたが、エナは静かに微笑んで、カイルたちの方へ向かっていった。

 「さて、みなさん。エアリアが儀式の間、みなさんにも一つ、私から贈り物を差し上げましょう。」

 そういうと、エナは敷物の中央に腰を下ろし、自分を取り囲んで座るよう、一同に促した。

 エナが胸の前で両手を合わせ、詠唱に入る。一音一語が、間延びしたように長いその詠唱が始まると、エナの身体が前後左右に揺れ始めた。

 いや、正確には、『エナの周囲の空間』が揺らいでいるのだ。エナは動いていないのに、揺れているように見えるのは、そのせいだ。やがて、室内が徐々に暗くなり、いつしかそれは満点の星の輝く夜空になった。全ての者が消え失せ、夜空に自分だけが浮かんでいる。

 その星々の中から、急速に自分に近付いてくる星がある。星は、徐々に明るさと大きさを増し、そして、飲み込まれた。

 目を開けると、そこは戦場だった。大軍と大軍が、今まさにぶつかり合う、そんな状態を足下に見ている。まるで、鳥になったようだ。

 『これは、約300年前、大暗黒戦争と呼ばれた、光と闇の戦いの、最期の局面です・・・』

 どこからか、声が聞こえた。聞いたことがあるようで、それが誰の声なのか思い出せない。

 足下の軍勢の一つは、中央が人間、右からエルフ、左からドワーフの軍からなっているようだった。その他にも、木人間?とでも言うのだろうか、大小さまざまな木が、動いていたり、見たこともない、大きな鼻の長い生き物や、虎や狼の姿も見える。空には、エルフの軍の上に、弓を持ったエルフをたくさん乗せた船のような物が浮かび、大鷲や、飛竜に乗った騎士の姿も見える。

 一方の軍は、ゴブリンやオーク、トロルの姿も見えた。こちらはさらに大軍で、地平の彼方まで埋め尽くしているような錯覚を覚える。後方に、体が銀色に光る巨体の生物がたくさん見える。その後ろに、さらに巨大な玉座に乗せられた『何か』が。何とかその姿を見ようとするが、飛んでいる黒いドラゴンや、翼と角の生えた銀色の生き物に妨げられ、どうしても見ることができない。

 両軍は、激しく激突した。喚声、武器のぶつかる音、悲鳴、怒号・・・。無数の矢が飛び交い、雷光や火球がところどころで飛ばされた。それが絶え間なく続けられる。戦闘は、始めは人間軍が優勢なように見えた。だが、数で勝るゴブリン軍が徐々に盛り返し、前方に飛び出していたドワーフ軍は取り囲まれ、自軍から切り離されそうになっている。

 それを見たエルフの空飛ぶ船がそこに近付き、上空から矢を放ちながら、つむじ風に運ばれたエルフ戦士が無数に降り立って、ドワーフ軍を援護した。だが、それも束の間、ゴブリン軍の奥から飛び立った赤く光る眼を持つ、銀色の悪魔の集団が、エルフの空飛ぶ船に攻撃を加え、あちこちから煙と炎が噴き出した船は、たくさんのエルフを乗せたまま、最後の力を振り絞るようにゴブリン軍の頭上に方向を変え、やがて地上に激突した。

 人間軍の劣勢がはっきりしてきた。今では完全に押しまくられ、戦線が徐々に後退している。戦場には両軍の無数の死体が転がり、地面は暗い紫に染まった。赤い血と、青や緑の血が、一つになったのだ。

 もはや、戦力差は明白になった。人間軍が1とするならば、ゴブリン軍は10だ。周囲を完全に取り囲まれ、全ての方向から攻撃が加えられている。進むことも退くこともできない、絶対の死地だった。

 それは、東の空から現れた。金色の光で包まれた巨人と、周囲を取り囲む無数の天使の軍勢だった。巨人が上空から金色の光線を放つと、人間軍を取り囲んだゴブリン軍の中央に、くっきりと一つの道ができた。その道は、はるか奥の巨大な玉座まで続いていた。人間軍の統率者は、大きな旗を打ち振り、その道に沿って突撃を開始した。

 天使たちは、無数の死体が転がる戦場に降り立つと、体から光を噴出させる。倒れていた人々が立ち上がり、突撃の列に次々と加わった。巨人はその後方に降り立つと、両手を天に掲げる。途端に天空から数千はあるだろうと言う光の矢がゴブリン軍に降り注ぎ、その軍勢を打ち倒した。もう一度、巨人が両手を打ち振るうと、激しく光る小さな光球が現れ、それが玉座の後方に落ちた。

 何事も起こらなかったような間が、数舜あった。しかし、突然の巨大な音と共に、凄まじい衝撃波が、両軍に襲い掛かる。はるか上空まで土砂と砂煙が巻き上げられ、視界は0になった。やがて、その砂煙が晴れると、玉座の後ろには巨大な穴が開いていた。穴の中は光の粒が渦巻く空間になっていて、ゴブリン軍でも体の小さな者は、浮き上がってその穴にどんどん吸い込まれていった。大型の者は地面に爪を突き立て、必死に抗っていたが、そこに突撃してきた人間軍の攻撃を受けると、ひとたまりもなく穴に吸い込まれていく。そうしてついに、ゴブリン軍はすべて穴に吸い込まれ、残るは巨大な玉座のみとなった。ここまで来ても、玉座の上にかかる真っ黒の靄に阻まれ、その姿を見ることができない。

 その『何か』が立ち上がり、迫りくる人間軍に攻撃を加え始めた。それは、激烈な攻撃だった。腕一本を軽く振っただけなのに、ドワーフの一団が空中に消えた。指先から放たれた火線は、エルフの軍勢を消し炭に変え、腕を振って起こした竜巻は人間の軍勢を宙に巻き上げ、その中で粉々に砕いた。

 巨人の手から、青い光の粒が、一本の線のようになって『何か』の胸に放たれた。やがて天使たちもおなじ動作をして、こちらは細めではあったが、『何か』の全身を貫くように光線が放たれる。胸を掻きむしり、もがき苦しむ『何か』に向かい、生き残った人間軍の軍勢が襲い掛かり、『何か』を穴に押していく。

 『何か』も必死に抵抗するが、次々に襲い来る人間、エルフ、ドワーフ、その他の生き物や動物に取り囲まれ、どんどんと穴の縁に追い込まれていった。

 そして、とうとう、『何か』を穴に落とすことに成功した。最後の抵抗とばかりに放たれた黒い光線が、多数の人間軍を貫いたが、穴に飲み込まれ、光の渦に包まれて消えていった。それとともに、穴は、地面に開いたただの大きな穴に、その姿を変えた・・・。

 人間軍が勝鬨を上げ、巨人と天使の軍勢が空へ引き上げかけた時、急激に後ろから引っ張られたように、目の前の光景がものすごい速さで小さくなっていった。

 気が付くと、先ほどと同じように、エナの小屋でみんなと一緒に座っていた。みんなが同じように、座りながら周囲をキョロキョロと見回していた。

 「・・・いかがでしたか?」

 エナが、全員の顔を見回した。全員、驚いてはいるが、体調に変化がないのを見届けてから、にっこりと微笑んで、そう言った。

 「い・・・今のは・・・。」

 アルルが自分の身体を見回して、異常がないことを自分で確かめていた。

 「皆さんに、大暗黒戦争を見て頂きました。お話するよりも、その方が早いと考えたので。」

 「うーむ・・・いや・・・実に・・・実に恐ろしい戦いであった・・・。」

 「あれほどの戦いが・・・この地で行われたのですか?」

 ガルダンとカイルは、また違った驚きを感じたようだ。

 「はい。あれが、大暗黒戦争の真実の姿、です・・・。実は、あれを見て頂いた上で、皆さんにお話ししたいことがあります・・・。」

 その時、マールの腹が、子犬が甘える時の声のような音を立てた。その音は、静まり返った室内に、大きく響き渡った。

 「わ、わ! ごめんなさい!」

 顔がかーっと熱くなった。今頃真っ赤になっているに違いない。子供でもあるまいし、どうしてこんな時に限って腹が鳴るのか、無性に腹が立つ。

 「ふふ・・・話の前に、食事にしましょう。大したものは準備できませんが・・・。」

 「い、いえ! 大丈夫ですから、お話を・・・。」

 マールはそう言い掛け、慌てて立ち上がろうとして、眩暈で倒れそうになった。

 「私の方こそ、ごめんなさい。実は、皆さんにとっての数十分の間に、こちらでは3日が経過しているんです。お腹も空いて、当たり前なのですよ。」

 その時、ガルダンとカイルの腹が続けざまになった。なんと、クロエまで。アルルはすました顔をしているが、お腹に力を入れて音が鳴らないようにしているに違いなかった。

「なんだよ! みんな腹ペコなんじゃないか! こんなときばっかり僕が一番だなんて! ひどいや!」

 マールの苦情が室内に響き、一同は笑いに包まれた。


「W.I.A.」
第2章 第3話 
了。



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