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走れ無いメロス




太宰治の「走れメロス」を朗読で聴いた。

中学生の時、国語の教科書で読んだ事があったのだが、
改めて、しまえりこさんの朗読で聞いた。

私は太宰治が嫌いである。
その理由は此処では書かないが、中学生の時から嫌いである。

冒頭の、「メロスは激怒した。」とあるが、
悪王に対する怒りは、理解出来るが、その様な悪王の心を簡単に
変える事は先ず不可能である。
メロスは妹の結婚式を控えているのに、何故それを済ませる前に
悪王に会いに行ったのか?
案の定、メロス捕まり処刑の判決を下される
メロスは懇願する。
「妹の結婚式が終わるまでの猶予をくれ」と
そして、「身代わりに友達を差し出す」と、

本当に馬鹿げている。
そんな事なら、結婚式を済ませてから、悪王に相対するべきであろう。
身代わりになる友達が可哀想である。

太宰治はこの様に物語を作らないと、この小説は書けなかった。

だが、この小説は整合性に欠けると、私は思う。
私は、納得出来ない

この小説は心の葛藤を書きかったのであろう。
信じる事の難しさや、欲望、自分の命よりも約束を守る事の尊さ。

これは太宰治の心の葛藤でもあろうが、私には太宰治の偽善に思えてならない。
この様な事を書くと、お叱りを受けるかも知れないが、あえて書く。


もし、私がこの小説を書いたならば、

メロスは妹の結婚式を無事に終わらせ、
悪王に相対した。
悪王に忠言したが、認められず、捕まり処刑された。
メロスは走る事が出来なかった。

ものすごく簡単で終わってしまう。
何の意味も無い小説が出来てしまう。

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