離婚、シングルマザー、そして再婚までの経歴。
ここはスキップしていただいても大丈夫ですが、まずはじめに、私自身の経歴をお伝えしておきたいと思います。
2011年2月 駐在員との結婚を機に台湾・台北へ移住
もともとは東京の出版社で編集として働いていましたが、駐在員との結婚を機に台湾・台北へ移住。
来台してすぐに妊娠しましたが、3月11日に発生した東日本大震災の影響で、茨城の実家付近の病院から里帰り出産を受け入れてもらえず、中国語はまったく聞けず話せずの状態で、台湾での出産を決意。
ちなみに3月11日当日は、台湾の駐在妻さんのご自宅で、歓迎会を開いていただいていたところでした。
🔗その頃のブログ記事:いきなり・・・大仕事の到来!
2011年12月 台湾・台北市内の産院で第一子を出産
🔗その頃のブログ記事:「台湾で妊娠・出産」関連の記事一覧
産後6カ月目 子連れOLデビュー
ご縁あって、就労ビザを取得し、生後6カ月の乳飲み子を連れて、台湾のローカル企業でWebプロデューサーとして働くことになりました。日系企業の台湾進出をデジタルマーケティングで支援する仕事です。
🔗その頃のブログ記事:台湾で働きます。乳飲み子を抱えて。
産後10カ月 台北市内で元夫と別居
2013年7月 元夫の転職を機に、日本へ帰国。長野県北安曇郡小谷村に移住
白馬にある、とても素敵なリゾートホテルの広報PRの仕事に就きました。
🔗その頃のブログ記事:6月末で日本へ発ちます。
2013年12月 離婚
広報をさせていただいたホテルオーナーのご厚意で隣村の白馬へと引っ越し、雪国でシングルマザーになりました。
2014年4月 再び台湾へ
もともと働いていた台湾の会社から呼び戻していただき、息子とふたり、台湾へ出戻り。
🔗その頃のブログ記事:ふたたび台湾へ
2017年11月 再婚
長男がくれたご縁で、台湾人男性とお付き合いが始まり、再婚。
🔗その頃のブログ記事:再婚しました。シングルマザーになって学んだこと、そして台湾での生活を選んだ理由を打ち明けてみます。
2018年6月 独立
勤めていた会社に経営の大きな変更が入り、退職。
フリーランスの編集・ライター、コンテンツ制作ディレクターとして独立。
🔗その頃のブログ記事:フリーランスになったと同時に第二子を妊娠
2019年3月 会社設立
これまでの経験を活かし、日本語・繁体字中国語でのコンテンツ制作を行う「草月藤編集有限公司(So Getsu To Editing Co., Ltd. )」を台北で設立。
こちらでいただいたサポートは、次にもっと良い取材をして、その情報が必要な誰かの役に立つ良い記事を書くために使わせていただきます。