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自分の相場はいくらぐらい?

 前回の「夜空にケツが昇ってく」にも書いたように、私は薄給で中国の大学のオンライン授業をしている。

 どれだけ学生のために時間を捧げようと、給料が上がるわけではない。それでも一人一人に誠意を持って向き合いたいからと、奉仕と自己犠牲の精神にどこか酔ってたのかもしれない。

 私は人の情けで生きてるヤドカリ人生。

 金はないけど人が財産。

 そう思って自分の人生肯定しつつも、どこかで「稼げない」自分に納得いかない思いだった。

 でもそれ自作自演では?

 本当は稼げるようになるのが怖いだけでは?

 そう思わせる出来事が同時に二つあった。

 まず一つは仲介料の話。

 たまたま必然知り合ったある女性経営者が自分が開発した商品のマーケットを海外にも広げたいと言う。

 特に中国は大きな市場だが日本とはビジネスの仕方も違うので日本企業が中国に進出するのはなかなか難しいとのこと。

 たしかにそれはそうかもしれない。私が知る限り中国人は金の利益だけじゃなく、人との繋がりを重視してるようにも見える。ようするにコネクション。極端な話、家族や友達の頼みなら聞かないでもないみたいな感じ。

 何の資格もない私が中国の本科の大学(四年制)で、先生になれたのは、そこでわりと力があったおじさんと趣味が同じだったから。

 絵の先生になれたのも、たまたまその大学で当時力のあった女の人に絵を気に入られたから。

 で、そのあとクビにもならずにきたのは学生たちと友達になって慕われて、授業評価も高かったから。

 コネといえば言い方悪いけど、仲良くなったらどこまでも力になるのが私の見解の中国人。

 で、たまたま私はどこで知り合ったかも覚えてないけど、日本と中国を頻繁に行き来していて、政治家とかとも仲良しで人脈太そうな男性にその開発者の商品を売ってくれないかと相談した。

 実は私はこの人にたぶん会ったことはない。でもなぜかこの人の私の評価が高く、「中国の若者の教育に貢献してくれた」とか「その偉大な実績は広く報道されるべきだ」とか言ってくる。

 偉大も何も私がやったのは「日本語で遊ぼうぜ!ウェーイ」的な自由奔放遊びまくり授業だ。教科書はほとんど使わず教材も自作。指定教科書は古くて実用性がなく、眠いだけなので、自分が授業を楽しむためにそうした。

 何にしても、国は問わず、若者に対する想いは熱い。その辺を評価してくれたのだろうか? よくわからない。

 とにかくなんでかわからないけど、その人は私に対して丁寧な対応をしてくれて、忙しいのに開発者の企画書にも目を通してくれて好感触。

 これには開発者である経営者の女性も感謝してくれて、何かお礼がしたいという。

 そしてその謝礼に対して自分で決めた要求をしてくださいと言うのだ。

 これがまず一つ。

 もう一つは、その紹介した中国人が、日本と中国を行き来する中で日本語の会話に困っているという話からの依頼。

 私は気軽に「じゃ、教えますよ」と言った。

 するとそれが正式な個人レッスンということになり、ここでもやはり「給料はいくらにしますか?あなたの希望を言ってください」となる。

えええええっ

 わたしは困った。

 そもそも開発者の人の商品にかける想いを聞いて、これも縁だし、何か協力できることがあればと思っただけだし、その紹介した人も、ものすごく丁寧に対応してくれたし、日本語の勉強に困ってるようだから、何か助けになればと思った。

 だから本当はどちらも無償でいいと思ってたけど、相手が謝礼や支払いを申し出てるのを断る理由はない。

 お金が介在すること自体は悪いこととは思わない。

 労力には対価が必要だ。

 お金をもらうことで、それに見合った仕事をしようとモチベも上がる。

 私は友人がマッサージ師や美容師なら、プライベートでマッサージしてもらったり髪を切ってもらっても、必ず正規の料金を払う。

 それはその人が積み上げたきた技術や経験に対しての当然の報酬だ。

 「友達だからタダでいいよね?」って当然のように言うのはなんかちょっとちがうと思う。

 これに関してはセラピストの友人が厳格で、私が友達として相談しても普通に料金請求される。しかもその時の私が少し痛いなと思うぐらいの金額。そうじゃないと、ダラダラ愚痴や不満を言うだけで、解決に向けた自分の問題への取り組み方が半端なものになるからだ。

 彼は相談者である子どもからも金を取る。でもその時は千円とか。
 ただその千円は子供にとってはおやつも我慢しなければならない大事なお金。その対価を支払うことで、その子ども自身がが買い取った時間を無駄にしないよう真剣になるし、コミットするために必要なことだと彼は言う。

 その考えは理解できるし、私も逆の立場でお金を受け取ることは拒否しない。時と場合にもよるけれど、基本、自分のしたことに対して何か謝礼をくれるというならありがたく感謝していただく。

 でも金額を決めろとなるとそれは悩む。

 ある意味それを求める人が金額を決めてくれるなら楽。その人がそれにどれだけ払いたいかっていう相手の価値基準だから。

 でも自分の価値は? 自分の相場ってどれぐらい? その人の価値に見合ったもの?

 前に私の手作り絵本を買いたいと言った人が何人かいたけど、私は自分で価格設定をすると安くなる。でも印刷代がかかることなど考慮してくれた人は、五千円支払ってくれた。材料費と支援代ということだった。

ちなみにこれが私の絵

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 これに5000円も払いたくないって人もいるだろうし、500円ならって人もいるかもしれない。お金の余裕具合にもよってちがうだろう。

 ただ大学で、新入生歓迎のポスターを二日で二枚書かされた時とかTシャツデザインを勝手にパクられてたときとかは、納得いかなかったし、ふざけんなと思った。

 でもじゃあそこでどれだけの報酬が発生していれば満足だったのかと己に問うとやはり今回みたいに「うーん…」となる。

 それにしても、きちんとコストとか考えて計算できるものはまだ金額設定しやすいのかもしれないけど、今回私は自分の人脈を繋いだこととオンライン授業に価格をつけなければならなくなった。

 人脈の件は、ただ紹介しただけじゃなく、お互いの言語がわからない二人のために通訳や翻訳もしているし、何度も質問や確認で時間をとられている。それにビジネスのことなので翻訳に間違いがあってはならないと思い、元教え子たちにも手伝ってもらった。
 私も普段から彼らの仕事を無償で手伝っているので、ここはお互い様なんだけど、もし企画書を完全に翻訳する必要があるならば、その子たちにはバイト料は支払ってもらいたいとは開発者に頼んでいた。それは普段私がお互い様って言えるぐらいの手伝いの労力を超えるので。

 ただその開発者は私個人にも大層感謝してくれてるので、やはり報酬を自分で設定しなければならないことに。ひとまずこの話がうまくいったらと保留にはしてるけど。

 保留が許されなかったのがオンライン授業。

「あなたが私の授業に満足するかはわからないので、まず授業をやってから値段設定しましょうか」

と私が逃げると

「いえ、あなたの授業なら間違いないので、希望の金額を言ってください」

と返ってきた。

 一応中国の同僚の先生に相場を聞いてみたけれど、家庭教師で時給2250円から3000円。オンライン授業ならそれ以下だという回答。

 で、日本のオンライン授業の時給の目安も調べたけど、大体時給1500円から2000円という感じ。

 なので「1500円か2000円はどうですか?」と提案。

 すると「では二時間で3000円はどうですか?」という回答。

 即OK。

 正直これが高いのか安いのかもわからない。自分の授業がその人にとってどれだけ必要価値があるかがはかれないし。

 ただ私としては、夏野菜も終わり、今月になって一回も畑仕事がないので、バイトができるのは助かる。

 ちなみに畑の時給は700円だった。
 でも畑仕事はど素人だし、もともとただで野菜がほしくて、そのために何か手伝わせてくださいってところを時給まで出してくれて、そのお金で肉やたまごも買えるから、私にとっては本当にありがたい話。

 昔、北海道のじゃがいも農家でヤドカリ生活していた経験もあるから、自分がどれだけ役立たずかってのも知ってるし、農家のプロはほんとすごいから、私の仕事具合なら700円は妥当。

 この時給だから、ほとんど遊び気分で簡単な仕事やって無理もしないってのを自分で自分に許せるし、都合のいい時だけ来ていいよってのも気楽でありがたかった。

 だからオンライン授業で時給1500円の価値を認めてもらえるかはちょっと心配。なにせ向こうはやる気がある。ただ楽しませておけばいいだけの授業だとダメだろう。その授業によっての実益をもたらせなければ。

 だからきっちり教科書を使おうかとも思ってたけど、教科書高い。私の分も買ってもらおうかなぁとケチなこと考えたら、元教え子に諭される。

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 そして教科書を用意するにもまずは相手のレベルを知らねば。さらに授業に何を求めているのか。

 すると基礎的なことはほとんど学んでいて、会話力をつけるための交流がしたいのだという。

 実践的な会話……。自分の得意分野だ。
 
 そして私の中国語も試される……。
 私は若い子たちと交流することが圧倒的に多いので、中国語でも若者言葉に慣れきっている。同僚の30代の先生たちよりずっとネット用語や俗語もわかる。

 でも今回個人レッスンをする人は完全に「大人」。若い子が使う中国語とは明らかに違うし、教科書に出てくるぐらいに完璧。

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 別の元教え子で社会人として奮闘している彼もこのように言う。

 なんにしてもこれまでの授業形式とは変える部分もあるだろう。

 でも根本は変わらない、今相手にとって必要なものは何か?その人の人生の中で実用的で役立つことは?

 実は時給1500円って私のバイト人生で今までで一番高い時給。

 それぐらい薄給に慣れ親しんできたし、それで満足している自分も本当はいたんだろう。

 恋愛で例えるとわかりやすい。

 私は自分を好きにならないような人を追いかけて追いかけて振られるパターンがデフォルトというか、逆に追いかけられるともうどうしていいかわからない。うまくいきそうになると逆走したり、うまくいかなかったら「ほらね、やっぱり」と傷心の裏で安堵したり。

 自分に自信がないっていうのは、結局自分の価値をほかに委ねる方が楽っていうことで、過小評価している方が都合よかったり、そのくせ自虐に耐えられなくなったり……。

 いっそ報酬を高くして、それに見合うような自分になるため努力して一気に自分を上げていくってのもアリだとは思うけど、相手にそこまでの価値を認めてもらえなければ成立しないし、実際そんな経験もあるし、本当にこの辺の自分に対しての相場となるとどうしていいのかわからない。

 今回のオンライン授業に関しては、一応ほかでどれぐらいなものかと調べて提案したけれど、正直自分にとってそれが相応かとなるとやはりわからない。

 自分の相場、自分の仕事の正当報酬、自分で要求できる価格……。フリーランスの人ってどうやって価格設定しているんだろう。
 人に使われると薄給すぎるとぼやくくせに、自分で決めていいとなると、価格設定ができない。

 今回の二つの話で、そのことを改めて再認識。

 今はただ、自分が1500円に見合う仕事ができるかとプレッシャーで昨夜は授業で焦ってる夢を見た。

 やる気のない学生にやる気を出させるよりも、やる気のある人の熱意に応える方が難しいような気がする。期待があれば失望も大きい。

 まあなんにしてもいつも通り相手としっかり向き合って、誠意をもって仕事する。そこから得られるものは大きいはずだ。

 でもそれをお金に換算するとどれぐらい?

 ほんと相場がわからない……。

 

 




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