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【塾生通信#19】~李徴からボーイ、ボーイから6Dに~

自己紹介

こんにちは、関西学院大学経済学部4年の中西涼です。皆からは「なかくん」、「なかにしボーイ」、もっと端折って「ボーイ」とも呼ばれています。
薮中塾には5期から参加し、6期共同代表(6D)を務めています。
この春からは金融機関で働き始めます。

「李徴」だった自分

僕が入塾したきっかけは、留学先で出会った友人たちでした。僕は入塾前の2年生の夏から3年生の春まではシンガポールの大学に交換留学をしていました。彼らとは留学期間中にたまたま寮が近くて知り合ったのち、意気投合して、夜な夜な語り合ったり、休みに旅行に行ったりする仲になりました。
僕にとって彼らは兄貴のような存在で、当時2年生だった僕にいろんなことを教えてくれました。そんな彼らがある日僕にこう言ったんですね。

「お前は李徴だ」と。

当時の僕は、簡単にいうと井の中の蛙で、かつ頭でっかちでした。留学前も意識高い”系”サークルに入っていたりして、大したこともしていないのに「自分は特別だ」と感じていました。まさに僕は『山月記』に出てくる虎になった李徴と似ていて、薄々自分は大したことないって気づきながらも、それを直視しようとしてこなかったんです。

それを彼らに見透かされて、ボコボコに説教されました。僕はそれまでの人生、人から何か言われることを避けてきたので、彼らの指摘から受けたダメージは相当な大きさでした。

でもこれがきっかけで、反発しながらも、自分は別に特別ではないってことに初めて正面から向き合いました。そして「このままじゃ、”すっからかん”のまま卒業してしまう」と思い、もっと自分を鍛えられる場所を探すようになりました。

僕は留学仲間より知識や経験が少なく視野も狭いし、コミュニティにも属してなかったので教えを説いてくれる人間もいなければ、叱ってくれる先輩もいない。それを見かねた留学仲間が勧めてくれたのが薮中塾だったんです。

彼自身は薮中塾生ではなかったのですが、彼曰く、「どうやら薮中塾という、元外交官の薮中三十二という人物のもとで、真のグローバル人財になるべく、いろんな分野の人間が議論する面白そうな団体があるらしい。帰国後は薮中塾で勉強してみるのはどうか」と。

加えて、留学中僕は「将来日本経済を再興させる」と鼻息が荒くなっていたので、「薮中塾には熱い者が多いらしい」という話を彼から聞いてすぐに、「薮中塾こそまさに自分が求めている場所」だと思い入塾を決めました。その後、シンガポールから選考を受け、何とか合格することができ、帰国後から薮中塾5期生として勉強会に参加しはじめました。

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シンガポール留学時の"李徴"


ひたすら"テイカー"だった5期


僕にとって5期生の1年はギブアンドテイクでいうとひたすらテイクの1年でした。勉強会では発言はできても、相手を説得させるような主張はできないし、6月に任された勉強会担当では知識不足と経験不足から全然役に立てず、先輩方に頼ってばかりでしたし、よく言えば「吸収の一年」、悪く言えば「頼ってばかりの一年」でした。

僕の「なかにしボーイ」という渾名も、「先輩に頼ってばかりの年下くん」というオーラがでていたことが由来なのかもしれません。それでも、毎月の勉強会で多くの知識を身につけることができたし、先輩方を参考にしてプレゼン能力なども向上させることができたと思います。

また先にも述べた通り、留学前の僕は一切コミュニティに属さない、頭でっかちの自惚れ野郎でした。それが薮中塾に入って勉強会だけではなく懇親会などで塾生と親睦を深める中で、それまでよりも視野が広がり、考え方も大きく変わりました。

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5期生の時の"ボーイ"

「行動で示す」6Dへ

そんな僕が5期で卒塾せず、6Dになった理由は主に3つあります。

1つ目は、単純にもう一年薮中塾にいたかったからです。毎月の勉強会では新しいことを学べますし、懇親会では面白い塾生と腹を割って語り合えます。こんな素敵な場所なら、「もう一年運営としてやってみてもいいかな」と思いました。

2つ目は、5期で達成できなかったことを6期で達成したかったからです。5期はいかんせん先輩方に頼ってしまう場面が多かった。これだと「入塾前の自分とそんなに変わらないのでは」と思い、「今度の一年は自分から率先して活動していこう」と思ったんです。

そして3つ目は、薮中塾に恩返しをしたいと感じたから。1年間薮中塾でお世話になったからこそ、6期共同代表として薮中塾をもっと良くしたいという思いが、僕の共同代表への決心を後押ししました。

6期の勉強会では5期では扱わなかったテーマも多くあり、知らないことをたくさん学べました。また6期も様々なバックグラウンドを持った塾生がいて、多様な考え方に触れることで自分の世界が広がったのは、5期から共通した点でした。 

自分にとって6期で特に成長したなと思えるのは、率先して行動する力がついたことだと思います。5期では「ボーイ」だった僕ですが、6期では(立場的な部分もありましたが)、勉強会の準備でも本番でも、率先して行動できたと思います。

「5期の時は口だけだったのが、6期では行動を伴うようになった」と塾生の1人に言われた時は結構嬉しかったです。

6期になってからは、運営としても、一塾生としても、自分の役割を果たせたかなと思います。
運営としては、新型コロナの影響で勉強会をオンラインで開催することが多かったのですが、オンラインでも塾生が活発に議論できるような環境作りやOBOG活動の促進など率先して取り組めました。

また同じ6期生としても、自分が担当した5月11月の勉強会では「薮中塾の真骨頂は議論」であることを繰り返し主張することで、議論ベースの勉強会作りに貢献できたと思います。

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"6D"として2月イベントに登壇

日本経済の再興のために

2年間の薮中塾の活動で得た知識や考えは今後の人生でも役立つ場面はあると思います。ただそれ以上に、”真のグローバル人材を育てる”という理念のもとで塾長を中心に、多様なフィールドで活躍する志の高い塾生と学べた経験自体が僕の財産です。留学中に抱いた「日本経済を再興する」という理念を忘れず、卒塾後も真のグローバル人材として羽ばたいていきたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

6期共同代表 中西涼

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