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明日はあれから11年。

おはようございます、やべちょです。


さて、明日は何の日かわかりますか?
私にとってはとても大切な日で、忘れてはいけない日です。



明日は東日本大震災から11年。


私は身近な人を亡くしています。
あの日のせいで人生は全て変わってしまいました。
命の尊さや自然災害の恐ろしさを実感しました。


私のところは中通り(郡山、須賀川など)に住んでいたので、海からの津波はありませんでした。
ですが、私のところは湖からの津波はありました。
あの泥水が流れてきたことは今でもはっきり覚えています。そのぐらいびっくりしたし、怖かったんです。

地方テレビはやっていない。付けたら外の状況が流れているだけ。あとはCMで「ぽぽぽぽーん」ってひたすら流れている。
その日々が続いていました。


あの子が亡くなったと母から聞いた時はとてもショックで、お互い大泣きしました。当時あの子は1歳。私の友達の弟で、これからもっと楽しいこととかあるのにあの津波に巻き込まれて行方不明の状態で亡くなってしまいました。
今も行方不明らしく、人生で1番悲しい出来事だなと。

そして福島第一原発事故。
最悪でした。
私のところは自主避難区域だったのですが、外に出る時は必ずマスク。帰ったらなるべく早くお風呂に入るなどをしていました。そういう事がテレビのCMとして流れていたのです。
雨が降ると祖父は

「放射能が降ってきた」

と言ってました。
私は祖父が言った言葉が忘れれない。
なぜか忘れることができない。
それぐらい自主避難区域だった私達もかなり気を張っていたのでしょう。


あの後、私は緊急地震速報や地震の揺れに敏感になってしまい、病院では再体験型のPTSDと診断がおりました。

大阪北部地震の時は家で軽く発作起こしましたが、あいつに「演技しやがって」と殴られ口で押さえ込みました。
でも学校に着くとそのニュースがテレビから流れていて、それを見て限界が来て倒れました。

ここで少し言わせてください。

PTSDは演技ではありません。

フラッシュバックが一気に来て脳内の思考などが追いつけなくなって落ち着こうとするから発作が起こるんだと私は考えています。
だから発作のことを演技だと思わないでください。そう言われると腹が立ちます。



私はあえて前日である今日更新することにしました。明日は多分1日使い物にならない状態になってる可能性があるからです。
去年は少し関東の方に行ってたのですが、しっかり人がいるところでフラッシュバック起こして発作が起きるということがありました。なので今年からは外に出ないでおこうという。

最後に。
私が住んでいたところは


「陸の津波」

「奇跡のあじさい」

って調べたら出てきます。

ちなみに私はあじさいが好きなのですが、理由は地元である長沼からとっています。


「東日本大震災という過酷な過去があったとしても朽ちることはなく咲き続ける。そして人を笑顔にする。」


私自身の考えなのですが、こういった意味がこめられてるのかもしれないと思いました。
だから私は綺麗な薔薇より紫陽花が1番好きです。


何があったとしても、私は紫陽花のように枯れることなく咲くんだ。

人々を笑顔にさせるんだ。

そして、東日本大震災を風化させない。
これが被災者の1人である私の役目。


私は地元に11年帰れていません。
本当は今年母と今年帰ろっていう話をしていました。でも、今はオミクロン株が拡大していることと、そういったコロナ禍で祖父に会うのは危険だという理由で断念しました。

来年こそ帰れますように。いけたら今年のどこかで帰りたいけど。


読んでいただきありがとうございました。URLを貼っておきますので、是非ご覧ください。


藤沼湖決壊、心に刻む 福島・須賀川でつどい、遺族ら献花(福島民友新聞)



2022.3.10 10:53

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