聞かれなくても話すこと、聞かれる前に話すことの意義
誰かと一緒になにかをやる。これはある意味、他人を自分の人生に巻き込むことだなと最近よく思う。それが一時的であれ、継続的であれ、ある日突然、運命共同体にしてしまう。そんな感じがしているのだ。
例えば、知人を自分の会社に引き込むような大きい事柄もそうだけど、プライベートでプロジェクトを行うことや、一緒に遊ぶことだってそうだ。レベルの差はあるし、大げさな言い方かもしれないけれど、どれも他人の時間をもらうことに変わりはない。だからこそ、その時間を実のあるものにしないといけないし、お互い幸せや理想に近づける中身にせねばとつくづく思う。
ただ、お互い「よい時間を過ごせそう」という気持ちが動機となっている分、その期待と結果がズレることもある。蓋を開けてみたらなんとやら、というやつだ。
この前、とある好きなプロジェクトに誘われて入ってみたものの、メンバーのモチベーションの差に悩み、なぜ自分がそこにいるのかよく分からなくなってしまったという話を聞いた。じゃ抜ければいいじゃん、という意見は簡単に言えるけれど、本人も何か貢献したいという気持ちはあるのだ。ただその差が激しすぎて、自分がやっていることは貢献という領域に入っていないのではないかと悩んでいるのだ。もしかしたら入らない方が悩むことなく、そのまま好きでいられたかもしれない。とはいえ、ただ単に辞めることが解決にならない。難しいなと思う。
だからこそ「聞かれなくても話すこと」と「聞かれる前に話すこと」をやらなきゃいけない。少なくともそれを大切にする気持ちを持たなきゃいけない。そう思っている。
情報の価値は、最終的には相手が決めることだ。自分にとってはどうでもいいことでも、相手にとっては非常に大切なことがたくさんある。だから「聞かなかったから言わなかった」は、例えそれが1mmも嘘をついていなかったとしても、隠す意図なく言わなかったとしても、後々になって関係性にヒビを入れてしまう。
もしきちんと話すことですれ違いが露わになって、運命共同体になれなかったのならそれは仕方がないことだと思う。良くも悪くもたまたまタイミングが合わなかった。それだけだ。そう考えてみると、むしろ正直に色々と話すことの方が信頼関係をより強くするかもしれない。無理をするよりも「また次の機会に!」が健全に言える仲を保てる方がよっぽど幸せだと思う。
勢いは一緒になにかを始めることや人を巻き込むきっかけになっても、必ずしもそれを続ける動機にはならない。大切な人と長く良い関係性を維持していく上で、それを常に頭の片隅に置いていないとなと思う今日この頃である。
いただいたサポートはゆっくり物事を考えるための時間(コーヒー代など)に使わせていただきます。