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文章に宿る、人の気持ちに触れたい

人が自分のために書いた文章を読む。
僕はそれがけっこう好きだ。

なぜかというと、それが自分の知り合いだろうが、知り合いじゃなかろうが、僕自身が自分の体を一時的に抜け出して、彼もしくは彼女を追体験するような気分になるからだ。

それはなんというか、暑い夏の日にプールに飛び込んだ瞬間、今までずっとまとわりついた熱気や汗を一瞬で置いてけぼりにするような感覚だ。すっと別世界に入る。そして、文が進めば進むほど彼らは奥深くに潜っていく。同時に僕も潜っていく。最後に一緒にプハッと水上に浮き上がってくる。現実に戻ってくる。そんな感じがすごく心地いい。

今の世の中、TwitterやFacebook、ニュースなど流れてくる文章は、こんな貴重な情報を是が非でも読んでくれ!という声が少しうるさい。役に立ってはいるし、とてもありがたいとは思う。でも、だからか、ただただ個人の思いが一つのクリエーティブとして、ある一つのページに書き留められている様に惹かれる。

ただ、あくまで僕が好きなのは、ちゃんと他人に読ませるために整理し、考えられた文章である。その上で、結果的に書き手の気持ちが文章に宿ってしまったもの、自分のためにも書いたと思わせてくれるものだ。

ここでアーティストの蓮沼執太さんの言葉が思い出される。

「僕は、音楽というものはアーティストだけでは音楽にはならないと思っているんですね。受けとって聴く人とそのための空間が3つセットになって初めて音楽なんです。」

きっとこれは文章にも同じことが言えると思う。

書き手がアーティスト、読み手が受けとり手、紙やウェブが空間。

そんな約束事がきちんと守られた自分のための文章。それは何だか愛くるしくて美しいなと思う。そして、また読みたくなるのだ。

あー、更新が待ち遠しい。

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