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原始時代を知ることに意味があるのか?

以前、友人とこんなテーマで議論をしました。

土器を見つけて遠い過去を調べるのは無意味か?

私も友人も意味はあると思っていましたが、どう意味があるのか言語化するのはそんなに簡単ではないように思います。

当時のテーマをすこし言い換えて、ここではタイトルにした以下のテーマを考えてみたいと思います。

原始時代を知ることに意味があるのか?

▼考えたいポイント

より身近に関係ありそうな近現代の歴史くらいになると「知って意味がある」と思う人も、原始時代や古代史になると「意味あるの?」と思う人も多いかも知れません。

特にこういう人を想定してみて、どんな風に意味があると私が思うのかを言語化するのがこの文章の目的です。

▼どういう意味で「意味がある」のか?

考察する基準を設定するために、まずは「意味がある」ことを定義してやりましょう。

(定義)知識に「意味がある」とは、その知識が実生活で使えることする。

これはたぶん、それなりに納得していただけるような定義ではないでしょうか?

ここではこの定義のもとで、「原始時代を知ることに意味があるのか? 」を考えていきます。

これがすべてではないと思いますが、以下のような点で「意味がある」と考えています。

会話に使える
歴史学習に使える
コミュニティ設計に使える

会話に使える

教養として話のネタになります。

ベタですが、これは意外と意味があるように思えます。

会話を成立させるためには、話者間で前提知識とその理解が共有されている必要があります。これは会話における重要なポイントだと思います。

仮に「物知りなAさん」と「Aさんよりは知識が少ないBさん」が会話するという状況を考えてみましょう。

この2人の間でもし「Aさんしか知らない前提知識が必要な会話」をしたい場合、Aさんは頑張って説明して、Bさんにこの前提知識を理解してもらう必要があります。新しい知識を得るための「学習コスト」は、AさんとBさんの知識の差に開きがあるほど重くなってしまいます。

つまり、会話を楽しむにあたって「教養としての知識」はあるにこしたことがないわけです。

この観点から、「会話に使える」という意味で「原始時代を知ることに意味がある」と言えると考えます。

歴史学習に使える

ある時点の歴史を知ることに意味がある」と考える場合、「原始時代を知ることにも意味がある」と考えられます。

どういうことかと言うと、より過去の歴史を知ることは、「意味がある」と考えた時点の歴史理解を助けると考えられます。

歴史の多くは因果関係があります。ある時点の歴史を理解するためには、より過去の歴史を理解する必要があります。
もちろん学びたい深さにもよりますが、できる限り論理的に理解するためには最初から知る必要があると考えます。

最初と言ってもあるところで論理的ではない天下り的な初期状態を受け入れて理解を進める必要がありますが、この初期状態は歴史が進めば進むほど複雑になります。これは人口や人類の知識の増加、文化の醸成などに由来します。

そうすると、より論理的に歴史を理解するためには原始時代のような最初期の歴史から知る必要があります。

この観点から、「ある時点の歴史を知ることに意味がある」と考える場合、「原始時代を知ることにも意味がある」と思われます。

コミュニティ設計に使える

i)歴史一般に関する考え

より一般的に「歴史とはどんなものか?」を考えたとき、以下のように言えると思います。

歴史とは、人文社会科学の実験結果である。

それも「時間をかけた、人類が成しえる最大規模の社会実験」です。

少なくとも私はこの理解で、同じか、もしくは近い理解をしている人はたくさんいると考えています。

この実験結果を知っていることで、思いついたアイデアを実行した結果がある程度予想できたり、少なくとも行動の結果起こり得る可能性を「結果の引用」という形で挙げることができるようになります。

たとえば、ある国Aが別の国Iの要人を殺してしまったら、戦争になる可能性があることは歴史という実験事実から予想できることです。しかも、世界規模の戦争にもなり得ることを私たちは歴史という実験結果から知っているわけです。

ii)原始時代に関する考え

では「歴史」を「社会実験の結果」と考えたとき、「原始時代」はどんな社会実験と考えるか?

原始時代の理解としては、だいたい次のような流れで悪くないと思います。

個々の生活がすこしずつ集団化し、持つ者と持たざる者が生まれ、国家のようなものが形成されて古代文明ができあがる。

この理解を踏まえて、「原始時代」は以下のような社会実験であると私は考えます。
 ・個から集団/コミュニティの形成過程
 ・リーダーの形成過程
 ・貧富の差の形成過程

そうすると、実生活においてこれらの知識が使える場面を挙げることができれば、「原始時代を知ることに意味がある」と言えると考えられます。

個人やコミュニティ、国家規模など色々なスケールで考えられると思いますが、たとえば以下のような場面で使える可能性があるのではないでしょうか?
 ・オンラインサロンのコミュニティを設計するとき
 ・チームや組織のリーダーになるとき
 ・都市や社会を設計するとき

▼まとめ

「原始時代を知ることに意味がある」と思うことについて、どう「意味がある」と思うのか言語化してみてみました。

これに対する私の答えとしては、以下に集約されます。

会話を楽しむために必要な教養の一つとして使える。
②論理的に歴史を学習する場合の初期状態として使える。
集団や社会を設計する際に社会実験の結果として使える。

少なくともこれくらいの意味はあるのだと思います。

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