毎週末、空手の先生を10年ほどやってます。
月並みですが「あっという間に10年近く」
「塚田さん、週末は何をしているんですか」
「ボランティアですが、空手教えてます」
「あ、そうなんですね……」
「もう一つの仕事みたいなもんです、ワハハ」
転職して、そんな応答をすることが多くなりました。
自己紹介のとおり、私は会社員をしている傍ら、週末はボランティアながら道場の指導員として、少年部の子どもたちや一般の方たちと汗を流しています。
社会人1年目の冬に入門してから十数年、ずいぶんかかってようやく黒帯を取ることが出来ました。そして、約1年後、ひょんなことから指導員として活動を始めました。
馴染みのない方に向けて、ちょっとご説明しますと、私の通っている道場は「本部道場」と「〇〇(地名)道場」というものに大別されます。いわゆる「本店」と「支店」です。私の場合は比較的住まいの近い「錦町(仮名)支店」の指導員として活動することになりました、というわけです。
最初は「大した実績もない、僕でいいのかな」という思いは常にありました。前任者は道場のトップクラスの選手。一方、私は試合経験はあるものの、あまり実績らしい実績のない、サラリーマン空手家です。
別の「支店」で代打の指導員で稽古したことはいくつかありましたが、本格的に「ここの支店の指導員です」となったのは初めてでした。
当時の勤務先で管理職はしていたものの、それとこれとは違いますし、息子も保育園に通っている年頃で、小さい子一人でも大変なのに……と、自信はありませんでした。
ただ、 今教えている「支店」が、指導員の不足やローテーションの関係で、当時「指導員不在=支店閉鎖」という危機にあったことは、仲の良い道場生から聞いていましたので、師範からオファー頂いた時には「私でよければ……」と返事をしたのでした。その数カ月後、その発言が実現し、正式に指導員として教えることになったのです。
やはり、稽古場所がなくなるのは寂しいものです。それは私は嫌でした。
たとえ、指導員の実力がなくても、稽古場所がなくなるよりはマシです。
さて、正式に「指導員」としての顔を持つようになると意識は変わるもので、それまで一般道場生として一人称で参加していた「本店」や他の「支店」の稽古は三人称の視点で参加するようになりました。
「この挙動をいきなり練習するのは、錦町のみんなには難しいな、段階を踏んでやっていこうかな」
「僕もみんなも、ここはあまり意識しない運足だなぁ、錦町の稽古で復習がてら取り入れてみよう」
「この型、忘れてたなぁ、教える立場だし覚え直そう」
「このミット打ちのメニュー良いな、錦町でも取り入れよう」
ある他の支店に出稽古していた時、ハタとこのようなことを考えていた自分に気づいて驚いたものです。
もう「自分の稽古」ではなく「自分と(道場の)みんなの稽古」と稽古の意味合いが変わっていくのでした。
「教える」よりも大切に思っていること
指導員のという立場なので、空手の基本動作や型、組手に関する練習や実際の技術などは教える必要があります。当たり前ですけど。
ただ、それよりも大切なことがあると考えています。
私もみんなと同じ道場生であるというスタンス
一緒に上手になりたいという姿勢
少しでも「稽古に来て良かった」と感じてもらうこと
つまり「同じ道場生として、一人の人間として、一緒に稽古する」という姿勢の方がよほど大事なのではないかと考えるのです。
私は少年部の子どもたちにはよく失敗談(公私共に)を話しますし、その時に感じたことや考えたことを話しています。
指導員という立場だけど、それは週末の稽古での顔であって、普段はフツーのおじさんであり、会社員としての生活もある。みんなの親御さんと何ら変わらないよ。なんなら笑いが取れるような大失敗の経験もあるよ、と。
そして、社会に参加する年齢になって、右往左往する前にこんなことが社会に出るとあるんだよ、少しでも良いから覚えておこうね、ということも言っています。同じ道場生であり、同じ人間でもあることを感じてもらいたいのです。その上で、たくさん稽古してうまくなりたい、そして「本店」の道場生にヒケを取らない実力を持って欲しいんだ、と思っています。
少年部の子どもたちの場合、親御さんの強い意向で稽古に参加している場合があります。本人はイヤイヤでも参加している以上は練習しないわけにもいきません。決して派手でもないし、下手すりゃ痛い。
指導員なりたての頃は、そういったタイプはどうしたらやる気になるんだろうと、とても悩みました。
今はそういう子どもには「まず繰り返し参加してもらうこと」「参加することで何か覚えてかえってもらえること」「失敗しても大丈夫と感じてもらうこと」「なんでこの練習をするのか伝えること」をポイントにしています。
正直、やる気になるにはどうしたら……と考えること、そのものがおこがましいのではないか、とある時ふと感じてから悩むのをやめました。プロの方にはやる気になるメソッドを持つ方はたくさんいらっしゃるでしょう。でも、私にはありません。
自分が少年部の子供だとしたら、どうしたら空手の稽古に行きたいのか、小さい頃の習い事で続かなかった理由はなんだろう、と記憶を掘り返してみて、ひとまず「こういう対応してもらいたかった」「こう言ってほしかった」ということを出来る限りやってます。
また、師範から教わったことなども少年部に伝えています。なぜこの立ち方を練習するのか、ちゃんと身につくとどうなるか、どうしてこの型はこんな動きをするのだろう、と。少し噛み砕いて伝えると、目の輝きが変わって、ちゃんと練習しだす子が出てきます。自分自身の経験から、ちゃんと意味がわかれば取り組みも違うと考えて、伝えるようにしています。
許容するからこそ、失敗できる
少年部も一般部も、失敗しても良いということは繰り返し言っています。
自分自身が散々親たちからダメ出しされて、自尊心を持てるまで長い時間がかかった経験があります。このため、自分が関わった子どもたちには「自分はダメじゃない」ということを実感してもらいたいのです。
何か続けていれば、必ず失敗します。
でも、失敗するから上手くなれるし、自分を磨ける。
自他ともに失敗を失敗と認めて、次を考えて行動する。自戒を込めて、このスタンスで毎回の稽古に望んでいます。
ただし、失敗しちゃダメという時もありまして、昇級や昇段といった審査の時は失敗しないように、とは伝えています。
当然、そうならないためにはしっかり練習しないといけませんけど、審査以外ならいくら失敗してもいいし、その分練習すれば良い。そう思うだけで、稽古に来る気持ちのハードルって下がるんじゃないか、と考えるのです。私だって、毎回ダメ出しされるようなら、よほど割り切ってやらないと辛いです(笑)
と、いうわけで、少年部も一般部も基本的にダメ出しはしないようにしています。一所懸命に練習していたり、なんとか上手になろうと頑張っている、というのは、挙動を見ていればわかります。その時は「ダメ」ではなく「惜しい」というように意識的に言っていますし、少年部の場合は、上手だった稽古の後は、親御さんの前でちゃんと褒めるようにしています。
その分、ちゃんと練習していない場合は「まずはここが出来ないと次進めない」「出来ると思っているから練習して欲しい」と伝えて、改善されるまで気長に待つことにしています。
どこまで続く指導員の顔
10年近く指導員として活動していても、まだまだ得られる経験は多いです。だいいち、私自身が発展途上なので、トライ・アンド・エラーの繰り返しで毎回稽古に望んでいます。
試合の経験だけは豊富にあるので、そこから得たことや自分で考えたことを自己練習も兼ねて練習したり、師範稽古で得たことを復習を兼ねて練習したり、工夫を重ねて道場生と楽しみながら続けたいですね。
師範から「もう塚田くんは指導しなくて良いよ〜」と言われたらまた、ただの道場生にもどって自分を磨きます。
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