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『クリュセの魚』を読む

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東浩紀『クリュセの魚』を精読する。現在時において小説を読むことを意識しつつ、虚構の表現が私たちの生を取り持つ可能性を示す。
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『クリュセの魚』を読む⑤ 否定形の正史

『クリュセの魚』を読む⑤ 否定形の正史

彰人が決断したのは選択しないことである。それは語りの現在時からにおいて、歴史の正しさを否定的なしかたで肯定している。しかしその語りの時間は母の孤独を語ることで未来の時間に開かれている。

④ 天皇(制)の明日に

†選ばないこと栖花と麻理沙はお互いがそれぞれの存在の可否を賭けたダブルバインド状況によって危機に陥っていた。それは危機的状況にあって出来事を選択できない生の悲劇である。ここで母と娘は選択

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『クリュセの魚』を読む④ 天皇(制)の明日に

『クリュセの魚』を読む④ 天皇(制)の明日に

クリュセの魚を天皇小説概念の現代的フェーズを示す小説として読む。恋愛といい、家族という小説の主題は、それを図として、地としての天皇制が存在している。大衆を扇動しテロ行為をおこなう栖花は、尊皇攘夷を完遂した「天皇」である。象徴天皇制の危機に応じて現れたこのような天皇像は、三島由紀夫が提起した「文化概念としての天皇」と同期している。しかし天皇制の主題と重ね合わされる形で、栖花は母である麻理沙とダブルバ

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『クリュセの魚』を読む③ 名前の物語

『クリュセの魚』を名前についての物語として解釈する。テクストの固有名の性質には無名性と単独性を見ることができるが、それらはまた偶然性と必然性という様相概念に連接している。名前はメディアとして機能し、それぞれの固有名の性質は、人物のあいだで欲望や生を結ぶ根拠として働いている。固有名こそが恋愛や家族を結びつけるのである。よってこの小説は名前をめぐる物語なのである。

② ズレの方法

†アレゴリーとし

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『クリュセの魚』を読む② ズレの方法

『クリュセの魚』を読む② ズレの方法

テクストにおけるコミュニケーションに時差をもたらす迂回の方法を読む。また、「象徴」が多義的な意味をもち同一性を切断する志向があることを示す。

① 枠の意識

†コミュニケーションの時差
『クリュセの魚』は恋愛小説であり家族小説であるが、しかしその主題にはアイロニカルな視線があると述べた。ではそのなかで、彰人と麻理沙はどのような関係を結ぶことになったのだろうか。視点を変えて言い換えると、恋愛といい

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『クリュセの魚』を読む① 枠の意識

『クリュセの魚』を読む① 枠の意識

東浩紀『クリュセの魚』の読解を数回に分けて試みる。はじめに、この小説の物語は恋愛や家族を主題として書くが、その前の地点である小説の読み方自体に注意を向ける必要があることを述べる。

目次
① 枠の意識
② ズレの方法
③ 名前の物語
④ 天皇(制)の明日に
⑤ 否定形の正史

†分析の仕事
単行本の帯にはこういう惹句がある。「壮大な物語世界が立ち上がる/渾身の恋愛小説」と。どうやら「恋愛」を描いた

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