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旅先で受け取った親切の還元先

先日電車に乗っていて、海外から日本へ訪れたであろう観光客が座っていた。私は、彼らの前に立っていた。後に杖をついた老人が乗車してきた。正直、緊急停止などしようものなら、倒れないかヒヤヒヤしてしまいそうなほど、足取りはおぼつかない。

でも誰も、彼のことは見ていない。そんな時に、我先にと立ち上がったのは、訪日観光客の3人組だった。

老人は、「次の駅で降りるからいいよ」と声をかけていたが、彼らにおそらく日本語は通じていなかった。老人もそれならと腰をかけた。観光客の彼らと老人は、同じ駅で同じ車両から降りて、人波の中に消えていった。

旅好きとして、旅先の人たちの親切さはよく感じるタイプだと思う。ゲストハウスなど地元の人と距離が近い場所に宿泊する傾向にあるし、ご飯屋さんも観光客向けというより、地元客が仕事終わりに一杯ひっかけに行くようなところが好きな私だからというのもあるかもしれない。

人と人の距離が近い場所に赴くこともそうだが、そもそも日本よりも人と人の距離が近い国もある。そうすれば、バス・電車の中でも、食事処でもお構いなしだ。

ただそういう場所だからこそ、ちょっと困ったときにすぐに「どうしたの?」と声をかけられる土壌が育っているのだなと感じる。

そういう場に出会うたびに、私は日本や地元に来てくれた観光客にも、いいところだったと思って帰ってもらえるよう、優しくしたいなと思っていた。
その考え自体は今も変わらないが、今年に行ったインドネシアでふと思い至った。

そもそも、日本に帰ってから親切にする必要なんてないな、と。

今私に優しくしてくれた人がいて、困ったら助けてくれた人がいるのに、わざわざ海を渡って日本まで持ち帰る必要はない。

インドネシアの人たちは、人懐っこくて、ぼったくろうとしてはくるけど、罪悪感も同時に持っていて、巧妙に騙すということがあまり得意ではないように見えた。言い値でいいよといえば、本当に?と返すような性格で、ノーサンキューと言っても、いい旅を送れるようなアドバイスをしてくれるような人たちだった。

観光地でバリ・ヒンドゥーのお祈りを教えてくれた人たち
インドネシア生活の1ページ

「お困りですか?」と日本で声をかけるよりも、ちょっとだけ言葉と文化の壁があるだけで、意外とその壁は今の私でも飛び越えられるようなものかもしれない。

そう思った私は、インドネシアの都市間移動の際に、大きな荷物を抱えた老女に不器用に声をかけた。

「I help you.」

かっこいい言い回しが浮かばなかったにしても、ちょっと押し付けがましい言い方だったなと反省はありつつ。彼女の持つ荷物を一緒に持って、ふと顔を見たら、くしゃっとした顔でありがとうと返された。

ちゃんと通じた。言葉ではなく、行動がきっとつなげてくれたのかなと思う。私がやってもらって嬉しかったことは、きっと周りの誰かも嬉しい。これからは、日本に帰ってきてから…なんて謎の出し惜しみをしないで、現地でも親切でつながれたらと思う。

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