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SAKANAQUARIUM2024turnの参加を経て 〜おかえりなさい、サカナクション〜

サカナクションが、完全復活を2024年4月20日に果たした。私はそのとき、会場の幕張にいた。この記事は、私とサカナクションのこれまでの関係性と、SAKANAQUARIUM2024「turn」に参加した感想や想いを備忘録として記すものである。

※サカナクションの2024年ツアーである、SAKANAQUARIUM2024「turn」のネタバレを含みます。以後、読み進める方は慎重に。


サカナクションとの出会い

初めて彼らの音楽を聴いたのは、中学生の時だった。母親の影響で、ラジオを聴くのが好きだった私。自分の知らない音楽と出会うきっかけは、いつもラジカセの向こう側の人たちだった。

聞き馴染みがない中でも、なんだか次を期待してしまうようなメロディ。歌詞の横を歩き続ける、一発撮りのMV。

それが、私とアルクアラウンドの出会いだった。

現世をつなぐ錨

私にとってのサカナクションと活動休止

私は昔、どこか人生の当事者意識が薄くなっていたことがあった。だいたいそういう感覚でいる時は、辛かったり悲しいことがあったりした時だ。

慢性的に、その感覚が消えないような時期もあった。そうすると現世はさようなら、来世に期待ですと妙に他力本願な選択肢がふと頭によぎる。一種の逃避行動だ。

そんな時に私を今でも生かしてくれたのは、私が愛するもの・こと・ひとたち。
それら、彼らを私は人生における錨のような存在だと認識している。

そのひとつが、サカナクションだった。

聞き始めたのは中学生の時からだったが、ライブは人気すぎて当たらないだろうとずっと諦めていた。大学時代に仲の良い友人が当ててくれたチケットで、初めてサカナクションのパフォーマンスを見てから、ツアーに行かない年はなかった。

初めて行ったライブは、この2017年のツアーである。

初めてのライブの帰りには、友人とライブってこんなに楽しかったっけ!?とご飯を食べながら浸り、自分の中でのライブの概念がひっくり返されたことを認識した。2回目以降もその感覚はずっと続いた。何度か行って聞いてみたいと思っていた曲を聞けてからも、何度ライブに行っても私たちの期待をいつだって彼らは超えてきた。

そんな大事な錨のひとつが、この2年間活動休止した。

コロナ禍の支柱

コロナウイルス感染症が猛威を振るった頃から、少しずつ音楽業界も以前のように戻り始めたタイミングだった。ツアーチケットもすでに購入していた。それでも、サカナクションに会うことはできなかった。

コロナ禍に私たちを支えてくれた大事な柱が、ばらばらと崩れたような心地だった。SNSなどを通じて、ライブでファンに会えない中でもたくさん声を聞こうとしてくれたこと。業界がなかなか動けない中、映画のような美しいオンラインライブで家の中でもあの高揚感を思い出させてくれたこと。

指折り数えたらきっとキリがないほど、ファンの我々を支えてくれた存在だった。ラジオを聴いていた時から、一郎さんのことは真面目な人だなと思っていたけど、あの日々の中で誠実で切実で、まっすぐすぎる人だなという印象が加わった。

昨今SNSで問題として挙げられる心無いコメントにも、いつも真摯に対応をしていて、どうかその心を磨耗しないようにと祈っていた。

そんな彼らが、休むと言った。これまで信用に足る関係を構築してくれた彼らに、私たちのできる事はなんだろうかと考えると、ただ待つことしかできない。

休むからには、いつだっていろいろなことを考えている彼らはこれからの活動について、たくさん話し合い、考えるだろう。
そんな彼らが出した答えを、1ファンとして受け止められるように待っていようと思った。

2024年1月山口一郎単独ツアー蜃気楼へ行く

時は流れ、私は久しぶりのライブ、蜃気楼の東京公演に赴いた。私自身もキャリアが変わったり、住む場所が変わったりとさまざまな変化があった。変化の中で、なかなか配信が見られない日々も続いていた。しかしそれでも受け取っていたのは、一郎さんのうつ病の告白。

東京公演の目前に、YouTubeで山口一郎の現在地という映像が公開された。

ツアーに行く前に見たが、もうボロ泣き。姿を見ることはなかなかできなくても、やっぱりこの人たちは自分たちの音楽、体と心の関係、メンバー間の考え方。たくさんのものと向き合って、寄り添ったり、戦ったりしてきたのだなと思った。

蜃気楼ツアー自体も、一曲目からボロ泣きした。ずっと見てきた一郎さんが辛かったと力が抜けたように笑った時にも、辛かったって言えるようになったことが嬉しくて泣いてしまった。

その公演のアンコールで、彼らは大々的にサカナクションの復活を発表した。メンバー全員で出てきて、「新宝島」を演奏してくれたあの日。何度も聞いてきた「新宝島」で、初めて涙が出た。

SAKANAQUARIUM2024 turn ※ネタバレあります

もちろん、ファンクラブ先行でサカナクションが復活してすぐのツアーを申し込んだ。そして、行ってきたのが幕張公演。復活ツアーの初日だ。(この後2回別会場で行く予定はあるが)

※以下からネタバレをガッツリ含みます。





最初の曲は何かな、と何度も繰り返した疑問。最初の数秒で私たちファンの歓声が上がる。「Ame(B)」だった。

みんなの声と、照明。Speaker+と呼ばれる、日本で行われたアリーナツアー史上最多数のスピーカーを用いたシステムによる、大爆音。

ああ、帰ってきた!

そう思って、手を挙げた。

セットリストは、フェスで3時間の枠をもらったかのようだった。

ライブに行く前から何度もカラオケの本人映像で見てきた、「アイデンティティ」から「ルーキー」への流れと違和感のないつなぎ。

春に聞く「ルーキー」が大好きな私。1番と2番で演奏する楽器が異なるこの曲。何度も聞いているはずなのに、太鼓を叩いているもっちとあみちゃんを見て、じんわり涙ぐんでしまった。


光と音に塗れる世界の中で、ずっと踊った。

そして、途中彼ららしい聴かせる音楽も挟んでくる。何度聞いても「ユリイカ」は東京に住んでいた日々と田舎の田んぼの近くで過ごした思春期の思い出を、心象風景が変わる変わる映し出してくれる。

「ナイロンの糸」の演出は、以前から大好きだった。海の近くで波の音を聞いて、波の寄せては返す様子を見て、おっかなびっくり過ごす毎日から余計な力を解いてくれるような優しさが、この曲にはある。

「ネプトゥーヌス」は、私自身も落ち込んだ時によく聞く曲だ。誰かに相談するのもいいけど、私は一表現者として絶望も悲しみも苦しみも咀嚼したい。その時にしかわからない感覚を味わうことに対して、投げやりにしたくない気持ちがある。

1人の部屋でそんな自分と対話をする時に、自分の部屋を海の底のように穏やかな暗さがある場所だと思い込む。海底の砂のように柔らかく包み込んでくれる布団の上で、自分の感情ひとつひとつを揉みほぐすように大事に向き合う。

そんな時にいつも寄り添ってくれる曲だ。

その後は、またみんなが踊れるような曲をたくさんやってくれた。「ホーリーダンス」や「バッハの旋律を夜に聴いたせいです」、「ミュージック」。ベストアルバムみたいな選曲だ。

本公演は、「忘れられないの」で締められた。この曲のあみちゃんのベースが大好きで、あの部分を聴くだけで気持ちだけホノルルのビーチを歩いているような感覚になる。要は、そのくらい浮かれてしまうのだ。

アンコールには、やっとMC。ずっと聞きたかったメンバーみんなの声。全てのファンがそう思っていた。だから、みんなこれまで以上の拍手で迎えた。そして、ずっと言いたかった一言を。

「おかえりー!」

みんな口々にそんな言葉を送った。ライブの演目があっての良さなのは重々承知なのだが、サカナクションのファンをやっていると、ファンのあたたかさにも良さを感じることがたくさんある。

あの会場にいた人で知り合いなんてほとんどいないのに、みんながおかえり!と言ったあの時間の愛おしさと言ったら。

えじーももっちも泣いてしまったのには、こちらもかなりやられてしまった。ライブを心から楽しんでいるのがわかる笑顔溢れるあみちゃんも、ライブをやりたいという夢が叶ったと言うザッキーも、もう大好きだ以外の気持ちが削ぎ落とされる。

ライブが始まれば、終わりもやってくる。
アンコールには、「夜の踊り子」、デビュー曲の「三日月サンセット」。そして、これまた大好きな曲「シャンディガフ」。

「シャンディガフ」は、人との距離感が見えるような、見えないような。立ち入る優しさも立ち入らない優しさも、きっといろんなことを考えた末の一曲なんだろうなと思っている。この曲の入っているアルバムの流れを見れば、なんとなくそうだと思ってしまう。

君に優しくしたい。それだけのために、右へ左へと揺れる。これが正解って決めつけないで、君に優しくしたい。アルバムでは次に、そんな曲が続くのだ。私も優しさなんてケースバイケースだと思っているから、考えることをやめないというのは、その人に本当優しくしたいという意思の表れなのだと勝手ながら解釈している。

話を「シャンディガフ」に戻すと、この曲の中には「最後に僕が信じたのは少しの愛と少しのだらしなさかな」という歌詞が出てくる。その解釈を自分の中で、しっかり固められているわけではない。それでも今のところ、誰かに優しくすると決めた愛とそのために必要な自分への愛=だらしなさなのではないかと私は思っている。

誰かのために動き続けるのは、もちろん尊いことだけど、それだけでは続かないし、自分のことを大事にし忘れている気がしていて。

誰かへの愛を貫くためには100%一球入魂みたいな一過性のものではなくて、少しずつでも続けられる。毎日のおはようとおやすみとか、いってきますと気をつけていってらっしゃいとかを言い合えるような、小さなものでもいいんじゃないかなと私は思っている。

だからこれからも一郎さん自身が、サカナクションの1番のファンで居続けるためにも、少しのゆるさは大事にしてほしいな、なんてことを思ったりした。

まとめ

結局何が言いたかったかと言うと、やっぱり彼らは最高だということ。そして、これからも変わらないまま変わり続ける彼らを応援し続けたいということ。

残されたturnの参加は今のところ、あと2回。
公演を重ねるたびにアップデートしていく彼らにまた彩をもらって、毎日を進めていく。

いつも私の生活の側にあり、私の心の支えのひとつであり続けてくれるサカナクションとサカナクションを支える全ての方に。1ファンという身分ながら、たくさんのお礼を言いたくなるようなそんなツアーだったことをここに記す。

いつもどうもありがとう。
これからの旅路も、どうか一緒に。


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