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サッカー人生① 『サッカー選手』

こんばんは。週末ですね。土日休みの人も多いかと思います。

今日は私の『サッカー人生』についてお話ししていきたいと思います!

私はサッカーを初めてから今年で14年目に突入しました。
そして現在、サッカー審判員として活動をしています。
そんな私ですが、過去には選手として小学1年から高校1年6月途中までプレーをしていました。そして、高校1年の6月途中から選手ではなく審判員として部活には所属したまま、新たな活動を始めました。
大学に入り審判員とマネージャーとして活動をしていましたが、今年7月末にマネージャーを辞め、審判員だけの活動に専念し、今現在の活動をしています。

ここからは時代別に分けて、選手時代の当時の出来事を話していきたいと思います!

小学生時代
私は、小学1年の時にジュビロSS浜松でサッカーを始めました。
きっかけは、SAMURAI BLUE(サッカー日本代表)の試合をみてサッカーをしたいと思ったのが始まりです。 
小学6年間では、こぼれ球とか、太ももでゴール決めたりとか、まともにシュート出来なかったので、「ごっつあんゴーラー」ってあだ名がついてました(笑)
中学時代
中学3年間は地元中学校のサッカー部に所属していました。

1年時のポジションはFWで、点取り屋というよりは、トップ下でラストパスでアシストするような選手でした。
1年時に1個上の先輩の新人戦で初めてメンバーに選出され、1年の伝統番号21番(当時はそうやって言われてました)を貰えたことが嬉しかったです。

2年時では、ボランチにコンバートされ、プレーしてました。先輩最後の夏の大会では、県大会に出場しましたが、地域予選より選出できるメンバーが少なく、メンバーから外され悔しかったです。

3年時にはCBにコンバートされ、中学では3回目のコンバートで、我ながらよくやってたと思います。
ですが、最後の夏大会前に「腰椎分離症」を発症。
当時は分離症になってることなんて知らず、プレーしてましたが、ボールが蹴れないぐらいの痛みとずっと戦ってました。そのため、夏の大会には出場することもできず、悔いが残り、高校でもサッカーを続けることにしました。
高校時代
高校時代は、自分のサッカー人生における大きなターニングポイントでもありました。
高校は磐田東高校サッカー部に所属し、高校サッカーがスタートしました。

ですが、、高校1年5月。
たったの1ヶ月で左足を捻挫、練習から離脱することになってしまいました。3週間ぐらいに復帰をしましたが、その1週間後に同じ左足を捻挫、その他にも色んな事情がありましたが、サッカー選手を続けることは厳しく思い、サッカー選手としての幕を閉じることにしました。

私のサッカー選手人生は、たったの9年半でした。
そんな短い選手人生でも、様々な経験をすることができた9年半でした。
今でも選手に現役復帰したいなって思う自分がいます。
時間が増えた今、現役復帰まではしないと思うけど、またどこかで誰かとサッカーをプレーすることが出来たら最高だなって思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

特に有名でもない無名の大学2年生のサッカー選手としての人生をここまで読んでいただけることに感謝します。

<次回>
サッカー人生② 『サッカー審判員・マネージャー』

次回は審判員に転身し、大学でのマネージャー経験など、第2弾として私のサッカー人生の話をしていきたいと思います!

また、読んでいただけると幸いです。
ありがとうございました。

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